公園と小さな賢者の話

灰槻

嫌いなモノ。

僕は公園が嫌いだ。苦手、と言い換えてもいいかもしれない。

あぁ、別にそれほど深い理由では無い。言ってしまえば勝手な感傷、もっと言えばただのエゴだ。


公園は、一人で使う事を想定されていない。


それだけの話。

遊具も広場もベンチも結局は人と触れ合う事を第一目的とした場所で、他人と関わる事が苦手な人間には滅多に縁のないモノにしか見えない。その設置された意図に見え隠れする集団的排他性に、僕は嫌気がさしてしまうのだ。


あぁ、勝手だよ。勝手だとも。


だがそれは、否定するのが難しいだろう?


理由も無く使うには、余りにも集団による利用を前提としすぎている。

誰でも自由に使えると言っておきながら、真正の意味で孤独な者に対しての門が開かれていない。

そう感じるのは、そこまで不思議な事では無い筈だ。少なくとも僕は、そう感じた。


だからせめてもの抵抗として、僕はこの集団的排他の只中に、身を投じているというわけだ。


え? 何をしているのかって?


電灯のポールに寄りかかって、この文章をスマホに向かって打ち込んでいるんだよ、当然ながら。


あはは、我ながら滑稽滑稽。


ついさっきもやってきた子供に声を掛けられ、あろうことか名前まで聞かれてしまった。

もしかしたら不審者に見られてしまったのかもしれない。まぁそんな雰囲気ではなかったし、多分気のせいだろうけど。


――子供は、賢いと思う。


多分あの子供は、僕が一人でいることに疑問を呈したのだ。だから自分から名乗り、僕を仲間に加えようとした。

勿論、集団的排他性の存在にまで気付いていたとは思えない。だがそれでも、彼は僕が孤独である事を察していた。


それはある意味では優しさだ。今の人間には無いモノだ。


本当に、笑ってしまうよ。

その小さな賢者に、僕は自分の名前すら名乗れなかったんだから。


代わりに出てきたのは、世の中の酷さを強調するような言葉だった。


「人に無暗矢鱈に名前を教えると、大変なことになるよ」

「何がって? ストーカーとか、居るからね」


それは、事実だ。

事実であると同時に、認めるべきではない、掛けるべきではない言葉だ。


それは彼の賢さを、彼の勇気を潰しかねない言葉だった。僕は自分が名乗る事さえ出来ない事の言い訳として、社会の醜い部分を使ったんだ。


あぁ、本当に、ろくでもない。

自分が弾き出されるのは、結局自分の性格が原因だと、僕は気付かされてしまった。


――やっぱり、公園は、嫌いだよ。

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