傍観者Liberioの感性

@Liberio

第1話

生まれてから色々な体験をした。パンデミックは初めてだったが、大騒ぎしたほど感染は拡大せず、欧米のように街中に棺桶が並ぶ事態にもならなかった。国民が自ら要請に十分応え外出を見事に自粛し手洗いマスクなど感染予防に努めた成果だと言われた。一説にはBCG接種の効果だとか、春節に入っても武漢からの中国人の流入を止めなかったので知らないうちに集団免疫が成立していたという説もあった。

 子供の頃から慣れ親しんでいた有名芸能人がECMOを使って治療したのに亡くなり、新規感染者数の急増、緊急事態宣言の発令と深刻化するにつれ、Liberioは職場の対応の遅さに苛立ち始めた。取引先が次々と営業時間の短縮、交代出勤、部分的な休業など動きがあるのにどうして何もしないのだろう。従業員の多くは明らかに怖がっているのに社長のマモルはいつも通り鷹揚としていた。

 特定警戒地域に指定され人との接触を8割減にしないと40万人が死亡すると報道された翌朝、出勤すると体温測定を求められた。測って37.1℃と記入した。それを見た女性社員がややヒステリックな声で早く体温計を返してくださいと言った。感染者扱いをされたのだった。フロアーの社員全員に情報は伝播し、社長室からマモルまで現れた。他の症状を尋ねられ、馬鹿正直に喉が少し痛いと言ったものだから、自宅に帰るように申し渡された。

 満員電車の通勤や咳をする来客に神経質になっていたLiberioは業務にも身が入らず、そのような目で見られたため感染したかもと半信半疑の思いを抱えて帰宅した。直ぐに再度の体温測定すると37.2℃だった。不安になり帰国者・接触者相談センターと保健所に電話したが何度かけても話し中だった。近所の内科医院に行くと発熱のある方はお断りしますと張り紙がしてあった。安静にして様子を見るしかなかった。

 翌朝、体温は37℃を切っていた。食欲が無いまま甘栗のみ食べて座っていると頭痛がしだした。新型コロナウイルス(SARS-Cov-2)で若い男性が髄膜炎を起こしたとニュースで聞いていたのでいよいよかと思い気分が落ち込んだ。そのうち頭痛は激しくなって嘔気が出てきた。うつらうつらして過ごしていたら携帯電話に着信歴があった。知らない番号で留守番メッセージは残っていない。痛みと吐き気に耐えながら発信すると人事部のアラタが出た。抑揚の無い陰気な声で見舞いの言葉もなくPCR検査を受けるように言った。

電話が繋がらないこと、現時点で感染していない可能性の方が大きいのに感染者が集まる検査施設に無理に行きたくないと告げても執拗に迫られた。2週間様子を見て発症しなければ職場に戻りますと言うと「それはどうかな」と不気味な返事をされた。後味が悪いままトイレで数回胃液を吐いた。例の発作に違いないとLiberioは気付いた。平均1か月半毎に起こる周期性嘔吐症(片頭痛の一種)の発作だった。発作は平均1日半持続するのでベッドとトイレを往復しながら明け方になって寝入ることが出来た。

 次の朝の食事は絶食明けで身体に沁みるように美味しかった。味覚も嗅覚も万全でCovid-19(新型コロナウイルス感染症)ではないと分かった。昼過ぎに健康状態に問題ないことをアラタに報告した。はいはいと無感情な返事の後、アラタは当分業務を大幅に縮小するので来社の必要はないと言った。昨日の遣り取りがよみがえり急に腹が立ち始めたLiberioは荒らげた声で人事部長のユウキに替わってくれと頼んだ。アラタは木で鼻を括った口調でユウキは退職しました、私が部長代理ですのでまた連絡しますと告げた。

 先ずお身体が大事ですからと嘘くさい理由付きで自宅待機の指示が3週間続き、業務の復旧が遅れそうなので非常勤になってもらうと唐突に連絡があった。部門の責任者は緊急事態宣言の真っ只中も休みを取らなかったキワムに替わっていた。部下であった時のキワムは温厚で気配りが出来る男だったが本性は命より金が大事な拝金主義者だったようだ。パンデミックの被害がそれほど激しくないことを予見しての行動なら見上げたものだと思った。結局Liberioは椅子取りゲームから早々に弾き出されたのだった。社会保険労務士から電話で退職扱いと社会保険の変更を求められた。自宅待機という名の隠れリストラな訳だと意外と淡々と受け止めた。

 自粛生活は心身のバランスを取るのが難しい。働かないでいると罪の意識が芽生える。資本主義社会で教育され働いてきたせいだろう。無収入に転落したから運気も低下し車を運転していても事故や違反を起こしそうな気がする。身体の不調が出てきた。貧すれば鈍するでこういう時は病気になり易い。腰が痛くて起き上がれないのだ。少しでも躰をひねると激痛が走り冷や汗が出て吐きそうになった。急な仕草で痛めたのではなく長年の座業で蓄積した負担のようだ。1か月も休むと長年のつけが出てくるのだとこれも淡々と受け止めた。時期が悪く次々に税金の催促がやってくる。社会保険の支払いに自動車税、所得税、住民税と恐ろしく出費が重なる。通帳の残高が見る見るうちに減った。有事にも容赦無い取り立て。欧米には6年間働くとサバといって働かなくても食える1年の期間があり社会貢献などに使うそうだ。様々と口実を増やして持って行くばかりでなくサバ積立みたいな明るい保険が欲しいと思った。今のような時期に前倒してサバ給付を受ければ不安なく自粛出来るのに。

 食事と風呂、生理現象以外に為すことがなく漫然とテレビ番組を見る生活が続いた。自粛生活を余儀なくされ、収入の途絶えた人達はどんな思いで見ているのだろうとLiberioは想像した。どのチャンネルも終日Covid-19を特集している。コメンテーターにはレギュラー出演が多い。口では補償が不十分で拙速過ぎるとかPCR検査数が少ないと、さも自分のことのように憤慨し政府を批判しているが、彼らの生活は安全圏でしかも出演料を荒稼ぎしている。無収入の不安など分かりようもないくせに。

 他にもこんな矛盾を感じているのではと推測した。おうちでトレーニング、おうちでセッション、インスタント食品を利用しておうちごはんなどおうち特集を見て余計なおせっかいだと感じ、AC広告の多さからスポンサーが減っているのだ、タレントが自宅でパネル出演までして無理に番組を作らずに放送時間を短縮して放送局も自粛すればいいのに。

 感謝感謝と連呼される医療関係者の皆さんも違和感を覚えているだろう。仕事だから仕様がないだけで、怖くて泣きたい人も多いだろう、悲愴な決意に安っぽい同情は要らない、マスコミこそ美談仕立ての裏に何か隠したいことがあるのではと勘繰りたくなるし、感謝するなら金をやれだよ全く。

 などと他人様の金稼ぎを妬むなど下衆のすることだとLiberioはそういった類推を打ち消したが、憂鬱は増すばかりで、憂さ晴らしになる番組はないかと番組表を探すとBSで必殺仕事人を再放送していた。学生時代下宿で一人ブラウン管の前に居た感覚がよみがえり、毎日のルーティンになった。日本刀で斬殺と手籠めのオンパレードで今なら倫理に引っかかるが、よく考えられた脚本と豪華なセットは当時のバブルで豊かな世相を反映している。仕事の出来ない町方役人と凄腕の殺し屋を演じ分ける藤田まことはさすがだし、恨みを残して殺される役の女優たち(音無真喜子、橘ゆかり、左時枝など)の演技が素晴らしい。ドラマラストの仕置きシーンを見てアラタ始め立場の弱い人間を見下し足許を見てくる連中への溜飲を下げているLiberioだった。こんな時こそ人は本性を露わにするものだ。

 自分達の金稼ぎのためだけにその場ごかしの放送を垂れ流している民放に対して、さすが国営放送には考えさせられる番組があった。何度も再放送されていたのでリクエストが多かったと思われるETV特集パンデミックで変わる世界だ。3人のコメンテーターが外国人版と日本人版の2種類あり、Liberioは特に外国人版に魅せられた。イアンブレマーは経済活動の低下による景気悪化に途上国は耐えられない、暴動など社会不安が広がる。アメリカが世界のリーダーの役目を放棄したG0の世界で途上国を積極的に支援する中国の地位が高まるだろうと予測した。ユヴァルノアハラリは感染拡大防止を口実に全体主義国家が現れ、個人への監視が強くなる、国家権力から監視と制限を受けるのと、市民に啓蒙と学習によって合理的行動を取るようにするエンパワーメントのどっちが良いかよく考えなさいと言った。ジャックアタリは各国が自国主義に走り国際協調が失われることに警告を鳴らし今こそ利他主義が大切だと説いた。日本人版はヤマザキマリ、磯田道史、山本太郎(長崎大学熱帯医学研究所)で納得出来る内容を穏やかに語っていた。

 ハラリの著書としてサピエンス全史とホモデウスが紹介されていて、Liberioは演奏仲間で同じマンションに住むテツヤの部屋でホモデウスを見かけていた。その時、これはどのような本ですかと聞いたらテツヤが世界観が変わりますよと答えたのを覚えていた。そのような本があるのかと印象に残っていた。人との接触を避けるべき時期に顰蹙かなと躊躇したが、思い切って訪ね玄関を少し開けて風を通しマスク装着のまま立ち話をした。興味を持つに至った経緯を話すとテツヤはホモデウス、サピエンス全史に加えてジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄まで貸してくれた。帰宅してLiberioは自前で2030年ジャックアタリの未来予測を購入しようとアマゾンを覗いたら、売り切れ状態で重版待ちだった。実際ETV特集を見て書籍購入に走ったインテリは多かっただろう。人は皆似たような行動をするものだ。

 印象が強いホモデウスから読み始めた。最近まともに読書をしていなかったLiberioは論理展開が頭に入らず、ピークアンドエンドの法則とか揚子江イルカが絶滅しただとか枝葉末節しか残らなかった。自粛に入って解雇された哀れな身でありながら、その期間を決して無駄に過ごさなかったと自負したくて、そして仕事復帰した時に読んだ本の中身を話せるようにまとめてみようとした。現生人類はホモサピエンスという種であり、ネアンデルタール人の遺伝子は殆ど入っていない。ネアンデルタール人は滅ぼされてしまった。ホモサピエンスこそが文明を発達させうる唯一の人類種であった。近年台頭する資本主義経済の仕組みは科学とテクノロジーの進歩を加速し、最新の生命科学とコンピューターは生き物をアルゴリズムとデータ処理に過ぎないと定義するようになった。生命工学はホモサピエンスの感情と寿命と遺伝子を操作できるようになり、一部のホモサピエンスは至福と不死と神性を獲得したホモデウスに進化する。

 ホモデウスの後にサピエンス全史を読んでLiberioは読む順番を間違ったことに気付いた。サピエンス全史の方が解り易いし面白くて世界観が変わる感じがある。ユヴァルノアハラリにとってホモデウスは柳の下の2匹目の泥鰌狙いかもしれない。歴史学は歴史上の有名人の業績や記録が残る大きなイベントを研究する学問だと思い込んでいたが、今や生命科学を知識化した学者が塊としての人類が起こしたうねりを解明する学問に変化していた。まさに目から鱗が落ちる思いだった。

 次にサピエンス全史をまとめよう。これはマクロ歴史学と呼ばれホモサピエンスが21世紀までたどってきた道のりを解明した本だ。3つの革命を経て進化したとされる。1番目は認知革命で、ホモサピエンスが想像力により作り出した虚構を共有主観として人々に広めたことを指す。分かりにくい説明になったが、簡単に言えば伝説や神話の出現だ。共通の理念によって人々の行動パターンを制御できるようになり、合一目的に向かい協業が可能になったとされる。2番目は農業革命だ。余剰食糧で人口が爆発的に増加し、人々の統合が加速し宗教と貨幣制度、帝国の出現をもたらした。ユヴァルノアハラリは農業革命で人々は飢餓や疫病、搾取による貧富の差で狩猟採取時代より不幸になったと言っている。3番目が科学革命だ。知識の追求と科学研究には資金が要る。帝国主義から資本主義と移行するにつれ投資と回収のサイクルが拡大加速し、劇的な経済発展につながり、無尽蔵ともいえるエネルギーと原材料を見つけ物質的に豊かな社会が実現した。3つの革命の過程でホモサピエンスは環境を破壊し多くの動植物種を絶滅に追いやった。近年になり大規模な飢饉や戦争はなくなり、医学の進歩で小児死亡率は低下した。自由や平等の概念、人権の擁護が全人類の利益を守るために受け入れられた。各国の独自性が弱まり単一なグローバル社会へと変遷しつつある。サイボーグ工学など未来のテクノロジーはホモサピエンスの意識や感情、欲望と行動を変化させるだろう。最後に我々はどういう方向を望んでいるのかと問題提起している。

 ジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄は参照した文献も多く論文を集積した学術書のようだった。内容が詳細でボリュームがあるので読み進めるのに時間がかかった。ジャレドダイアモンドは進化生物学者と生物地理学者で、ニューギニアで野外調査を繰り返したまさに学者の中の学者だ。読んでいるうちにサピエンス全史の種本だろうと気付いた。テーマは人類社会の発展が場所によって大きく異なり富や権力に不均衡が生じた理由は何かという事だ。第1は栽培化や家畜化に適した動植物の存在だ。シマウマが家畜になれなかった理由が気性が荒く噛みついたら放さず投げ縄を首をすくめて避けるためと知ってLiberioは子供の頃から抱いていた疑問が解決し喜んだ。余剰食糧の蓄積は非生産者階級の専門職(職人や官僚・支配者)を養い、人口の稠密な大規模集団を形成し、技術面や政治面、軍事面での有利につながった。第2は発達した社会の伝播や拡散の速度の違いだ。ユーラシア大陸は東西方向に伸びる陸塊で生態環境や地形上の障壁が比較的少ないため、技術が同緯度に伝播拡散し易かった。第3は異なる大陸間での伝播の違いでユーラシア大陸からサハラ近縁地域への伝播が最も容易だった。第4はそれぞれの大陸の大きさや総人口の違いだ。面積人口ともに最大のユーラシア大陸は競合する社会の数が多く技術の発達と受容が促された。ジャレドダイアモンドはそれぞれの大陸に居住した人々が生まれつき異なっていたからではなく、環境が異なっていたからだと答えている。

 中国ではなくヨーロッパが覇権を握った理由は上記の4つでは説明出来ないとし、小国が分立競合したヨーロッパに対し、自然の障壁がさほどない中国は統一国家が形成され支配者の決定が技術革新の流れを再三止めてしまったからだとする。

 Liberioはジャレドダイアモンドがヨーロッパ人によるインカ帝国やアステカ帝国、アメリカインディアンに対する虐殺を淡々と記述していることに感心した。後ろめたさや罪の意識は皆無だ。カハマルカの惨劇でピサロの兵隊が銃撃と騎兵でインカ兵を大混乱させ鉄製武器による惨殺に乗じて皇帝アタワルパを捕虜にしたシーンなど快感を伴いつつ書いているように思えた。ピサロの頃は効率の悪い火縄銃で心理的効果が主だったが、後に照準性能の良いマスケット銃が登場すると1808年にフィジー島で行われたようなヨーロッパ人による先住民大量虐殺例が多発する。しかし銃以上に先住民駆逐に貢献したのは病原体だった。牛や豚などの群居性の動物を家畜化した時から人類に動物由来の集団感染症の病原体がはびこるようになった。Liberioは麻疹ウイルスが牛疫ウイルスから進化したと知った。ヨーロッパ人には免疫があった天然痘の大流行のおかげでコルテスはアステカ帝国を征服した。銃や剣の犠牲となり命を失うより遙かに多くの先住民が天然痘、麻疹、インフルエンザ、百日咳、マラリア、結核などのユーラシア大陸由来の病原体で死亡した。白人はアメリカ先住民に、天然痘の患者が使っていた毛布を贈って殺した(草思社文庫上巻365頁)を読んで異人どもの悪意に身震いした。一方、アメリカやオーストラリアの先住民は多種の大型動物を絶滅に追いやっている。

 増版された2030年ジャックアタリの未来予測が届いた。自粛中の読書を締めくくるのに相応しい内容だと思った。ジャックアタリはフランスの大統領顧問をしていた。政策提言者で統計データの数字を多用して説得するのが得意だ。仏教思想の影響を受けていて(ETV特集でユヴァルノアハラリの書斎にも道教風の馬の掛け軸が掛かっていた)禅問答のような焦点をずらした記述をする。受け取る相手に解釈の幅を持たせる目的だろう。

第一章は世界にとって良い事と悪い事を交互に書き綴っている。良くなってきたこととして、生活水準の向上、グローバリゼーションによって製品コストが低下、イノベーション(携帯電話によるインターネットの普及やロボットによる苦痛な労働の軽減)共有経済の発展、強化される民主主義、国際法の効力強化などを上げている。

 悲惨な状況になりつつあることとして、高齢化、移民の悲惨な生活環境(移民の数は途上国間が多い)土壌と水の汚染、低迷する経済成長、加速する富の偏在、シャドーバンキング(証券会社、ヘッジファンド、年金基金のような銀行を介さない金融仲介業務)のリスク、膨張し制御不能に陥る公的債務、多国籍企業の租税回避とロビイストを使った民主主義への干渉、反動として吹き荒れる保護主義の嵐、不透明な中国の経済成長(過剰投資と内需不足、資源不足と公害)共通の法律がないため不均衡で不安定なEU、失業や離婚など社会と家族の崩壊、カルトと原理主義の台頭などを上げている。

 第二章のタイトルは解説だ。自由を希求する民主主義と市場は強化しながら新たな富を創造し中産階級を育成してきた。現在までのところ、この社会組織は世界で最も優れた制度だったことが明らかになった。ところが今や機能不全に陥っている。グローバル化は法の支配のない市場を作り消費者と株主だけが勝利し不完全雇用と資産格差を生み出す。民主主義は企業を誘致するため租税や規制面で法の支配をダンピング(安売り)した。結果、法を遵守し公的サービスを賄う財源を失った。こうして社会に蔓延する憤懣が激怒に変わり、地球規模の戦争が勃発する。人類のサバイバルにはイノベーションと利他主義が必要としている。

 第三章と四章は近未来予測と惨事を避けるための方策が記されている。2030年までにイノベーションの大波が来る(ビッグデータの威力、モノのインターネット、3Dプリンター、仮想現実、ブロックチェーン、ロボット、ナノテクノロジー、幹細胞を用いた細胞治療、神経科学の発展で感情と思考と自意識の関係が確立されクローンに自意識を移せば不死が実現)ジャックアタリはイノベーションによって多くの分野で起こるポジティブな変化は害悪をもたらし、最悪へと向かうだろうと予測する。審判のいない市場に支配され続ける限り利益は権力者たちに横取りされ不均衡を悪化させるだけだと言う。デフレの蔓延、未来の不安から貯蓄性向が高まる、マネー崇拝と利己主義が激化、フラストレーションが蔓延しテロ活動が活発化、悪化する公害、水資源の枯渇、食料不足、移民の増加、富の集中をもたらす。

 第三章の最後に激怒の社会構造が解説されている。個人の自由が行き過ぎ即時の快楽が優先されると利己主義、裏切り、短期的な利益を優先する態度が駆り立てられる。不均衡の増幅は私的及び公的な暴力が横行する条件を整える。公的債務の膨張、公的サービスの衰退、怒りを表す手段として軍事イノベーションと軍拡競争が起こり、非合法犯罪組織が勢力を伸ばす。経済と金融の世界的危機を引き起こす六つの火種の中に中国の借金バブル崩壊と日本の巨額債務で円暴落が含まれている。世界大戦を勃発させる六つの起爆剤の中に北朝鮮による核攻撃、中国とインドもしくはパキスタンとインドの衝突が入っている。

 第四章では大惨事を回避するために先ず個人が変わることが必要であり、私的でちっぽけな幸福を探し出すだけで満足していたら滅亡すると言っている。次世代の利益のためのパラダイムチェンジを早急に実現しなければならない。利他主義を広める道筋の10段階を紹介している。Liberioは要約に疲れてきた。ジャックアタリの文章は論理の密度が高いせいだ。あとは部分的要約に留めよう。10段階の中では、自分の死は不可避だと自覚する、複数の人生を同時かつ継続的に送る(本業一筋では退職後にもぬけの殻になる、副業と趣味が必要)いつ自然災害やテロ事件や私生活の破綻に遭うかもしれない、そんな時も悲嘆や悲しみを抱えながらサバイバルする術を学ぶが気に入った。世界のために行動を起こす10個の提案の中では、30歳未満の若者をメンバーとする次世代議会を設立、電子マネーの世界通貨を発行するが気になった。最後はフランスが実行すべき10の提案の中で、退職後の第二の人生を教えることをはじめとする他者のための活動に費やす、国民は軍隊、司法、警察など安全を守るための機関に一時的に奉仕するに共感した。

 優れた頭脳の持ち主だと感心した一方、利他主義を実行する具体的な手段が書いてないと思った。Liberioはオランダのリワイルディングが大好きで郊外の住宅地を元通りの山野に戻すのを公共事業にすれば景気が良くなるのにと考えていた。

 Covid-19は長期化の様相を呈し始めた。パンデミックで世界は変わるのだろうか。給付金支給の遅れを口実にマイナンバーカードと口座の紐づけが義務化されそうだ。キャッシュレス化が加速しスマートフォンを持たないと不便になる。スマートフォンに入れるコロナ追跡アプリは人々の行動を監視する。Windowsとスマートフォンは何もかも盗んで行く。非接触遠隔化が推奨されオンラインでの交流(会議、授業、診療、商取引)が増える。人々はsocial distanceを契機にして、心理的距離に見合った物理的距離を取るようになる。狩猟採集民の頃のような血縁への依存が強くなるかもしれない。不必要になれば何時でもシャットダウン出来るネット上の疎遠な大勢との関係と濃厚接触を伴う信頼しうる小さな人間関係を使い分けるようになる。国際関係も信頼度に応じた選別でブロック化が進む。中国に依存し過ぎたサプライチェーンが見直される。でもこれらはパンデミック前から起こっていた潮流のような気がする。IoT(物をインターネットにつなぐ)やAI(人工知能)ロボットやドローンはどんどん身近になってくる。仕組まれた潮流が加速するだけだ。

 社員旅行や親睦会を嫌う若手社員は多かった。自由主義と個人主義が浸透した彼らは集団行動の中止を喜んでいるはずだ。それでも程なく人々は群れて騒ぎ、旅行したりエンターテイメントに消費するようになる。ホモサピエンスの本性だからだ。Liberioは自身が早々に解雇されたのは不要不急の業界にいたからだと理解していた。そして不要不急の経済が回らなくなれば自分も含め多くの人達が職と収入を失う景色を見た。不要不急の経済のお陰で豊かな生活を享受出来ていたことを思い知った。ホモサピエンスには今後も自然環境を破壊し多くの動植物種を絶滅に追いやりながら不要不急の経済活動を続ける選択肢しかない。それは神がホモサピエンスに与えた使命だからだ。

 まだ次の仕事は不確実だった。社会保険のまとめ払いで通帳残高も心細くなっている。それでもあと3か月ほどは持つだろうと独り身のLiberioは気楽だった。いつもながら他人事みたいだなと思った。自身の姿を数歩離れた背後から見ているような感覚が時々生じる。

人生において自分では気付かない鋭い指摘をしてくれる他人が20年に一度くらい現れるものだ。ある会社を辞めた際、経営者の芙美子が教えて呉れた。「あなたは一体どこまで傍観者なの」


 

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