結衣の将来

 結衣がコートの裏ポケットにいつも入れている「お守り」。それは彼女が元いた世界で愛し、そしてこの世界にやって来てからも想い続けている男から、かつて贈られた短刀をレプリカにしたものだ。

 服の表からは見えないので気になっていたが、金属製のそれはある程度の重さがあるので、脱いだコートを広げて持ってみれば、片側が重くなるため分かるという。

 そのお守りは、結衣にとっては今も彼を想い続けている象徴なのだと、狭間はざまの関わった事件で私も正岡も知った。


 それを今も持ち続けているという事は、結衣の想いは変わっていないようにも思える。

 だが彼女はこの世界では異物であり、身の危険にさらされたこともあるのだ。今ではそれが理由で、本当に単なるお守りとして持ち続けている可能性も高い、と私は思っていた。


 しかしそれを言うと、正岡はますます渋面じゅうめんになって考え込んでしまった。


「確かにお守りとして形骸化けいがいかしているという事も考えられないわけではないですが、気持ちが離れたなら持ち続けたりはしないようにも思えますし、どうしてもそこで迷ってしまって」

「しかし実際、他に友人はいない様子なのに、君の所へは足繁あししげく通っているんだろう?」

「それはもう、昔からの顔馴染みだから甘えやすいんだろうとも言えますし。もし本当にそれだけなら、私としては辛いところですが」

「だったらさっさと告白してみりゃいいだろ、マサオ」


 突然割り込んで来た大きな声に、私と正岡は揃って声がした方を向いた。



 私たちが立っていたのは、稀人の保護機関の本部がある雑居ビルの二階と、一時的に稀人を保護するための部屋を確保している三階をつなぐ階段の途中だった。

 平時であれば三階は誰も行かない場所だが、借りている部屋の清掃のために時々訪れることがある。今日はそれを正岡と二人で行い、階段を下りる途中で立ち話をしていたのだ。

 まさか他に聞いている者がいるとは思っていなかった私も驚いたが、声を掛けられた正岡は仰天したように目をみはった後、顔を真っ赤にして声の主を見上げた。


 身長が二メートルを超す彼は、先ほどまで話していた狭間と結婚した稀人まれびと、しかもオークと呼ばれる鬼のような外見をした種族の青年だ。名前をザグルという。

 狭間が正岡の正体を見破ってしまったため、監視を外す代わりに保護機関員になった彼は、しばしば仕事帰りに本部を訪ねてきて、困っている事は無いか、と聞きに来る。

 彼は体こそ大きく強面こわもてだが、その性格はひどく穏やかで、細やかに周囲に気を配ってくれる。本来の仕事は稀人が出現した場合やトラブルが起きた時の対応だが、そうでなくとも片付かない仕事があると手伝いに来るので、本部で仕事をしている者たちには今や大人気だ。


 そんな彼がこんな話をしていて、気付かないわけもなければ、無視して通り過ぎるわけもない。

 おそらく事務所で私たちの事を聞いて、清掃の手伝いをしようと来てくれたところだったのだろう。


「そっ、そんな事言ったって、まだ他に好きな人がいるかも知れないんだよ!? 向こうもそれを分かってて、安心して頼ってくれてるんだとしたらさ、告白されたらそうもいかなくなるだろう?」

「それが不安で告白できねぇってなら、一生そうやって遠慮してる事になるだけだぞ。だいたいユイの気持ちなんざユイにしか分からねぇんだ、いくらここでゴチャゴチャ相談したところで分かるわけがねぇ」

 そもそもあいつは人間じゃない、妖精だ、とザグルは人差し指を立てて言った。


 妖精というのは書かれた作品によって様々な解釈があるが、ザグルのいた世界での妖精なら、魔力の無いこの世界ではそもそも生存できないという。しかし結衣はまるで人間のように食事をし、そこからエネルギーを得て生きている所が大きく違うそうだ。

 ただしそれ以外の要素は似ていて、実は私たちには女性に見えているだけで、彼女に性別はないそうだ。更に本人から聞いた話によれば、ある条件をかけなければ寿命さえなく、死ぬような怪我でもしなければ永遠に生き続けるという。


「もしかして、その条件というのが……?」

「ああ、結婚する事だな。もちろん人間の結婚とは形が違うが」

 恐る恐る訊ねた私に、ザグルはあっさりと頷いた。


 妖精にとっての結婚はある種の契約であり、生涯をともにするという約束なのだという。しかも性別の無い結衣には、相手が男であろうと女であろうと関係がない。

 もし最初から結衣が男として雪江の前に現れたなら、彼女を結婚相手に選んだのかも知れないな、とザグルはまるで他人事のように言った。


「ちょっと待ってくれ! つまり彼女は誰かと結婚しない限り、人の死をずっと見送りながら生きていくしかないって事なのかい、雪江さんの事も!?」

「そういうこった。まぁそれを辛い事だと思うのは人間の感覚だろうがな。ユイ自身がどうかは知らん」

「そんな事言ったって、現に今、結衣さんは寂しがってるようにしか見えないよ!」

「だから言ってんだろ、さっさと告白してみろって」


 腰に手を当てたザグルは、そう言うと背中を曲げて正岡に目線を合わせた。

「いくらユイの顔色うかがったところで、マサオにその気がねぇなら勝手な心配でしかねぇ。でもそうじゃねぇってんなら、お前がまず自分の気持ちを示せ。ユイが本当に結婚したいなら、それが仮にユキのためでも悪い話じゃねぇだろ。それでマサオが納得できるんなら、って事にもなるけどな」

「……それは、私としては微妙なところだけど。でも結衣の気持ちは確かめたい。そうか、確かにこうやって悩んでいても仕方ないね」

 顔を上げた正岡は、そのまま視線を空へと向けた。私もそれにつられて空を見た。


 今日は風もなく、抜けるような晴天だ。雲一つない空は青く、どこまでも遥か高くに見える。

 結衣に結婚を申し込むという事は、あの高みに手を伸ばして、己の側にってくれと頼むような、そんな重大な願いのようにも思えた。

「本当にそれでいいのかい、正岡君?」

 改めて訊ねると、正岡は黙って目を閉じ、静かに頷いた。


 彼はきっと、本当に結衣を心配し、幸せであればと望んでくれているのだろう。それがいつか彼にとっては、苦しい道になるのだとしても。

 そんな彼に結衣の今後を見守ってもらえるのなら、私としても少し安心できる。いずれ自分が先だった後、結衣が寂しい思いをせずにすむのなら。

「なら私からもお願いするよ、正岡君。結衣をよろしく頼みます」

「えっいや、そんな、気が早いですよ! まだ結衣が何と言うかも分からないんですから」

「ははっ、確かにそうだな!」


 それでもようやく私の心は軽くなった。これからどんどん年老いていく私の体は、いつどうなるとも分からない。

 だが私にとってもはや大切な娘である結衣を、これからも見守ってくれる者たちはここにいるのだ。

 それに結衣はきっと、自分で自分の道を決めるだろう。今までそうしてきたように、何も私が心配することは無い。

 あのD判定以来ずっと不安だった私の心は、その時、見上げた空と同じように晴れやかになった。




 ちなみにその後どうなったかと言うと、正岡君は振られて悄然しょうぜんとして本部にやって来た。

 もはや涙も出ないほど道々泣いて来たらしい彼を、その場に居た全員で何とか慰めた。

 そしてその翌日、結衣は派手なピンクの車に乗ってオレンジ色のスーツを着た、いかにも堅気カタギではない男を連れて本部にやって来た。

「彼と結婚したから、その報告に来たの」

と彼女が堂々と宣言した瞬間、保護機関本部は阿鼻叫喚あびきょうかんの大騒ぎとなり、正岡君はひっそりと気絶してしまっていたが、それについてはまた機会があれば語ろうと思う。

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