◆episode.49 今だけは◆

 あちこちから悲鳴が、絶叫が、声とも呼べない音が、聞こえる中を市村は走っていた。

 靴の底はとっくに焦げ、熱をじわじわと足の裏に伝えてきている。

 事前に水をかぶっていたのだろうか、髪の中に少し水分が残っていたのだが、それもすっかり乾いて、むしろ先端は焦げようとしているほどだ。

 四方八方で燃え落ちる建物の残骸が、市村の前に立ちはだかる。しかしそれを蹴破り、市村は一直線に第二書庫へと向かう。

「あそこに、いるはずなんだ」

 階段を下りて、まっすぐな廊下を走る。図書室などの前をいくつも過ぎて、窓すらない、いつもだったら暗いほどの淀んだ空気を溜めこんでいる廊下の突端。

 普段ちかちか光り、唯一の光源として機能していた白熱灯は熱によって破裂していた。破片を踏みしめる感触が、市村の靴越しに足の裏に伝わった。

「理宮さん」


がんがんがん!


 何故か、市村はいつもの癖が出てノックをする。

 すると、奥から小さな声で。

「入りたまえ」

 と、理宮の声がした。安心で涙が出そうになる。ドアを開けると、窓際の背の低い本棚の上に、しっかりと座っていた。脚は組んでいなかったし、少し苦しそうな様子だったが、それでも理宮は――【理宮真奈】は、存在していた。

「は、なんだいなんだい市村くん。そんなに必死な顔をしちゃってさ。いつもの気の抜けた顔の方がお似合いだぜ。第一、こんな場所まで……げほっ」

 理宮の軽い言葉に安堵したが、理宮が熱か煙かによって喉に負担をかけていることを知覚すると、市村の神経は一気に逆立った。

「理宮さん、逃げますよ」

「はは、馬鹿を言うなよ。こんな場所からどうやって逃げるって言うんだい」

「大丈夫です、まだ、」

 そう言いかけた市村の背後で、何かが大きく爆発する音が聞こえて、反射的に振り返った。ドアの外が、煌々と炎で照らされる。すぐ背後まで、炎が迫っていた。

「ほら、ね。いいんだよ。僕はどうせ【業火に焼かれる】運命だって昔に知っていたんだ。これくらい、覚悟していた」

「理宮さん、いいから」

「それとも、これは【燃え上がるような恋】の方なのかな? はは、自分の『願い』に殺されるなんて、それも焼き殺されるなんて、【魔女】らしくっていいじゃないか」

「黙ってください」

「いいんだよ、市村くん。僕は助からない。君だけなら逃げられるだろう。さ、逃げたまえ、僕は、もう――」

「黙らないと、舌切りますよ」

「え、」

 次の瞬間だった。市村はずかずかと理宮の前に歩み出ると、一歩も引かず、むしろ接近を続け、最終的に理宮を両腕に抱き上げた。

「な――」

 王子が最愛の姫にそうするように、市村は理宮を抱く。だがそんなロマンチシズムに溢れた表現よりも、荷物を抱えた、と言った方がニュアンスは合っていた。

「何をする気だい、市村くん! お、降ろしたまえ、何を」

 一度だけ、市村は理宮のことをぎゅっと抱きしめる。見た目よりもずっと軽い、そして華奢な身体に、あまりにも強い感情を覚えた。

【理宮真奈】に唱えた『願い』。


【愛を、知りたい】


「――、」

「いち、む――」

 乱暴に、市村は理宮の唇を奪った。これが最後になるかもしれない、と思うと、そうせざるを得なかった。

 ほんの数秒だったように感じたし、数十秒にも及んだようにも感じた。炎と愛の中で相対性理論がぐしゃぐしゃに掻き回されたようだ。

「……この先は、生き残ってからしますよ、理宮さん」

「市村、くん」

「さ、歯ぁ食いしばってください!」

 そういうと、市村は自身も口を一文字に結んで、理宮の頭を守るようにぎゅっと抱きしめ、窓に、この部屋の中の唯一の窓に――理宮真奈がいつも背後に背負っていた、明かりを透かしていた窓の中に、背の低い本棚を脚掛けにして飛び込んだ。


がしゃあん!


 硬いガラスが粉々に砕け散り、市村の腕や脚を少しばかり傷つけた。

 この下には、植木があるはずだ。

 目論見通り、木々が擦れる音と感覚が二人を包みながら落下した衝撃を和らげる。

 市村は一瞬、気絶したような心地がした。それは心地だけではなかっただろう。だが、ここにいては危ないということを思い出したかのように、弾けるように起き上がって、理宮の無事を確認した。

 理宮はまだ、市村の腕の中で息をしていた。苦しそうではあるが、辛うじて息をしていた。

 このままではいけない。

 そう思い、校庭の方を向く。すると、そこには何台もの消防車や梯子車、そして救急車が停まっていた。

 車両の群に向かって、市村は走り出す。

 救急車の傍には、トリアージをされた生徒や生徒だったものがいくらかいて、赤いバンドを付けている生徒から順に病院へ送られているようだった。

「あの! あの、この人もお願いします!」

 市村は手傍にいた救急隊員に叫ぶ。

「ああ、生存者か!」

「はい、そうです。気絶してます、早く!」

「わかった、順次送り届ける。必ずだ」

 救急隊員は市村を落ち着けるように大きく頷いて、理宮を赤のトリアージシートの上に寝かせ、バンドを付けた。

「よ、かった」

 それが市村の、意識が途切れるための合図になった。

 市村自身も、崩れ落ちるように膝をつき、その場に倒れこんだ。

 安眠。

 きっとよく眠れるだろう。

 もう――夢は、見ないだろうけれど。



*****



 目が覚めると、白い天井が頭の上を覆っていた。

「どこ、だ、ここ」

 ぼんやりと、目を開ける。

 右を見ると、白いカーテンがかけられた窓から光が差し込んでいるのが見える。

 左を見ると、簡易的な洗面台とどこかへとつながるドアがあるのが、見える。

 自分を見ると、管だらけにされてベッドに寝かされているのが、見えた。

 完全に怪我人か病人の有り様だ。これはどういうことだろうか。どうして自分はこんな状態にあるのか、何故。

「友希!」

 考えていると、突然左側のドアが開き、母親である友明ゆめが入ってきた。

「母さん」

「よかった、よかった、目が覚めたのね。あなた、あなた! 友希が!」

 母親は大きな声で市村の父のことを呼びに行く。また一人残された市村は、過去のことをどうにか思い出そうとして――理宮のことに、思い立った。

「母さん!」

 市村大きな声で、母のことを呼び止める。

「ここって学校の付属病院、だよな」

「ええ、そうよ」

「ここに、理宮って人はいる?」

「え、うーん……どうかしら。友希のことで精一杯だったから、わからない」

「そ、う」

 ならば自分で動いて確かめるしかない。包帯と管にまみれた身体を無理に動かしてみる。当然だが、すぐに友明が静止した。

「だめ、だめよ! まだ動かないで、せめてお医者様に見せてからにしてちょうだい」

「嫌だ、確かめなくちゃ、理宮さんが、理宮さんが」

 そこに丁度、巡回の看護師がやってくる。すぐに、市村に鎮静薬の投与と、拘束をすることが命じられた。

 名実ともに動きを封じられた市村は、また眠りに落とされる。

「母さん、頼む」

「なぁに、友希」

「理宮真奈、って人が、いないか……調べて、おいて……」

「わかった、わかったからもう眠りなさい。大丈夫よ。ね」

「うん……はぁ……」

 そして市村は眠りについた。


 次に市村が目を覚ましたとき。

 病院内に理宮真奈という女子生徒が――、という情報が、耳に入ったのだった。



【Continue to the next Episode】

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