碧落を往く

猫熊太郎

失意と決意を越えた先

第1話


 遠い彼方から響いてくる絶叫。獰猛な唸り声。甲高い金属音。轟く雷鳴。

 それに混じって聞こえる誰かの声。


 その声を知っているような気がした。


 頭が痛くなりそうな程に濃い血の臭いがする。


 冷たい。体中がすごく冷たい。まるで全身に水をかけられたみたいだ。


 ああ、そうか。雨が降ってるんだ。

 すごい土砂降りで、全身ずぶ濡れで、着ている服が水を吸って、すごく重いや。


 でも、どうしてこんなに雨が降っているのに血の臭い消えないんだろう?

 どうしてこんなに濃い血の臭いがするんだろう? 


 咽返むせかえるぐらい、気が遠くなるぐらいの血の臭いだ。



 また聞こえてきた。

 一体誰の声だろう? 



 たぶん知っている声なんだと思う。

 でも、誰のだろう?


 体が重い。それに何だか寒くなってきた。

 服が濡れているせいなんだと思うけど、どこか雨を凌げる場所はないのかな。このままじゃ、風邪でもひきそうだ。



 また聞こえる。



 ほんとうに、誰の声だったっけ?

 知ってるハズなんだ。

 

 いつもすぐ近くで聞いてきたような、そんな親しい声。少し鼻にかかるようで、いつも自信 に満ちている明るい声。

 けれども優しくて、きっと俺はその声が大好きなんだ。


 そんな声をどうして思い出せない?



 あぁ、体がだるい。

 立っているのさえやっとな感じだ。



 いや――

 もう既に地面に座り込んでいたんだっけ。


 そうだ、まるでしゃがみ込むようにして、腕の中の大切な『何か』を冷たい雨から守っていたんだ。



 大切な『何か』……? それはなんだ? 




「……ああっ!!」


 自分の腕の中、そこに血で汚れた顔があった。

 長い髪はくしゃくしゃに張り付き、顔の半分は赤く染まり、片目は閉じられている。

 弱々しい吐息が口から漏れて、それでも、もう片方の目がしっかりとこちらを見つめ返す。

 そうして、少女は微笑んでくれる。



 その瞬間、遠かった世界はつんざく雷鳴と共にその輪郭を取り戻した。




















 視界を覆うようにけぶる強い雨に打たれながら、苦心して手綱を操り、泥で滑りやすくなっている地面に馬を走らせていた。

 時刻はひるをとうに過ぎたというに、薄い闇のようなもやだけが辺りを包んでいる。


 先ほど部下から聞かされた報告は驚愕の一句に尽きた。魔物討伐のための遠征に出たルバルデイア軍王宮親衛隊『白の翼』率いる混成部隊が、壊滅状態だという内容だ。


 悪天候の中、必死で馬を操る『白の翼』の軍団長レヴァンス・クロードは、その事に対して腑に落ちずにいた。部隊が壊滅したことは元より、レヴァンスは魔物たちの動きに尋常ならざるものを感じていたのだ。

 魔物たちは明らかに統率がとれていた。

 元来魔物は群れて行動する事はあるが、それはあくまで小規模での話。数百名近くのレヴァンスの部隊を易々と壊滅に及ばせる規模というのはもはや集団でなく、それは軍団と呼べるもの。それもまるで訓練された兵士達のような統一性を用いて行動することなど、これまで聞いたことがない。それが街一つを飲み込んでしまいそうなほどの大規模の一群ならば尚更に。


 そも、そこまでの規模の魔物の群れが存在していたならば、前もって各都市の防衛にあたっている軍が把握していない筈がない。

 だがそれらは忽然と湧いてでたように、前触れなく姿を見せたという。

 実際に軍が情報を掴んだのは、ルバルディア北方の都市イサトラにまで魔物の侵入を許してしまってからだ。

 そして、それらの討伐にあたって進軍途中だったレヴァンスの部隊が、今こうしてさらなる襲撃を受けた。


 この魔物達とイサトラを襲撃した魔物達の間に関連性があるのか、今はまだわからない。

 ただ、魔物たちは明らかにこちらの急所を狙ってきた。


 首都レバーイトンから遠征に発った『白の翼』を主力とした討伐軍の団員数は総勢400名。それぞれを四つの部隊に分けて編成し、行動させていた。

 第一部隊と第二部隊は150名ずつ、この二つの部隊が魔物討伐軍の要であり、第一部隊はレヴァンス自ら指揮する『白の翼』の団員を多く含む主力隊。構成された要員もほとんどが粒揃いの精鋭達であり、忠義にも厚い人間ばかり。レヴァンスにとっては長い連れ合いの、家族にも似た輩たちだった。

 第二部隊も、編入された要員の中に『白の翼』出身の者こそいないが、経験豊富な玄人兵が総数を占めていた。

 そして残りの100名を二つに分け、第三、第四部隊としていた。第三部隊は補給や救護といった前線部隊の支援を目的とした隊であり、もう片方の第四部隊がそれらを護衛するための兵員という二組一対の構成。


 魔物たちに狙われたのはこれら後者の二つの部隊だった。


 実戦を経験してきた第一、第二部隊と違い、後者の彼らは間に合わせの人員たち。

 前者の部隊を魔物群に真っ向からぶつける手筈となっており、後者は少数の討ち漏らしと遭遇する事はあっても主戦場には程遠い。


 それ一つ取ってみても、状況の凄惨さが伺えた。


 そもそも何故、王宮親衛隊と呼ばれる存在が遠征などに出なければならなかったのか。 

 それは今の時期、仕方のないことだ。

 長年の敵対国であったフューレンとの和平が成立したとは言え、迂闊うかつに大部隊などを動かせば周辺に要らぬ火種をく事となろう。

 加えて未だ僻地へきちの情報すら行き届かないような熾烈しれつな戦場の兵士や、本隊とはぐれながらも国家の勝利を信じて己の命すら投げ打とうと機会を窺っている惨敗兵たちの回収、それらに正規兵は駆り出されている。


 そのため王宮親衛隊といえども斥侯から国内の治安維持までこなせる特殊任務遂行の少数精鋭のレヴァンスの組織が、このような本来の任務から見れば雑務と捉えられる作戦にまで使われていた。


 だが精鋭である筈の軍団は急所から食い破られ、わずか数時間で壊滅状態に陥ったと言う。


 大多数の魔物がルバルディア北方――国境付近の村々に甚大な被害をもたらしながら侵食し、その波が大都市イサトラまで来ているという報せがあったのが、まだ日付が変わる前の事。

 そこから急遽きゅうきょ討伐軍を編成させ、自ら指揮を執り城を発ったのが夜明け前。

 そして魔物の存在が確認されている地点に進軍の途中で、後方からまるで奇襲を受けるかのようにして襲撃を被ったのが現在だ。


 気が付けば、レヴァンスが率いていた第一部隊以外はほぼ壊滅。その第一部隊も思わぬ襲撃に酷い有様となっている。

 全軍の壊滅こそを防いだが生き残った団員は第一部隊の100名足らずという、まさに敗北こそ免れたと呼ぶに相応しい状況だった。


 そして今、彼は生き残った団員たちを残し必死で来た道を駆け戻っていた。


 補給や救護を専門とした複合部隊を護衛するために編成した隊、その中には、未だ城で訓練の日々を送っていた兵士候補生たちの姿も混じっていた。しかし報告が確かなら、その候補生たちも全員死んだということになる。

 そして今回の討伐軍に彼らを参加させる意向を示したのが、他ならぬレヴァンス自身であった。


 理由には人手が足りなかったというのもある。だが例え訓練生の参戦がなくとも、この遠征は成功していたであろう。

 あの統率のとれた奇襲さえなければ。


 そうではなく、彼は後に一国を護る存在とならなければならない兵士の卵たちに、実戦の経験を積ませておいたほうが良いと考えた。

 その結果、これから花開くだろう若い命を摘み取ってしまったことになる。


 その事で彼を責める人間はそういないかもしれない。

 もちろん、責任の所在を追及するならばそれはレヴァンスのもとにあるだろうが、このような事態を誰に想定ができたとかいう諒恕りょうじょもある。

 まるで何者かに指揮運用されたかのような魔物の出現を、どんな人間が予見できたのだろうかという話だ。


 だが、彼自身にはそれでは済まない理由があった。

 だからこうして一人でも生き残った者はいないかと、部下の制止を振り切って探しに戻ったのだ。


 彼がこのような行動に出た理由――

 それは参戦していた若き兵士見習い達の中に、まだ幼さを十分に残した彼の孫カイルの姿もあったからである。


 カイルは幼い頃よりずっとレヴァンスのもとで育てられてきた。

 彼の両親であり、レヴァンスの息子夫婦でもあるラウスとイザベラの両名は、カイルを生んだ直ぐ後に事故で死んでしまっていた。

 彼にとって、今ここでその孫をすらうしなうという意味は筆舌に尽きない。



 レヴァンスは焦燥に耐え切れなくなったかのよう――


 神よ!

 全能なるムルアの神よ!

 どうかあの子を救いたまえ!!


 ――そう張り裂けんばかりに祈った。






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