通りすがりの社畜姫

緋色の雨

ダメ男製造機ではありません

 この大陸にはたった一つだけ国がある。

 皆が幸せに暮らせる豊かな国、スノウホワイト。奇跡の代名詞のようになっている我が国だが、少し前までは厄災に満ちていた。

 大陸の半分を支配する魔王の勢力に、ダンジョンから発生する魔物による被害。水害や干ばつ、その他の被害による飢餓や貧困によって人々は苦しんでいたのだ。


 だけど、そこから十年掛けて魔族を退け、貧困や飢餓といった問題をも解決し、魔導具の開発によって様々な問題を解決し、ついには豊かな暮らしを手に入れた。


 陛下の娘である私が八歳で政治に口を出すようになり、そこから十年掛けて様々な偉業を為し遂げ、いまの平和を築き上げた――ということになっている。


 もちろん、そんなはずはない。

 当時の私はたった八歳、なんにも知らないお姫様で、内政に疲れ果てていたお父様――陛下や大臣達の愚痴をちょっと聞いてあげていただけだ。


 だけど、お父様やこの国の大臣達はもともと優秀だった。私に愚痴っているうちにあれこれ解決策を思いついて、結局は自分で解決してしまう。

 それがなぜか、ぜぇんぶ私のおかげ、と言うことになっているのだ。


 もちろん、私もずっと話を聞いているだけじゃない。自分で出来ることを見つけて、少しでも国のためにと努力を重ね、魔王討伐の際にはその一行に名を連ねるに至った。

 だから、私なんていなくても変わらない――なんて言うつもりはない。


 でも、私一人の偉業じゃないのは事実だし、みんなが優秀なのも紛れもない事実だ。

 だと言うのに――


「姫様っ、アデール伯爵家の件について相談させてください!」

「それは財務大臣である貴方の仕事でしょう? というか、私に相談なんてしなくても、貴方なら上手く解決出来るはずですっ」

「もったいないお言葉。ですが、姫様の言葉の方がより確実なのです。どうか今回だけ、今回だけで構いませんので、姫様のお知恵をお貸しください!」

「先週もそんなことを言っていたではありませんか。……仕方ありませんね。たしか、失脚した伯爵の領地を二人に譲渡する件でしたね。……どちらか片方に二つに分けさせて、もう片方に好きな方を選ばせなさい。それで大筋は纏まるでしょう」

「お、おぉ、さすがは姫様ですな!」


 財務大臣は盛んに囃し立てていますが、そもそもその知恵を幼き頃の私に与えてくれたのは彼だったはずです。覚えていないのでしょうか? いないのでしょうね。


「もちろん、ある程度の話し合いは必要ですよ」

「はい、かしこまりました。すぐに手配いたします。いやぁ、ありがとうございます。姫様の言葉となれば、彼らも素直に受け入れるでしょう」

「……知恵は誰が言ったかではなく、その内容にこそ価値があるのですよ?」

「ええ、それはもちろん。では、わたくしはこれにて」


 とまぁ、こんな感じで私への依存がなくならない。

 その都度、必死に答えを探しているうちに、私もある程度は的確な答えを返せるようにはなったけれど、やはり専門家である彼らの方が優れているはずだ。

 いつになったら自立してくれるのか――というのが最近の私の悩みである。


「……やはり、あの計画を進めていて良かったですね」

(主よ、本当にあれを実行するつもりなのか?)


 呟きに答えたのは声ではなく思念。

 思念の主は肩に乗っている小型化した魔竜、私の使い魔である。


「側近達への根回しはすみました。この国にもはや私は必要ありません」


 このままでは、スノウホワイトは私がいないと回らなくなる。

 だけど、それじゃダメだ。

 私は王族だけど、次期国王となるのは第一王子である兄。父はまだまだ現役だからしばらくは安心だけど、このままでは後継者争いになりかねない。


(で、本音はどうなのだ?)

(もう働きたくない! 私はお姫様らしくのんびりした暮らしがしたいんです)


 拳を握り締めて思念で力説すると、肩に止まっている魔竜が鼻で笑うような仕草を見せた。


(主に休みがないのは、自分で厄介事を背負い込む性格だからではないか?)

(そ、そんなことはありません)

(魔王討伐も頼まれて参加したのではなかったか?)

(あ、あれは、私がいないと無理だって言われたから、仕方なく……)

(では、不治の病にかかった息子を救う方法がないかと、伯父に相談されたときはどうなのだ? あのときは一から治癒魔術を学んでいたように思うが?)

(す、救えるかもしれない命を放っておけなかっただけです)


 この国では誰も使えないという最上位の治癒魔術。でも、文献を見たら使えそうな気がしたので、頑張って基礎から学んだのだ。だけど結局、私に興味を示したとかで現れた聖女様が、伯父の息子さんを魔術で癒やしてしまったので、私が覚えた治癒魔術を使うことはなかった。


(ならば、魔導具の開発にアイディアが欲しいと請われて、期待に応えるために魔導具制作の基礎理論から学んだのも必要だったというのか)

(あれは……髪を乾かしたりとか、乙女的に興味を持っただけです)

(別に主が自分で研究する必要はないではないか)

(……ま、まあ、私が少しだけ、ほんの少しだけ自ら厄介事を背負い込む性格であることは認めます。でも、だからこそ、現状を変える必要があるのです)



 ――という訳で、私は陛下にお願いして、重鎮達を謁見の間へと集めてもらった。

 魔王討伐に付き従ってくれた剣聖や賢姫はもちろん、聖女を初めとした二つ名持ちの英雄達に、この国の政治を担う大臣の地位を持つ貴族達。

 頼もしい仲間達を見回し、私は単刀直入に言い放った。


「私はしばらく旅に出ます」

「……は?」

「旅に出ます、探さないでください」

「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああっ!?」


 事情を知らない大臣達が素っ頓狂な悲鳴を上げた。


「ど、どどどっどういうことですか、姫様!」

「どうもこうもありません! あなた達は私に依存しすぎなのです! ですから、私は旅に出ます。これからは、みなでこの国を支えてください」

「お、お待ちください、姫様! そのようなことをされては国が立ちゆきませぬ」


 大臣の中でも古株のベテランが詰め寄ってきた。

 というか、第一王子や陛下を前に、その物言いは無礼すぎる。本来であれば不敬だと罰せられてもおかしくないのだけど……お父様、お兄様、どうして頷いているんですか!


「大臣、あなた達もですが……お兄様、次期国王としての自覚を持ってください。お父様もですよ。私にいつも相談して、国王が決断しなくてどうするのですか」

「なにを言う。わしは王として、そなたの判断が正しいと決断しているのだ!」

「そうだぞ、我が妹よ。私も次期国王として、そなたの判断を信じているのだ!」

「……もう、そんなことを言って。無条件に信じるのは決断とは言いません。お父様も、お兄様も、そして国を支える大臣、あなた達も優秀なんですから、私に頼るのは禁止ですっ」

「し、しかし……っ」

「これは決定です! この件は剣聖や賢姫、それに聖女様も承諾してくれていますから」

「なんと、それは真か!?」


 陛下達の視線が三人へと集中した。


「ま、俺も姫様の危惧はもっともだと思うからな」

「わたくしは、ただ姫様の御心のままに」


 剣聖と聖女が私の言葉を肯定する。

 ゆえに、陛下達の視線は残された賢姫へと向けられた。


「……わ、私は、本音を言えば納得していません」


 その言葉に、大臣達が希望を見いだすような顔をした。

 けれど彼女は「ですが――」と力強い口調で付け加える。


「姫様の危惧は的を得ていると考えます。ただ、姫様を一人にするのは不安なので、出来れば私も連れて行っていただきたいのですが……?」

「それは先日話し合ったでしょう?」

「分かっています。いまは自分の役割がございますから自重いたします」

「ごめんなさいね」


 賢姫セシリアと私は幼馴染みだ。そんな彼女に親愛の想いを込めた視線を向ける。彼女は困ったようにはにかんで、それからぷいっと視線を逸らした。


「という訳で、私はしばらく旅に出ます」

「お考え直しください、姫様!」


 大臣達がその場に膝をつき、私に向かって懇願する。

 慕われていることは誇らしい。彼らの期待に応えたいとも思う。だけど、だからこそ、ここで彼らの甘えを許すことは彼らのためにならない。


「貴方達は私に依存しすぎです。……そして、それは私にも原因があるのでしょう。ゆえに、私はしばらく旅に出るのです。あなた達に自信を持って欲しいのです」

「……姫様」


 大臣達は顔を見合わせ、やがてその顔に諦めの感情を浮かべた。


「かしこまりました。我ら、姫様のご期待に応えられるように全力を尽くします」

「ええ、期待していますよ」


 私は大臣達の顔を見回し、それからゆっくりと玉座へと視線を向けた。


「お父様やお兄様も、分かっていただけましたか?」

「うむ。そなたの言うことはいつも正しいからな。そなたがそうするべきだというのなら、わしはそなたの期待に応えよう」

「……いえ、お父様。そうじゃないんですが……まぁそうですね」


 過程よりは結果――というか、これ以上望むのは無理だろう。

 そう判断して、私は次にお兄様へと視線を向けた。


「お兄様もですよ。私はお兄様が努力家なのを知っています。貴方なら、立派な王になれるでしょう。だから、頑張ってください」

「……ああ、分かったよ、我が妹よ」

「その言葉が聞けて安心しました。では――」


 私が立ち上がると、大臣の一人がお待ちくださいと声を掛けてきた。


「姫様はどこに旅立たれるのですか?」

「それを聞いてどうするつもりですか? 護衛であれば間に合っていますよ?」


 肩に止まっている魔竜を顎で示す。

 いまはこんな小さななりだが、彼の本来の姿は家の大きさほどもある魔竜だ。私自身、魔王と戦って生き残る程度の力量はあるので、並みの護衛など必要はない。


「むろん、存じております。ただ……」


 大臣が視線を泳がせた。

 おそらくは、私の行き先を聞くための言い訳を考えているのだろう。


「……そう、万が一です。万が一姫様に相談するような案件があったときのために、行き先を教えておいて欲しいのです」

「万が一などあり得ませんが……まぁ教えておきましょう」


 私はニヤリと笑い、自分の足下に魔法陣を展開させた。


「私がぶらり旅に選んだのは――異世界です!」

「……は?」

「先日、セシリアと共に世界を渡る魔法陣を共同で開発いたしました」


 刹那、なにをやってるんですか貴方は! 的な視線が賢姫に突き刺さった。


「私が頼んだのです。彼女を責めないでくださいね」


 念のためのフォローを入れる。

 もっとも、賢姫たる彼女に文句を言えるような人間はほとんどいないはずですが。


「そういう訳で、私の行き先は異世界です。万が一の時は……まあ、私を頼っても構いませんよ。私を頼るより、問題解決に力を注いだ方が確実だと思いますけどね」


 こうして話している間にも、足下の魔法陣が光を増していく。

 そんなとき、私をジッと見つめていたセシリアがなにかを呟いた。声は小さく――いや、おそらく声には出していなかったのでしょう。

 その声は私には届かない。

 けれど――私は微笑みを持って応じた。大切な幼馴染みですからね。


「それでは――ご機嫌よう」




 次の瞬間、私は見渡す限りの草原にたたずんでいた。


「ここが異世界ですか。思ったよりもとの世界と変わりませんね」

(我が主よ、その言い草からすると、転移先がどのような世界か知らなかったようだが?)


 私の呟きに使い魔の魔竜――ファフニールが思念を伝えてくる。私はそれに(それがどうしたのですか?)と思念で問い返した。


(いや、それでは転移していきなり死ぬ可能性もあったのではないか?)

(さすがに転移した瞬間に死ぬような世界は除外していますよ。もっとも、人が生存している世界という条件くらいしか設定していませんが」

(我が主ながら適当な)

(それこそぶらり旅の醍醐味ではありませんか)

(まぁたしかに、その通りではあるが……主)


 使い魔の魔竜、ちなみに名前はファフニールという――が首をもたげる。

 その仕草から用件を悟った私はどっちかと問う。


(六時の方向、五百メルほど先だ)


 即座に遠見の魔術を展開し、その辺りを上空から確認する。

 まっすぐに伸びる街道を疾走する馬車の姿が目に入った。周囲には護衛するように併走する騎馬が数頭と、後ろから追い掛けてくる騎馬の集団がいる。


(……馬車が追われていますね。いえ、馬車を追っているのでしょうか)


 現時点ではどちらに正義があるかは不明。

 追っているからとの理由で悪だと決めつけるのは早計です。


(ですが、どちらに正義があるとしても、見かけた以上は捨て置けませんね)

(我が主よ、手助けするつもりか?)

(当然です)

(主よ、ぶらり旅ではなかったのか?)

(そのつもりですが、見た以上は放っておけません。ただ、この世界がどのようなところか不明なので、ことは慎重に運びたいのですが……あまり時間はなさそうですね)


 馬車は既に速度が衰え始めている。

 護衛の騎馬が必死に守っていますが、馬車が止まるのは時間の問題でしょう。


 私は素早く彼我(ひが)の戦力差を測っていく。

 逃げる馬車の戦力は騎馬が二騎と、馬車に乗っているであろう人物のみ。

 対して追っている騎馬隊は八騎を確認することが出来た。


 これがスノウホワイト国の一般的な騎馬隊であれば、私一人、もしくは魔竜のファフニール一頭でも対応が可能ですが……ここは異世界です。

 一般的な騎馬隊がスノウホワイト国の英雄クラスという可能性も零ではありません。


 ですが……馬車や騎馬の速度は私の知っているものと変わらないようです。であれば、騎兵の者達の力量が英雄クラスということはないでしょう。


 私の仲間なら、あの程度の速さの目標なら空を飛んで追い掛けています。もしくは、地を駈けたとしても、あの馬より速く走ることが可能です。

 力だけが異様に強い種族――とかでない限り、私でも対処可能でしょう。


「ファフニール!」


 応と答える思念と共にファフニールが地面に降り立って何十倍にも大きくなる。本来の姿を取り戻したファフニールの背中に飛び乗ると、彼はその翼を羽ばたかせて飛び上がった。


「上空から近付きますよ!」


 ファフニールに指示を出し、高度を取って馬車を追う。

 空に上がってわずか数十秒で馬車の真上まで追いついた。けれど、馬車はついに護衛を失い、攻撃を受けて転倒するところだった。


(主っ!)

「分かっています。貴方はいざというときのために上空で待機です!」


 言うが早いか、私はファフニールの背中を蹴って宙に舞った。手足を広げて風を一身に受けながら、遥か下に見える馬車を目指して落下する。


 重々しい武装は双方を警戒させる結果になりかねない。少し考えた私は魔剣グラムを虚空から引き抜き、後は可能な限りの防御魔術を展開する。

 この間わずか数秒、私は凄まじい音を立てながら地面の上に降り立った。小さなクレーターが発生し、私を中心に砂ぼこりが周囲に広がる。


「な、何事だ!」

「そ、空からなにかが……まさか魔物か!?」

「皆の者、油断するな!」


 砂ぼこりの舞う戦場で、双方の陣営から警戒の声が上がる。私はゆらりと立ち上がり、グラムを一振りして周囲の砂ぼこりを吹き散らした。


「双方、武器を引きなさい! 私は――」


 ……そう言えば、ここは異世界でしたね。

 異世界でリアス・スノウホワイトなどと名乗っても理解されない――どころか、ありもしない貴族を騙る不届き者と認識されかねない。


「私は通りすがりの、通りすがりの……」

(ダメ男製造機)

「そう、ダメ男製造機――って、誰がダメ男製造機ですか!」


 絶妙なタイミングで思念が届いたせいで、思わず変な名乗りを入れてしまった。


「ダ、ダメ男製造機?」

「い、いまのは忘れてください。私は、その……通りすがりに――」

(ならば社畜姫だな)

「そう、社畜姫――違いますよ!?」


(ファフニール、その舌を引っこ抜きますよ!?)

(恐ろしことを言う。食事が楽しめなくなるではないか。それと主よ、我の思念は口から発しているわけではないぞ、社畜姫)

(そうかも知れませんが……って言うか、誰が社畜姫ですか!)

(ぶらり旅を始めて数分で厄介事に首を突っ込む主のことだが?)

(ぐぬぬ……こ、これはちょっとしたイレギュラーです。すぐ終わります)

(まぁ我は構わぬがな。それより、ほれ。連中が戸惑っておるぞ?)

(後で覚えてなさい)


 私はファフニールとの思念での会話を打ち切って、目の前の襲撃者達に視線を戻す。彼らは一様に戸惑った顔で私を見ていた。


「ええっと……空から降ってきた、通りすがりのダメ男製造機な社畜姫、だったか?」

「違いますっ!」

「そうか? 嬢ちゃんはなんだが男をダメにしそうな顔をしているが……」

「ぶっ飛ばしますよ! 大体なんですか、男をダメにしそうな顔って!」


(くく、言われているな、我が主よ)

(大体貴方のせいではないですか! もう、黙っていてください!)


「――こほん。私はリアス。通りすがりのリアスです。決してダメ男製造機でも、社畜姫でもありません。なにやら問題が起きているようなので、放っておけなかっただけです。それで、これは一体どういう状況なのですか?」


 追っ手側に問い掛けるが反応がない。

 正確には「通りすがり?」「いや、空から降ってこなかったか?」「放っておけなかったってワードがダメ男製造機とか社畜っぽい」なんて失礼なやりとりは聞こえてくる。

 私は取り敢えず電撃の魔術を放って、一番失礼な口を利いた男を気絶させた。


「言いましたよ、ぶっ飛ばしますって」


 男達は沈黙。

 誰もなにも言わなくなってしまった。


 私は続いて、転倒した馬車へと視線を向ける。馬車からはちょうど、ドレスを身に纏った十代前半くらいの少女が這い出してくるところだった。

 私は彼女の側へと歩み寄り、その身体をひょいっと抱き上げた。


「貴方、怪我はない?」

「え……? あ、貴方は?」

「私は通りすがりのリアスです。決して厄介事に深く首を突っ込むつもりはありませんが、怪我はありませんか? 少しなら治療することも可能ですよ?」

「――っ。で、では、メアリを助けてください。馬車が転倒する瞬間、わたくしを庇って大怪我を負ったのです!」

「馬車の中にいるのですね? 心得ました」


 少女をゆっくりと地面に降ろした私は、そのまま壊れた馬車の中を覗き込み、そこで血まみれになって倒れていたメイドを連れ出した。


「額が割れていますね。このままでは跡になりますが……貴方、意識はありますか?」

「う……ぁ、お嬢様、は?」

「心配ありません、無事です。それより、意識があるのならこれを飲みなさい」

「……これ、は?」

「治癒のポーションです」


 ポーションを飲ませると、メアリと呼ばれたメイドの表情が安らいだ。ひとまずはこれで大丈夫だろうと、彼女を馬車の残骸にもたれ掛からせる。

 それから再び、ドレス姿の少女へと視線を向ける。


「さて……お待たせしました。申し訳ありませんが、状況を説明してもらえますか?」

「状況、ですか? むしろこれはどういう状況なのでしょう?」


 私達を遠巻きに――さきほどより、心なしか包囲の輪が広くなっている。そんな騎馬達を不安そうに眺めつつ、少女は困惑している。


「馬車が転倒したのだから混乱するのも無理はありませんね」

「い、いえ、そうではなく、どうして彼らはあんなに怯えているのですか? それに、あの大きなクレーターはなんでしょう?」

「――私は貴方の馬車が追われているのに気付いて介入させていただきました。ただ、追っている方が悪人だとは限らないでしょう? ですから、両方の言い分を聞きたいのです」

「ええっと……つまり貴方は、正義の味方、という訳でしょうか?」

「いえ、ただ単に必要最低限の判断材料は必要かと思いまして。でも、決して深く首を突っ込むつもりはないので、あくまで最低限で――」


 最後まで口にすることは出来なかった。

 目の前の少女が私にしがみついてきたからだ。


「わたくしを助けてください! わたくしの名はエリス・アーネット。アーネット公爵家の娘で、隣国との平和を望む使者でございます!」

「……使者、ですか」


 たしかに、少女の身に付けているドレスは高価なものだ。生地自体はそこまでではなさそうですが、その縫合は明らかに一流の針子がおこなっている。

 馬車にも紋章があるし、貴族の娘というのは事実でしょう。


「それで、そっちの貴方達の言い分はどうなのです?」


 私の問い掛けに、追っ手の者達はざわめいた。なぜだか、私を見る彼らの瞳には怯えが見える。たしかに気絶させたのは乱暴でしたが、そこまで怯えなくても良いと思います。


「誰か、答えてはくれませんか?」


 根気強く問い掛けると、一人の男が進み出てきた。

 身なりからして、彼らの隊長かなにかでしょう。


「お嬢ちゃんは敵に回しちゃいけねぇって気配がビンビンしてるんですがね。嘘を吐いても無駄だろうから正直に言いましょう。彼女の言っていることは本当ですよ」

「つまり、貴方達に正義はない、と?」

「いいや、俺達には俺達の正義がある。その娘が平和を望む使者だと言うのは本当ですが、俺達の主はその平和が偽りだと考えているんでさあ」

「――そ、そんなことはありません! わたくしは――」


 少女が反論しようとするが、私はそれを手振りで止めた。

 正義というのは人の数だけ存在するし、平和はただ願えば手に入るものでもない。

 それこそ、盗賊だって仲間の飢えを凌ぐためという正義が存在したりする。その正義が他人の共感を得られるかは、また別問題ではありますが……


「貴方達は、その正義のために年端もない娘を殺すというのですか?」

「そう言われると苦しいな。だがその娘は平和の使者だ。覚悟ある人間に女も子供も関係ない。少なくとも、俺はそう考えているんですわ」

「……そうですか」


 どちらの言葉にも嘘は感じられない。

 であれば、双方が望むのは平和。ただ、手段が違うだけと言うわけですね。


 少女の言葉の方が綺麗に聞こえますが、王族として言わせてもらえばそれが必ずしも正しいとは言い切れない。私が魔族を滅ぼしたように、相容れぬ相手は必ず存在する。

 ……情報が足りませんね。


(我が主よ、忠告しておくが、そうやって首を突っ込むから泥沼にはまっていくのだぞ?)

(分かっていますが、ここで放り出すわけにはいきません。せめて、この状況を収めるくらいはしないと寝覚めが悪いではありませんか)

(人間はそれをフラグと言うそうだぞ?)

(早急に片付けてぶらり旅を再開するので大丈夫です!)

(再開もなにも、まだ始まってすらいないと思うがな)

(よけいなお世話です! いいかげんにしないと晩御飯抜きですよ!)


 ファフニールを黙らせて、私は再び襲撃者の隊長らしき男へと視線を向ける。


「さて……困りましたね。私の持っている情報では、どちらにより正義があるか判断できません。この場で話し合う余裕もありませんし、この場は矛を収めていただけませんか?」

「それは……エリスを見逃せということですかね?」

「端的に言えばそうなりますね。その代わり――」


 後に私が彼女と交渉するパイプ役になる。そうすればより良い平和のための話し合いも出来るでしょうと、私の考えを口にすることは出来なかった。

 隊長らしき男がいきなり斬り掛かってきたからだ。


「……どういうつもりですか?」

「はっ、いまの一撃は結構自信があったんだが……眉一つ動かさずに受け止めるか」


 私と鍔迫り合いをしながら、男がぐっと唇を噛んだ。


「私は、どういうつもりか聞いているのですが?」

「嬢ちゃんには悪いんですがね。ここでエリスを殺さなければ手遅れなんでさぁ。お嬢ちゃんに勝てる自信はないんですが、ここで引くわけにはいかないんですよ」

「……なるほど。では貴方達には悪いですが、私は彼女の味方をするとしましょう。あのように幼い娘を見殺しにするのは寝覚めが悪いですからね」

「はっ! そういうは差別っていうんですよっ!」


 彼は跳び下がるなり剣を引いて、出来た空間で剣を振るった。

 その一撃を難なく受け止めるが――


「やれ、おまえ達っ!」


 彼の仲間達が小さな魔導具をいくつも私の足下に放った。


「嬢ちゃん、悪いんですが、俺と心中してもらいますよ」

「……あら、思ったよりも思いっきりが良いのですね」


 刹那、足下の魔導具が魔力を暴走させた。

 一つ、二つと連鎖して、それが炎となって周囲を焼き尽くす。煙と砂ぼこりが広がり、さきほどまで私がいた場所を覆い尽くしている。


「……やった、のか?」

「ああ、さすがにあの炎と爆風を喰らって生き残ってはいまい。だが……隊長もろともに吹き飛ばす必要があったのか?」

「いうな。隊長の指示だ。それに……明らかにただ者ではなかった」


 追っ手の連中が爆心地に向かって黙祷を捧げる。それが隊長だけに対するものか、それとも全員に対するものか、どちらにせよ――


「倒したと安堵するのは早計ですね」


 私がそう告げると、彼らは一斉に振り返った。

 そして、そこにある光景を前に彼らは目を白黒させる。


「馬鹿な……なにがどうなっている」


 呆然と呟いたのは、私と相対していた隊長だ。彼は私と相対したまま、そしてエリスとそのメイドはさきほどまでと同じ姿勢で、爆心地から離れた場所に移動していた。


「なんてことはない。ただ、周囲にいる人間を纏めて転移させただけです」

「転移だと? 馬鹿な、その魔術は一人移動するのが限界のはずだ!」


 なるほど。この世界にも転移魔術は存在するようですね。

 そうすると、もとの世界と文明がそこまで掛け離れているわけではなさそうだ。


「驚いているところを悪いのですが、まだ終わっていませんよ?」

「くっ、総員、死に物狂いでエリスを狙えっ!」

「それはさせませんっ」


 魔術で身体能力を引き上げ、地面を蹴ってエリスに襲いかかる男の一人を魔剣グラムの腹で叩き伏せた。その勢いを殺さず、次の男の鳩尾にグラムの柄を叩き込む。

 そこから更に縮地を使い、三人目の男を無力化。バックステップを踏みながら、電撃の魔術を放って四人、五人目の男を痺れさせる。更に剣を振るい、六人目を無力化。

 最後に隊長の首筋に剣を突きつけた。


「終わりです」

「いいや。こっちは人数で勝っているんだ。嬢ちゃんがいくら化け物じみた能力を持っていても、俺達全員を殺しているあいだに――」


 誰かがエリスを殺すと言いたかったのだろう。だけど、彼がそのセリフを口にする途中、一人、また一人と膝を屈してくずおれていく。


「な、なにをした!?」

「安心してください、峰打ちです」

「そんなことを聞いているんじゃない、どうしてあいつらが倒れたのかを聞いているんだ!」

「ただ順番に倒した、それだけです」

「馬鹿な、そんなことがあるはず……」

「貴方が信じずとも、それが事実ですよ」


 彼の耳元で指を鳴らして魔力の波動を生みだし、その衝撃波で彼の意識を刈り取った。

 そうして全員が動けないことを確認して、私はエリスへと向き直った。彼女はぽかんと呆気にとられていたが、私の視線に気付いて深々と頭を下げた。


「た、助けてくださって、ありがとう存じます」

「いえ。まぁ……成り行きですからね。気にする必要はありません」

「いいえ、貴方が来てくださらなければわたくしはもちろん、メアリも死んでいましたから。それで、誠に勝手なお願いですが、もう一つ助けていただけませんか?」

「なんでしょう?」

「わたくしの護衛が生きているのなら、救っていただきたいのです」

「あぁ、そのことですか。残念ですが……」


 サーチの魔術によって、馬車の護衛をしていた騎兵達は全員の死亡を確認している。


「そう、ですか……」

「力に成れずにすみません。私がもう少し早く駆けつけられたら良かったのですが」

「いいえ、そのようなことはありません。……わがままを申しました」


 エリスはその瞳に深い悲しみを湛えてなお、私を気遣うような素振りを見せた。見かけは十代前半の小娘なのに、ずいぶんとしっかりとしているようだ。

 ……いいえ、強がっているだけですね。

 彼女のスカートの裾が握られた拳によって皺になり、波打つように小刻みに揺れている。


「コホン。それで、この襲撃者達はどうしますか?」

「……生きているのでしょうか?」

「はい。全員無力化しただけで命に別状はありません。貴方が望むのなら、全員始末することもやぶさかではありませんが――」


 みなまで口にするより早く、彼女は首を横に振った。


「やり方は違えど、彼らもまた平和を望んでいる同志です。であれば、話し合いが出来るかもしれません。彼らの主へ伝言を頼みたいので、解放していただいてもよろしいでしょうか?」

「私は構いませんが……良いのですか?」


 護衛の仇ではないのかと問い掛ければ、彼女は悲しげに唇を噛んだ。


「たしかにその通りです。護衛はわたくしのために命を投げ出しました。そんな彼らの仇を逃がすことを、彼らの家族は許してくれないかもしれません。ですが……」


 スカートが再び小刻みに波打つ。

 彼女もまた、平和のために犠牲を支払う覚悟を持つ人間のようですが、おそらくはまだ十二、三歳くらい、あまりに幼すぎます。

 彼女にこのような重責を負わせるのは忍びありません。


「合格です」


 私は努めて柔らかな笑顔を浮かべた。


「……え?」

「貴方は平和を望むと口にしていました。にもかかわらず、不必要に敵対した相手を殺すと判断したのなら、私は貴方を情に流される弱い人間と見做して協力を拒んだでしょう」

「え、あ……そう、ですか」


 どう言えば分からないといった困った顔。

 だけどそれで良いのです。


(彼女が殺せと命じていたら、我が主の協力が得られなかった。つまり、彼女が敵を生かすと判断したのは仕方のないことであり、同時に正解でもあった。そういう名分を作ったのだな)

(幼い娘にこのような重責を負わせるのはあまりに不憫ですからね)

(我が主、かつての自分と、その娘を重ね合わせているのではないか? そうやって世話を焼くから、周囲が主に頼るようになるのだぞ?)

(あーあー、聞こえません)

(思念が聞こえないはずあるか。まぁ……主の人生だ、好きにするが良い)


 なんてやりとりをしていると、エリスが私の手を掴んだ。敵意を感じなかったために、思わずそれを許してしまう。


「貴方は……優しいのですね」

「うん?」

「私の気が軽くなるように、そのようなことをおっしゃったのでしょう?」

「貴方の気のせいです」

「はい、そうですね」


 気のせいだといっているのに、彼女は嬉しそうに笑う。彼女どうやら、しっかりしているだけではなく、ずいぶんと聡いようですね。

 いまはまだ幼いけれど、10年ほどすれば傾国級の美女へと成長するでしょう。


「では、彼らが起きる前にひとまず拘束しておこう。それから伝言を伝えて……その後は、貴方を最寄りの街まで連れて行けばよいですか?」

「よろしいのですか?」

「それ以上は首を突っ込みませんけど、それくらいなら、まぁ」

「ありがとうございます!」


 目をキラキラと輝かせる。

 こうして見ると、エリスは本当に幼く見える。


「貴方はなぜそんなにも幼いなりで、平和の使者なんて重役をになっているのですか?」

「あはは……」


 苦笑いを浮かべる。

 その顔を、私は何処かで見たことがあるような気がした。


「よければ、教えてくれませんか?」

「……たいした話ではありませんが、わたくしは人よりも少しだけ器用なんです。それで人に頼られて、気付いたらあれこれ任されていて……」

「気付いたら、あれこれ任されて……」


(我が主よ……)

(分かっているから言わないで)


「わたくしも人に頼られると、なんとかしたいと思ってしまって。必死にあれこれ出来ることをこなしていたら、この歳で使者を任されるまでに至ってしまいました」


(若かりし頃の主にそっくりだな)

(言うなって言ってるでしょうがっ!)


「人材が不足してるわけじゃ……ないんですよね?」

「ええ、もちろんです。たしかにわたくしは人よりも器用でなんでもこなせますが、なにか一つにおいてわたくしより優れた人間などいくらでもいます」

「それぞれの分野に優れた人間がいるのに、その人間にまでなぜかあなたが頼られる、と?」

「え、えぇ……よく分かりますね」

「――くっ」


 不憫な子っ。

 この子もやがて、気付いたら貴方の方が適任だと言って王位を譲られそうになったり、貴方にしかできないとか言われて魔王討伐の先頭に立たされたりするんですね。

 ……いえ、この世界に魔族や魔王がいるかは知りませんが。


「いまは領地の一つを任されているんですが、なにぶん政治には疎くて……」


 既に領地を任されていました!

 ノウハウもなにもない状態で領地経営なんてむちゃくちゃ大変なんですよ。なのに、相談役とかに相談しても、貴方が導き出した答えこそが正解なのですとか無茶振りされるんです。


(不憫だのぅ)

(ホントにね)

(いや、我が主のことだが)

(うるさいですよっ!)


「えっと……そうですね。街へ行くまでのあいだであれば、色々と相談に乗りますよ?」

「本当ですか!?」

「え、ええ。こう見えても私、少しなら領地経営のノウハウもあります。どこまで役に立てるかは分かりませんが、貴方の話し相手くらいにはなれるでしょう」

「嬉しいですっ、ぜひお願いします!」


 よほど嬉しいのか、彼女は目をキラキラと輝かせる。やはり彼女には相談役というか、頼れる人間があまりいなかったのだろう。



(深入りしないと言ってなかったか?)

(大丈夫、街へ送る間だけです。絶対に深入りはしない、しませんから)

(完全にフリではないか)

(フリじゃないし、私はぶらり旅を満喫するんです! それに、あまり私が首を突っ込んで、私に依存するようになったら彼女のためにもなりません)

(彼女はそなたの家臣とは違って、むしろ自分で抱え込もうとしているようだが?)

(……それだったら手伝ってもセーフでしょうか?)

(アウトだと思うが……我が主の人生だ。好きにしたら良いのではないか?)

(まあ……先のことは街についてから考えましょうか)


 ひとまず、私は別のことを考えようと周囲に視線を向ける。

 目に入ったのは、色々あってボロボロになった馬車。どうやら、まっすぐな車軸に車輪をはめるという、凄まじく旧式な作りのようだ。

 ……あんな作りだと、馬車に乗るのも一苦労でしょうね。少し改良したら揺れも減るし、馬が引く労力も減って、輸送なんかの効率も上がりそうだけど――


(……主?)

(いえ、考えてるだけ、考えてるだけで首は突っ込みませんよ?)


 私はぶんぶんと首を振って、気絶している襲撃者達を拘束する作業に戻った。

 

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通りすがりの社畜姫 緋色の雨 @tsukigase_rain

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