幽霊の日 後編



 みんなの目に映る構図は。

 一つ目の事件そのもの。


 まるで、被害者だけを挿げ替えた再現VTR。


「蚊がとまってたんだよ。わりい、力加減がひでででで!」

「ウソつくならもっとましなウソつきなさい!」


 耳たぶ、そうやって下に引かれると。

 必然的に膝をついての年貢納めスタイルになる。


 そんな俺たちの前に。

 サークルミステリの定番。


 パイプを咥えた名探偵が歩み寄ってきた。


「……そうね、犯人の立哉さん。つくならもっと理論的な言いわけをすべき」

「なあ、左右に歩きながらしゃべるのやめてくれねえか?」

「……これ無くして探偵の価値などあろうか。いや、無い!」


 そこまでこだわんなくても。


 アメリカンドッグ、棒を口に向けて。

 パイプみてえに握ってるけど。


 手。

 油でギトギトんなるぞ?


「……と、言う訳で。突き飛ばした理由を聞きたいのだが?」

「だから、蚊が……」

「……聞きたいわよね? …………真犯人も」


 名探偵春姫ちゃんが。

 その目で見つめる、真犯人と断定した相手。


 もちろんそれは。

 耳を引かれて床に頬を付けた俺。



 ……ではなく。



 俺と、キッチンラックとの間に立って。


 わたわたしてる。




 舞浜だった。




 お前さ。

 なんで俺と一緒に飛び出してきた?


 せっかく黙っといてやったってのに。


「……お姉様。ちょっとカニさんしてもらえる?」

「ア、アサヒガニは、前後にしか動けない……」

「……だったら後ろに動いてみるがいい」


 舞浜の後ろには。

 件のキッチンラック。


 そいつの方に。

 一歩たりとも進めるはずもない真犯人は。



 とうとう。



 名探偵春姫ちゃんの前に。

 年貢納ミングスタイルで観念することになった。



 そんな真犯人の横に立って。

 キッチンラックを避けた春姫ちゃん。


 ぱっと見、どこも不自然じゃない床板に。

 目を凝らして、ギザギザ線を見つけると。


 細い指一本で押しただけで。

 めきっと真っ二つに割ってしまった。


「……これを隠していたのね?」

「ごめんなさい……」

「……すべての点が線でつながった。私が皆様に真相をお教えましょう」

「のりのりだな」

「……この悲劇は、最初にお姉様が床板を踏みぬいたところから始まったのだ」


 そう。

 こいつの足の切り傷は。


 おそらくその時に出来たものだ。


「……それを隠すために、床板をそれっぽく元に戻してラックで隠した。そうですね、お姉様」


 名探偵の問いかけに。

 なにも返事をしない真犯人。


「……そんな犯行現場の事を、いつも気にかけていたのでしょう。お姉様は廊下を通りかかった時、床をぎしりと鳴らす音を偶然耳にした」


 あの扉が廊下側に開くことは誰でも知ってたわけだから。

 それはそれは勢いよく開け放ったことを簡単に想像できる。


「……そして、件のキッチンラックに今にも背中が当たりそうになったお母様の事を突き飛ばし、第一発見者のふりをして、その場で立ち尽くしたのだ」


 まあ、実際にはアリバイ工作として。

 俺にやたら短いメッセージを送って来たんだけどな。


 でも。


 それに信憑性を持たせようとした小細工がまずかった。

 だから俺は、すべての真相に気付いたわけなんだが。



 ……春姫ちゃんのひとり舞台に。

 誰もが目を奪われている中。


 床であぐらかきながら見上げる凜々花が。

 せんべい齧りながら手をあげる。


「どっから持って来たんだよ歌舞伎揚げ!」

「ねえハルキー! んじゃ、凜々花を落っことしたのも舞浜ちゃん?」

「……そうなるかな? だが、動機が見当たらない」

「そうそう! 凜々花、舞浜ちゃんが嫌がるうみぼうずの話してただけなんだけど全然理由が見当たんなくて……」

「……そんなスピード解決。探偵の楽しみを奪ってどういうつもりだ?」


 なにが? って顔してる凜々花をみんなして呆れながら見ているが。


 そう。


 凜々花を突き飛ばした黒髪の怪人も。

 ワカメを頭にかぶってた舞浜だ。


「まあいいや。そんじゃ、ハルキー落っことしたのは?」

「そ、それは、ごめんね春姫……」

「……ふむ。慌てて助ける気でやったのだな?」


 とうとう自分の口から真相を語り始めた舞浜は。

 みしりと床を鳴らしながら立ち上がる。


「凜々花ちゃんが、大変だーって。春姫がロープで宙づりで下ろせないーって走り回ってたから……」

「よく場所分かったな」

「テ、テルテルごっこ、私も手伝ったから……、ね?」

「……ならば声ぐらいかければ良かろう」

「だって、包丁で切れるのか分からなくて、試してみたらあっさり切れてびっくりして……」

「……それで私に叱られると思って逃げたしたのか。お姉様らしい」


 ため息をつきながらテーブルから下りた名探偵が。

 未だに妹に気を使う真犯人に近寄って。

 その肩に手を添える。


 すげえ見慣れたシーン。

 ここでスタッフロールからの。

 屋敷の窓から飛び出したドローン映像。


「お前まさか、その慰めシーンもやってみたかったって話じゃねえだろうな」

「……ばかもの、私だってそこまで冷血ではない」


 確かに、俺をにらみつける春姫ちゃん。

 寂しさと嬉しさを半々にしたような顔してるし。


 こいつは軽口が過ぎた。

 ゴメンな?



 しかし、舞浜の奴。

 この三日間。

 ろくに眠れなかったことだろう。


 三つの犯行、全部。

 いつ叱られるかって、びくびくしっぱなしだったに違いねえ。


 いや。


 一つ目の犯行の、もっと前。

 床踏み抜いたことも同じか。


 こいつがバレたら。

 うちのお袋からこっぴどく叱られるって思ってたろうからな。


 ……最後の最後、庇いきれなかったし。

 せめてそれくらいは守ってやらねえと。


「なあ、お袋。悪気があってやったわけじゃねえんだ。床踏み抜いたのは大目に見てやってくんねえか?」


 床に這いつくばったまま、そう口にすると。

 しょうがないわね、なんてため息つきながら。


 お袋は、いつもの調子で説教始めやがった。


「秋乃ちゃん、危機管理能力を身につけなさい。トラブルは、発生するものなの。できる女は、まずその件を上長へ報告しつつ、マニュアルに従って……」

「で、でも……」


 舞浜の奴、黙って聞いてりゃいいものを。

 対処を間違えやがった。


 『でも』って言葉は。

 お袋に厳禁。


 ほらみろ。

 途端に、俺の耳を掴んだ指が震えだして……。


「いたたたたたたっ! もげるもげるっ!」

「話の途中で言い訳しない! 自分の意見は上長の指導に百パー賛同して、謝罪の後に伺いを立てつつねじ込むものよ!」

「テクニック論はいいから! 上長、耳がっ! これ以上伸びたりしたら!」

「でも、あの。……こ、今回のは、その、見つかったらその時点で……」

「舞浜はごちゃごちゃ言ってねえで早く逃げろ! 俺の耳が福禄寿になる前に……っ!」

「その時点で? なに!」

「わ、私のお願い……。保坂君、家具を壊したら、お願い聞いてくれないって言ったから……」



 え?



「俺のせいかよ!」

「そ、そう……、かも?」

「こら立哉! 女の子を脅迫するなんてあんた、なんて卑怯な真似を……!」

「いてててててっ! 脅迫じゃねえだろ!?」

「いいや、脅迫よ! お願いを聞いて欲しくば言うことを聞けなんて……!」

「なんかおかしくね!?」


 なんだこれ、結局俺のせいになってやがる!

 冗談じゃねえぞ舞浜!


「幽霊の」

「正体見たり」

「バカ」

「おにい」

「だからなんでバカって言うんだ!」


 そしてこの酷い言い草も。


 他の奴なら。

 ギリ許す。


 だが。


「こら! お前に言ってんだ舞浜! バカとはなんだバカとは!」


 散々ひっかきまわしといて。

 これだけのことしておいて。


 それを全部俺のせいにして。

 挙句にバカ呼ばわりだと!?


 このやろう!

 ニヤニヤ笑ってんじゃねえ!



 もう、お前のお願いなんてぜってえ聞いてやらねえ。

 俺は床に押し付けられて耳の痛みに耐えながら。



 最後に小さく手を合わせて頭を下げる舞浜を。



 いつまでも罵倒し続けた。



「ちきしょう! お前よりお化けの方がまだましだ!」



 ……厄介な女。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 俺の目には。

 そんな女のアップの顔から。


 窓の外に飛び出して。

 この別荘と砂浜を空から撮影する。


 ドローンの映像が見えた気がした。


 

 ……なあ。


 そんな映像の中。

 流れるスタッフロールの。

 脚本家。



 お前の名前が書いてあった気がするんだが。



 気のせいだよな?




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 散々だった家族旅行。

 いや、二家族旅行。


 三列シートの一番後ろ。

 荷物と土産物に埋もれた俺は。


 なんとも複雑な思いで。

 クッキーを齧る。


「お、おいしい……、ね?」

「うまいけど。いいのか? お土産貰っちゃって」

「ひ、一人じゃ食べきれない……」


 そう言いながら。

 クマの耳部分を差し出す舞浜は。


 土産物屋での事件を未だに引きずって。

 どこか寂しげに見えた。


「まったく……。お前、この旅行中壊しまくりじゃねえか」

「う、うん」


 窓の外を、規則正しく流れる明かりが。

 俯いた舞浜の頬を照らす。


 美味しいと言う言葉とは裏腹に。

 小さくもぐもぐとクッキーを齧る頬が。


 まるで機械のように精密に。

 ただ、決まったリズムで上下に揺れていた。



 ――帰りに寄った、どこにでもあるような土産物屋で。


 理でしか動かないお袋から出された絶対命令。



 お小遣いを決して使わない事。

 お金は出すから一人千円未満の物を一品のみ選ぶこと。



 ああいうところで土産物を見てると。

 ついつい、いらんものを買ってしまいがち。


 さすがお袋。

 冷たいようだが正しい判断だ。



 そんな指示に従って。

 舞浜が選んだ二つの品は。


 小さな、西洋ダンスを模した小物入れと。

 やたらと大きなクマの顔のクッキー。


 両方だと予算オーバー。


 こいつは、俺が後ろで見ているのも知らず。

 悩みに悩んで、ようやく頷いて。


 小物入れを胸に抱いて。

 クッキーを棚に戻そうとしたところで。


 ……バキッとやって。


 俺を爆笑させたんだ。



「……割っちまったもんはしょうがねえけど。クッキーで良かったのか?」

「うん。だって、こっちの方がお土産になるから……、ね?」

「意味分からん。無くなっちまうのに?」


 タイヤのベースが早いビートを刻む中、車内を微かに漂うのは。

 最新ヒットチャートという名の、俺にとっては随分懐かしい音楽。


 大人三人は盛り上がりながら。

 らららとんんんで出来た詞を。

 首を左右に歌い続ける。


「だって……、お土産って、ね?」

「ん?」

「お友達にあげるものだから……」


 舞浜の切れ長が俺の様子をうかがっている。

 そんな気配を感じたから。


 一緒に出掛けたやつに買うわけねえだろ、なんて返事は。

 クッキーと共に飲み込んだ。


 ……そして今更。

 舞浜が抱えているのが、俺のワンショルダーバッグだってことに気が付いて。


 膝の上に乗ってた舞浜のトートバッグから。

 寄り掛かってた肘を、なんとなく浮かせながら。


 やっぱり。

 初日に抱いた願いを口にするなんて。


 今日の俺にはどうにも無理だと。

 諦めることに決めた。



 だって。

 無理なんかすることねえ。


 答えは、ちゃんと出た。



 友達の境界線。


 やっぱり。


 こんな恥ずかしい思いをするようなもんは関係ないって。

 それが分かったから。



 ……舞浜は。

 友達と食べたかったお土産をまたひとかけら手折る。


「暗い? 見える?」


 ふらふら手をさまよわせてようやく受け取ったけど。


 暗かろうが何だろうが。

 まだそっちを向けない俺には一緒。


「おいしい……、ね」

「おお」


 きっと、このバッグの香りだろう。

 ぜってえそうだ。


 そんな洗い髪の香りが。

 今更鼻にまとわりつく。


 そして、こくんと喉を鳴らした舞浜が。

 少しだけ身を寄せて。


 囁くように聞いてきた。


「……私が犯人だって、いつ気づいた……、の?」


 よかった。

 またお願い聞いてくれって言われるかと思った。


 何を言われたって面倒でしかねえってのに。

 今の俺なら二つ返事で了承しそう。


「三つ目のは、後姿見たから」

「そっか……。二つ目のは私しかいなかったから分かるだろうけど一つ目のは?」

「なんで曇ってるのに、満天の星空なんて写真送って来たんだ?」


 ああしまった、なんて。

 くすくす笑い始めた舞浜は。


 肩の力を抜いた衣擦れと共に。

 携帯の画面を見つめる。



 かつて、俺が目を奪われた。

 可愛らしいカバーの携帯。


 俺たちが。

 他人から友達になった。


 そんな境界線。



「じゃあ、曇り空の写真も持っておかないと……、ね?」

「なぜアリバイ作り前提?」

「だって、犯罪は完璧にしないと……。また、友達に庇ってもらう事になるから」


 四連休の下り車線。

 稀にしかそそがないヘッドライトからの光が。

 舞浜の髪を一瞬だけ金色に染める。


 友達想いの優しい怪人が。

 逆光の中だってのに。

 嬉しそうに微笑んでいるのが俺には分かる。


「やっと、こっち見てくれた……、ね?」

「ん? そ、そうだったか?」

「そう。……だって、お礼言えなくて、困ってたから……」


 そして、こくりと頭を下げた舞浜は。

 口を開いて、一旦それを閉じて。


 恥ずかしそうに。

 むにむに唇を動かした後。


「…………ありがと、庇ってくれて」

「おお」

「黙っててくれて」

「そうだな」

「……ありがと」


 やり切った感のこもったため息で。

 お礼とやらの終了を俺に宣言した。



 ……緊張してたのかな。

 でも、舞浜から鼓動は感じない。


 だって。

 俺の鼓動がうるさすぎて。


 目を逸らすタイミングが分からない俺は。

 背後からの一瞬の明かりで。


 舞浜が、前の席。

 その背もたれに目を向けていることに気が付いた。


 その先に座る春姫ちゃん。


 凜々花と舞浜母に夢中で話す思い出に。

 幾度も登場する言葉。

 それは、俺の下の名前。


「……き、決めた」

「はい?」

「や、や、やっぱり。……お願い、言うね?」

「お願いって、それのことか?」

「え?」


 暗くて見づらいかもだから。

 俺は、舞浜の目の前まで手を伸ばした後。


 ゆっくり人差し指を伸ばして。

 舞浜の膝の上。

 ワンショルダーバッグを指し示す。


「な、なん……、で? これがお願い?」

「ああ、お前のお願い。そのファスナーの中に入ってる」


 長いまつげが二度三度。

 音を鳴らして、バッグを見つめて。


「しょうがねえから叶えてやるよ。一番上に入ってる」


 そして、バッグの中から。

 舞浜は、自分のお願いを取り出すと。



 その切れ長の目が。

 これでもかと大きく見開かれた。



 ……窓の外を、規則正しく流れる明かりが。

 舞浜の頬を照らす。


 陶器のような肌には。

 すうっと光る一筋の涙。



 そんな舞浜が。

 大事そうに両手に乗せたもの。


 ……小さな。


 西洋ダンスを模した小物入れ。



「な、なんで……? 私にくれるって……」

「だって。…………土産って、友達に買うものなんだろ?」


 さっき、照らされていた時には見当たらなかった。

 俺のバッグにできたシミ。


 それが、舞浜の姿が世界に現れる度。

 いくつもいくつも増えていく。


「ばかやろう、泣くなって。いつも言ってんだろ、笑えっての」

「……笑っ……、てる、よ?」


 そして、十秒に一度だけ。

 俺に姿を見せる天使は。


 最後に、長い髪を翻したスナップ写真になった後。


「や、やっぱりお願いを……」


 ぐいっと俺に身を寄せて。

 小物入れを、ぎゅっと胸の前で握りしめながら。


「た……、たつ……」


 バキッ



 ……小物入れの足を。

 ぽっきり折りやがった。



「うはははははははははははは!!!」

「ごごご、ごめんなさいっ!」

「いや、そんなのくっ付ければ済むだろうけど……!」

「そ、そうだよね……。そ、それで、あの……」

「でも。家具壊したから、お願いは聞いてやらねえ」



 そして、俺の言葉から。

 次の十秒目が訪れると。



 目の前には、風船みたいに膨れ上がった舞浜の顔があった。



「うはははははははははははは!!!」



 ま、そのうち、な。

 お前のお願い、聞いてやるから。



 でも、今日の所は却下だ却下。




 ……だって。



 まだ、お前に名前で呼ばれるなんて。



 照れくせえから、な。






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