第9話 雨ケ崎の野望

 校門の前に停まる一台のリムジン。


 姿勢正しく立つ運転手の着ている服と同じ黒塗りであり、そこに向かって歩いて行くのはユウリと新担任の東堂だった。さりげなく周囲を伺っているあたり、その道の訓練を受けている気がする。


 しかし、あれがオズガルド家の嫡男とは。

 ここから見ても華奢な身体つきで、肌の白さが他の子とは異なる。百人に聞いたら百人が女性だと答える外見をしており、もしかして先ほどの自己紹介は単なる冗談だったのでは、などと思う。


 何かを話しかけて運転手は深々と頭を下げる。そして世界有数の大富豪である、ユウリ・ナイアル・オズガルドは俺たちの高校を後にした。


「……大変なことになったわね」

「ああ、一大事だ」


 屋上のフェンス越しに様子を見ていた雨ケ崎は、いつものように感情の乏しい声でそう言う。

 海から届く風が黒髪をほつれさせており、指先でそれを耳にかけながら彼女は瞳を向けてきた。


「まさかあのオズガルド家とお近づきになれるとは思わなかったわね。雑魚や中ボスを無視して、ラスボスが向こうからやってきたようだわ」

「ボスというよりは駆け出し冒険者って感じだけどな。ふわふわしていて掴みどころがないけど、あれで世界有数のお金持ちとは信じられない」


 人畜無害そのものな外見であり、先ほどは教科書の内容を教えているだけで俺は陥落しかけた。

 あ、いや、冗談だからね。冗談。いくら交際経験がないからって、さすがに男相手には陥落しないよ。ただ向こうは俺のことを好きっぽいからなぁ。まいったなぁ。


 などとアホなことを考えつつも俺の関心は別にある。

 あれだけ願っていた富豪が向こうからやってきた。となると雨ケ崎としては「大変なことになった」と口にするだけのことはある事態だろう。


 てっきり瞳をきらきら輝かせるものだとばかり思っていたが、しかし雨ケ崎は普段通りだった。いつもより口数は少ないけれど、舞い上がっているようにはとても見えない。どちらかというと使命感や義務が近しい表情だと思うけど、実際はどうか分からない。


 うーん、こいつはこいつで違和感があるな。


「それで、あいつに交際を申し込むのか?」

「まさか。転校してすぐに交際を申し込むような相手がいたら、あなたでも疑うでしょう? 名家であれば教育も行き届いているでしょうし、そう迂闊な行動は取れないわ」


 まあな、と言いながらフェンスに背中を預ける。こうしないと地面に座り込みそうだった。

 少なからず前向きなようであり、彼女の横顔は虎視眈々と策を練っているように見える。そう観察していたときに、ふと大きな瞳がこちらを向いた。


「私、交際をしたことがないのを知っている?」

「ん? そりゃあまあ。さすがに分かるよ」

「あら、どうして? 交際を申し込まれたことは一度や二度じゃないのよ?」

「もしそうなら彼氏は精神的に追い込まれて大変なことになるだろうけど、そんな大事件は起きていない」

「あなた、相変わらずいい度胸をしているわね」


 ぐにっと俺の頬をつねりながら雨ケ崎はにらみつけてきた。


「だけど手をこまねいていられるほど余裕がないのも確か。誠一郎、ようやくあなたを動かすときがきたようね」

「凄腕の殺し屋みたいに言わないでくれる? あのさ、嫌な予感しかしないんだけど俺になにをさせたいの?」


 ふっと雨ケ崎は微笑んだ。

 ああ、これは前に見たことがある。こうして不敵に笑うとき、彼女は……。


「ろくでもないことをして大失敗するときの顔だな」

「頬っぺたをちぎり取るわよ」


 両方の頬っぺたをつねりながら雨ケ崎はそう言った。


 しかし何を考えているのか気になるのは確かだ。

 ろくでもないことを考えているのは間違いないし、十中八九は大失敗をしでかす。しかしここできちんと聞かなければあとで悶々とすることになるだろう。


 フェンスに背を預けたまま、そして頬っぺたを赤く腫らしたまま「続きを言ってくれ」と態度で示す。


「交際をする前に、邪魔者を排除してもらうわ。誠一郎、あなたの特技である盗撮やストーカーを駆使して、近寄るものをこらしめなさい」

「盗撮なんてしたことないからっ! お前だろ、あることないこと俺のことを言いふらしているのは。たまにぼそっと『ストーカー』と呼ばれたりするんだぞ。身に覚えがないとは言わせねえからな!」


 まさか、と雨ケ崎は言いかけて、それから大きな瞳をくりんと明後日の方向に向ける。続いて「身に覚えがないわね」という消え入りそうな声を聞いて信用する者がいるだろうか。いや、絶対にこいつだわ。


「雨ケ崎ちゃん? ねえ、俺と目を合わせて同じことを言ってくれる? じゃないと今度からウガちゃんって呼ぶよ?」

「呼んでみなさい。きっと悔やんでも悔やみきれない日々を送ることになるしょうね」


 ズオオと負のオーラと共に睨まれて、気づいたら「ゴメンナサイ」と口が勝手に謝っていた。


 しかし一応と交際する気があるとはな。

 いや、子供のころから同じことを言っていたし、実際に富豪を目にしても考えを変えなかったというだけか。

 また同時に「来るべくして来たな」という思いもある。いつかこうなるんじゃないかという漠然としたものを感じていたんだ。


「それで、俺にどうして欲しい。わざわざ人けのないところに呼び出したんだ。馬鹿げたことじゃなくて、本当に聞きたいことがあったんだろう?」


 東からの風に吹かれて俺と雨ケ崎の髪が揺れる。きっと図星だったのだろう。彼女は頬に黒髪をなびかせながら、ほっそりとした指先を伸ばしてくる。

 それを俺の胸に当てて、本当に珍しいことに邪気のない笑みを見せてくれた。


「当たりよ、誠一郎」


 ごくたまに、年に一度あるかないかの微笑みだ。

 いつもいつも毒を吐かれても気にせず一緒に過ごしているのは、もしかしたらこの笑顔を見たいだけだったのかもしれない。


 そんなの絶対に口にできないけれど、息も届くくらいの距離で見せられた笑みは不覚にも俺の胸を高鳴らせた……なんて思ったら負けだからな。

 むしろその下らない考えとやらを聞かせてもらおうじゃん。

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