第14話 そして愛の告白は悲劇で終わる

 ざあっと降りしきる雨つぶを雨ケ崎はふと眺める。


 名前に雨という文字が入っていても彼女はこの天候があまり好きではない。むしろ片頭痛とだるけを生むので嫌っている。


 もうひとつ、自分の陰湿な性格を思い出してしまうのも雨天を嫌う理由だろう。

 そんな憂鬱な表情をしていたときに隣から声をかけられた。


茜香せりかちゃん。先輩の話、ちゃんと聞いてた?」

「……いえ、まったく」

「野崎は優しいし格好いいって評判だし、あたしもそう思う。来年には卒業だからつき合うならいまじゃない?」

「野崎って一途だよな。茜香せりかちゃんが入学したときから、ずっと声をかけられなかったんだって。だからさ、俺たちも協力しようって」


 野崎なる男の正面に立たされて、左右それぞれ彼の協力者がいる。はあ、とため息をつくのも分かる嫌な組み合わせだ。

 校舎裏の軒下には雨の匂いが満ちており、大きな水たまりが無数の波紋を広げる様子を雨ケ崎はじっと見つめた。


 途中までついてきた同級生の姿はもう見えない。なにがおかしいのかクスクスと笑いながら離れてゆき、それがまだ耳に残っている。


「じゃあ、おつき合いしよっか」

「私に対する憧れと交際にどのような関係が?」

「大丈夫大丈夫、俺って一途だし浮気なんてしないから。他の男ってさ、あんまり信用できないよ? 自己紹介もちゃんとしたいし放課後に待ち合わせして、そのままクラブにでも行こっか」


 不自然に日焼けした野崎なる男が白い歯をこぼす。賛同するように左右から「いいね!」とか「楽しみー!」という声が聞こえてきて、頭痛がさらに強まるのを感じた。

 怒ってはいけないと己に言い聞かせながら雨ケ崎はゆっくりと唇を開く。


「すみませんが、交際の相手は私が決めます。野崎先輩のことを魅力的とは思えませんし、ましてや……」


 どすんっと肩に腕が乗ってきた。よろけるほどの重さであり「そっか」と笑いながら野崎は顔を寄せてきた。


 瞬間的にゾッとする。

 肩の震えを悟られたくなくて身をよじっても男はビクともしない。それどころか身体を順番に上から下へと観察されてゆく。観察は体操服から覗く真っ白い太ももまで移り、ようやく視線が戻った。


「じゃあ、お試し期間にしよ? 嫌だったら明日にでも断って、クーリングオフ? とかそういう流れにしよっか。それなら茜香せりかちゃんも安心だし」


 ぐっと息が詰まる。さりげなく触ろうとしてきたし、腕で防いでも相手は気にする様子などない。そして彼の腕に警戒していたぶん他の注意がおろそかになりつつあった。


 薄暗い周囲がさらに暗くなり、嫌な予感がした瞬間――どんっと全力で突き飛ばしていた。


「…………いってぇ」


 尻もちをついた先で、ばしゃんと水たまりが波紋を広げる。途端に左右にいた者たちの笑顔がすうっと消えて、凍てついた空気に変わったことに言いようのない不安が胸に広がってゆく。

 ゆっくりと男は立ち上がり、そして陰った笑顔でこう言った。


「じゃあ、決定ってことで。お試し交際の始まり――」


 むんずと横合いから彼の腕が掴まれた。

 この場にいた者たちは一人残らず視線を横に向ける。

 すると体操着を雨で濡らした男が野崎を睨みつけていた。思わぬ乱入者への戸惑いから立ち直り、上級生の男は笑う。


「出たよ。ストーカーってお前だろ。こいつの名前、なんて言ったっけ。根性?」

「惜しいー。確か群青とかって聞いたな。だろ?」


 ハハハと笑われるあいだも彼は表情を変えない。

 どうやら群青は学校でそれなりに有名人らしい。雨ケ崎という目立つ女性の幼なじみであり、一緒に登下校する姿も見られていることが理由だろう。そんな関係であるものだから、彼がストーカーというまことしやかな噂さえ流れていた。


 しかし彼は表情をまったく変えず、すううと大きく息を吸う。そして思いがけないことを言った。


「うっるっせえなああーー! ストーカーじゃねえっつってんだろうがこのボケどもが!! 何度だ。何度そう同じことを言えば気が済む!! あっちでもこっちでも言われると、だんだんこっちもストーカーになった気がすんだよおおおッ!!」


 手を振り回しながら絶叫されて、シンとした。唐突に意味の分からないことをわめかれて全員が放心したのだ。


 すぐに雨の音がまた聞こえてきて、ようやく野崎はハッと我に返る。それからすぐに迷うことなく下級生の顔を殴りつけた。


 ――ゴンッ!


 辺りに鈍い音が響いて、雨ケ崎はぎゅっと瞳をつむる。対する野崎は先ほどまでの張りついた笑みを消し去っており、よろけた群青の胸ぐらをつかんだ。


「おい、調子に乗るなよ。見ての通りただ告白していただけなんだぞ。俺らの事情も知らずに割り込んでくるとか、頭がおかしいんじゃないか?」

「事情か……。うん、確かにその通りだ。雨ケ崎、どのパターンだった?」

「Kパターンよ」

「Kってまさか、嘘だろう!? 多人数で囲んで逃げれないようにして、告白を断ったのに無理やり力づくで交際を迫ったってことじゃねえか! しかもこのあと弱みを握る魂胆だったなんて……お前ら、本当にそれで人間か!?」


 なぜか良く分からないが一瞬で洗いざらい包み隠さず事情が伝わって、先輩は白目になる。

 理解しがたい状況に再び野崎と周囲の者たちは放心したのだが、その隙に群青は合図を送り、タッと雨ケ崎は駆けだした。


 校舎裏の扉に身を滑らせて、振り返ることなくバタンと閉じる。結果、残されたのは目つきの悪い群青とかいう生意気な下級生だけになった。


 切ったらしく口から血を流しながら、彼の目がゆっくりと周囲に向けられる。胸ぐらをつかまれても気に止めず、また痛みや脅しにもこたえていない風だ。やれやれと肩をすくめると群青はこう言う。


「無事にフラれたみたいだし帰っていいっスか?」

「だっ、だっ、駄目に決まってんだろおオオオッ! おっ、お前さあ、本当に頭がおかしいんじゃねえかあっ!?」

「えー、いまどき日焼けサロンに行くような人に言われましても。あとクラブに行くのを自慢するのはちょっと……痛いを通り越してキツいです」


 再び周囲がシンとした。これから起こることをそれぞれが正しく予感したからだ。茶色い髪をした女性は顔を青ざめさせて、同級生の男は袖まくりをする。


 校舎裏の扉は避難用に設置されているものであり人影は少ない。そのぶん生徒たちにとっては告白などの場に使われることも多いのだが、このような天候のときにはほぼ誰も近づかない。


 だからそこで幾つもの鈍い音がしても誰の耳にも入らない。もし誰かが通りがかったとしても、この雨音ではきっと聞こえづらかったろう。


 やがて雨ケ崎が体育の先生をつれて戻ってくると、うずくまる青年一人だけが軒下に残されていた。

 彼はやはり不機嫌そうな表情をしており、その視線が向けられる先は雨ケ崎だった。

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