おさななじみのおやくそく。

まきしま鈴木@アニメ化決定

雨の章

そこはかとないプロローグ

『幼馴染は恋愛対象にならない。そんなの常識ですよね。とっくに見飽きているし、面白みのかけらもない。まかり間違ってもそんな相手と恋愛に発展するはずがありません』


 などという説明を聞いて、うんうんとうなずく俺は群青ぐんじょう誠一郎せいいちろうという。やや目つきが悪く、そっけないと言われることもあるが、それはたぶん「クールっぽくすればモテる」という幻想を無駄に追いかけたせいだろう。いつか死ぬほどモテたい。


 さて、スマホで眺めていたのは「幼馴染のお約束テンプレート」なる動画解説だ。適当にポチポチ押していたらたどり着いた動画であり、そもそもなにを調べようとしていたのかは綺麗さっぱりと忘れている。


「わかる」

「わかるわ」


 思わずという風に俺、そしてもう一人の女性もうなずく。そういえばこいつもいたんだっけ。そう思って振り向くと黒髪の女性がスマホ画面を覗き込んでいた。俺の肩に馴れ馴れしく触れた相手に問いかける


「なんだ、お前も聞いてたのか?」


 冷たい瞳がくるんとこちらを向く。俺と同じくらい目つきが悪いけど別に血を分けているわけではない。すぐ隣の家に住んでいる雨ケ崎うがさき 茜香せりかという女子高生だ。


「ちょうど漫画を読み終えたのよ。あらためて考えてみると、誠一郎って本当に魅力がないわね。ここまでくると幼馴染のせいだけではない気がするわ」


 ふっと失笑しながら言われた。そう淡々とした口調で言われるとさ、腹が立つよりも先にしみじみと考えちゃうな。基本的にモテないし、いつも恋愛話では蚊帳の外だから。


「俺ってさ、生まれてから一度もバレンタインチョコを貰っていないんだよね。信じられる?」

「それは――悔しいけど同情せざるを得ないわ」


 本当に悔しかったらしく、クッと唇を噛みながらそう言われた。同情はやめろ。逆に悲しくなるじゃないか。


 甘いのは好きなのに、なぜかバレンタインの日はだれからももらえない。母親からもご近所の人からも。ものすごく低確率なだけなのか、信じられないほど異性と縁がないのかは分からない。知りたくもない。


「そうね、もし来年まで覚えていたら私があげてもいいわ」

「え、ほんと? でもなぁ、ハトに餌を与えるくらいの口調で言われてもなぁ。それとせっかく17年も続いたんだし、途絶えさせるのももったいない気がしてきた」

「あらそう。なら好きに生きなさい。そして老後に悔いることね」


 ズズと背後で音がしそうなほど睨まれて悪寒がした。

 老人になるまでチョコを貰えないわけがあるか。そう反論しかけたけど、年齢が上がれば上がるほど機会を失うわけだし、そこまで非現実的ではない気もしてきた。


 そんな下らないことを考えていると動画の音量が上がる。後ろから伸ばされた雨ケ崎の指を見るに、こいつが勝手に操作したらしい。


「そんなに面白い動画だったか?」

「別にそこまで面白くはないわ。ちゃんと聞こえないのが嫌なだけ。それと共感できるところも多少はあったわ」


 へえ、どう共感するんだろう。そう思って雨ケ崎を見ると、ニヤッと性格の悪そうな笑みを向けられた。


「そうね、あえて言うなら幼馴染を好きになるわけがない、というところかしら。しかもあなたが相手だなんて、絶対と言っていいくらいありえないことよ」


 へいへい、と生返事をした。もっと毒を吐かれるかなと思ったけど、まつげの長い彼女の瞳は、くりんとスマホの画面に戻される。それを追って俺も眺めると、ユーチューバーだかブイチューバーだか分からない奴が意気揚々と解説していた。


 それによるとどうやら幼馴染との恋愛というのは難しいものらしい。見慣れているぶん魅力的と思いづらく、ふと現れた異性のほうがインパクトはずっとある。

 それはなにも現実に限った話ではなく、創作フィクションにおいても通じることらしい。お節介を焼く存在であるけれど、正ヒロインの当て馬にされることが多いというのは定番中のド定番だ。

 などという解説を聞いて俺はポツリとつぶやく。


「あのさ、バレンタインチョコを一度ももらえない俺に正ヒロインが現れると思う?」


 はて、と雨ケ崎は首をかしげる。いつもは黒髪をシュシュなどでゆわいているが、乾かしたばかりなので背中に降ろしている。くせのない真っすぐな髪質であり、その髪を指ですくって耳にかけながら大きな瞳を向けてきた。


「諦めなさい。下手に希望を抱くよりも、安らかな老後を過ごすことね」


 やっぱり老後まで独身なのか。いつか孤独で押しつぶされてしまいそうだよママン。

 と、雨ケ崎がなにかを思いつく顔をした。


「私としたことが大事なことを見落としていたわ。ごめんなさい、誠一郎。あなたの同性愛の道を否定するようなことを言って」

「そんな道ねえよ。孤独に押しつぶされたほうがまだマシだ」

「諦めては駄目。希望を失ったら人間はお終いよ」

「その道には絶望しか感じない」


 ただ、当て馬というのは少しだけ分かる。彼女ではなく俺の場合は、だけど。

 見たまんまだが美しい顔立ちをしており、異性同性と問わず注目を浴びている。しかし告白をことごとく断り続けたある日、嫌気がさしたらしい。


「あれさ、どうにかしてくんない? 下駄箱に手紙が入っていた瞬間、送り主のところへ直に行って教室でフるのはさ。可哀想だしなぜか俺に苦情が寄せられるんだけど」

「あれはね見せしめと言うの。あの方法に変えて以来、目に見えてゴミ……言いすぎたわ。可燃物が減ったのは確かね」


 言い直したところで、ちょっと地球に優しいだけのゴミじゃん。

 などと話しているうちに動画への興味を失ったらしく雨ケ崎が離れてゆくと、部屋の隅にあったブラシを手にする。こちらに形の良いお尻を向けた女の子座りをして、ブラッシングし始める様子に俺は戸惑う。


 おいおい、寝る準備を始めてないか? 

 髪をすく、歯を磨く、というのが雨ケ崎にとっての睡眠パターンであり、そうなるともはや俺の力では止められない。大ババ様に泣きついたって未来は決して変えられないんだ。


 どうしたものかなと思いはするが、窓の外に視線を向けて、隣の家に灯された明かりを見てから諦めの息を吐く。こいつの家庭はちょっと複雑なんだよね。


「……雨ケ崎、どっちで寝たい? 上? 下?」

「私、硬いほうが好きなのよね。布団でいいわ」


 やはり泊まる気だったらしい。言い終わりぎわに、くあっと小さな欠伸をひとつしていた。

 時計を見ればすでに10時を回っており、やはり彼女は眠いらしくもたもたした動きで洗面所に向かってゆく。


 そのときに、まだ先ほどの動画が終わっていなかったことに気づく。スマホから響くのは締めくくりの言葉であり、もしかしたら解説者が最も伝えたい言葉だったのかもしれない。


『そのように幼馴染というのは恋愛に発展しづらい代表格です。互いの距離の近さが邪魔となってしまうわけですね。しかしその距離が味方になるときも実はあります』


あん? とつぶやきながら視線を画面に戻す。布団の準備を始めようと思い立ち上がりかけたのだが、先が気になってベッドに腰掛けた。


『知っていましたか? 幼馴染というのは他の誰よりも恋の加速が早いのです。それはふと相手を意識したとき、これまで障害であったはずの距離感が逆に味方となるからなんですよ。一度でも火がついたとき、あなたには決して止められないほどの勢いになると私は信じています』


 最後にそう締めくくられて動画は終わる。

 はて、距離とはなんのことだ。頭をぽりぽりと掻きながらそうつぶやく。普段なら動画の内容なんてすぐ忘れるのに、意味深だったせいで妙に頭から離れない。


「最後に残された言葉か。ふうん、パンドラの箱を思い出すな。最後に残されていたのは希望だったかな。それとも絶望?」


 しばし悩んだもののギリシャ神話の一節を思い出すことはできなかった。きぃとドアが開かれて、幼馴染が戻ってきたんだ。

 もしかしたら先ほどの動画が作用したのかもしれない。普段なら俺も欠伸をしながら布団の準備をしていたところだが、ふとこう思ったんだ。


(あれ、いつもは気にしなかったけど、よくよく考えるとあいつの距離感がおかしくないか?)


 後ろ手にドアを締める雨ケ崎は、肩紐で吊っただけの薄手な衣服に変わっていた。真っ白い太ももが肉感を伝えてきて、なんとなく異性に見せて良い服装ではない気がした。

 その彼女はいかにも眠そうなもたもたとした動きで近づいて、俺、そして床を交互に見る。


「あっ、布団を出し忘れた。いま用意するから待ってくれ」

「もう限界。そのままでいいわ……」


 限界というのはきっと「眠さ」のことだろう。まぶたはいかにも重そうで、返事をするのもおっくうそうだった。

 気になるのは「そのまま」という言葉の意味だ。問いかけるよりも先に、彼女は明かりの紐に手を伸ばす。肩紐で吊っただけの寝巻きだ。ごく自然と綺麗な脇の下が見えて、また伸びをしたぶん裾が持ち上げられて真っ白い太ももを露わにする。


「消す、わね……」


 ふっくらとした唇で彼女がそう言うと、部屋は豆電球の薄暗いものに変わる。色白な肌もあってか、暗闇に慣れるより先に雨ケ崎の素肌が視界に入る。豆電球による陰影のせいで普段よりも膨らみを強調している気がして、いつになく俺の胸はドキリと音を立てた。


 いや、おかしくないか? 幼馴染としてすっかり慣れていたけど、この距離感は普通じゃないのでは?

 ぎしりという音が響く。雨ケ崎がベッドに腰かけたんだ。そして普段通り、幼馴染は美しい顔を近づけて「どいて」と囁きかけてくる。奥に詰めると長い髪を手で払い、異性を気にするそぶりも見せず布団にもぐりこんできた。


 雨ケ崎は熊や犬のように寝床を整えるクセがある。どんどん無口になっていくのは、気持ち良く眠ることに無心しているからだ。邪魔をすると睨まれるので黙っているが、先ほど変な動画を見たせいで意識してしまって仕方ない。


 石鹸の香りを漂わせながら、気にもせず彼女は素肌の肩を当ててくる。ぐいぐい押されるという行為は壁際まで続き、もうこれ以上は下がれないというところで俺はようやく口を開く。


「狭いし、これ朝に身体がバキバキになるから嫌なんだけど」

「ン……」


 眠さのせいで雨ケ崎は無口になり、文句を言っても聞こえていないようだった。それどころか頭の位置を何度も調整して、より身体を預けやすい仰向けにされる。その黙々とした動きが動物みたいだと思うけど、遠慮なく太ももが乗ってくると余裕がさらになくなるのを自覚した。


 ああ、女くさい。そう思えるほど雨ケ崎の香りに包まれる。独特の甘い香りをしており、お風呂上がりでも大して薄まらない。

 いま布団のなかはどうなっているのだろう。微妙に位置を整えてゆく雨ケ崎は寝床づくりのことしか考えておらず、ふううという吐息を首筋に当ててから静止した。どうやら満足したらしい。


 い、いやいや、待て待て。これはちょっと違うだろう。普通に考えたら近すぎるし、ほぼゼロ距離じゃん。恋人同士だってここまではならないよ。

 驚くほど華奢な腰に腕が乗っているにも関わらず、上から押さえられているから動けない。やはり改めて考えてみると普通の距離ではない気がした。


(ふうん、幼馴染のお約束テンプレートねぇ)


 すやすやという安らかな寝息を聞きながら、俺は先ほどの動画のことを思い出す。

 長々とした解説だったが、たぶん「これ以上発展しない」というのが幼馴染にとっての決まりなのだろう。もちろん発展して欲しいと願ったことは一度もないし、雨ケ崎もきっとそうだと思う。


 でもいつかこの距離感も終わる。

 何年後かは分からないが同窓会とかで再会して「彼女はまだいないの?」と問いかけられる。そんな悲しい未来が待っている気がする。

 近くて遠い存在なのだなと理解したせいか、先ほどの一時的な動揺も消え去った。


 だから俺もまた目を閉じて眠りにつくことにする。明日もつまらない高校生活が待っているだろうしさ。

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