◆Episode.25 結果論◆
「こんな【運命】に、なってほしくなかった」
理宮は吐き捨てるようにそう言った。
いつもの場所、窓際の背の低い本棚の上に腰かけて――脚は組まずに、身体をくの字に曲げるようにして、絶望を吐き出した。
『第二書庫』の中。独りこもった理宮はぎり、と唇を噛み締めた。
「どうして......どうしてこうなってしまうんだ」
謎は解けないから謎であるように、理由がこじつけだから理由であるように、理宮にとって『魔法』は『魔法』であり、『予言』なのだ。
少なくとも、この場所では必ず、そうなってしまう。
だからと言って、言葉を失うということはできない。『願い』を求められる以上、理宮はそれを聞き届け、叶えられるように『魔法』を紡ぐことしかできないからだ。
それなのに、理宮の『魔法』はこれまで、全てと言っていいほどに裏目に出ている。
心情を顔には出さないが、理宮自身はそれなりに参っていた。自分のせいで、と、己を責めることしかできない。
こんこん
軽い、ノックの音が響いた。聞きなれた拳の音だ。理宮ははっとして顔を軽く叩き、いつもの表情を取り戻そうと深呼吸する。
息を吸い、吐く。それから、凛とした声で扉の向こうへ声をかけた。
「入りたまえ」
「失礼しまーす......って、あんたまたそこにいるんですか。よく長くいられますね。そんな背もたれもないような場所に」
「ふん、背もたれなんか必要ないさ。人間には魚と違って背骨があるんだからね」
「はぁ、そうですかっと。あー、今日はなんにも課題が無いんで、ゆっくりできますよ。久しぶりだ、こんな時間」
市村の、普段通りの態度。普段通りの言葉。普段通りの行動。市村の一挙一動の全てが理宮にとって心地よかった。だから、理宮も〈普段〉の理宮に戻ることができる。
「そうかい。それならばよかったね。僕はいつもジグソーパズルをやっている子供のような君を見ているのも楽しいんだがね」
「はぁ? そんな顔して課題やってますか、俺」
「ああ。うんうん唸って頭をひねって、簡単な問題にひっかかる姿は子供のようだよ」
「酷い! 理不尽だ!」
市村は大きな声で叫ぶ。それを理宮が笑う。『第二書庫』に『助手』が来てからというもの、こんな光景がいつものことになっていた。
ふ、と。日が陰る。
初夏の空に、入道雲が昇っていた。それは見る間に沸き立ち、巨大な雨雲に発達していく。
「わ、一雨きそうですね」
「雨......か」
「嫌いなんですか?」
「まあね。あまりいい思い出はないよ」
「ふうん。理宮さんにしては珍しいですね」
そう言っている間にも空は暗くなり、とうとう雨粒が落ちてきた。一滴、二滴、と垂れたかと思った瞬間、バケツを返したかのような雨になる。
「......あまり、嬉しい雨ではないね」
「そうですか? この季節に雨が降って、おかな、い、と――」
ノイズ
市村の耳に、雨音が流れ込む。
その音は、徐々に砂嵐になって市村を包み込む。
「市村くん!」
倒れ込んだのだろう、市村の身体に、強かに何かを打ち付けたような感覚が走った。
暗転――
*****
殺して、埋める。
殺して、埋める。
殺して、埋める。
殺して......
「優樹子姉ぇ」
「なー、ちゃん」
「どうしたの? なにしてるの?」
「う。うん。なんで。も、ない」
「じゃああっちでみんなと遊ぼうよ。その方が楽しいよ」
「......い、らな、い」
「そうなの。うーん、じゃあ今度は一緒に遊ぼうね!」
優樹菜が向こうに走っていく。私の脚元には蟻の群れがいる。
殺して、埋める。
殺して、埋める。
殺して、埋める。
殺して......。
*****
「××」
白い空間で女の子が名前を呼ばれる。
市村は、またこの記憶の中にいた。女の子のいる、そして自意識のある誰かの記憶の中。
これが誰のものなのか、未だにわからない。
「××、お前、『××』を使うのをやめなさい」
厳つい男が女の子に言う。
女の子の方は朗らかに笑い、厳つい男に言う。
「だってね、父様。僕もこんなことはしたくないんだよ。まして、本当は××の家の男の子に現れるはずだった能力だっていうのに、まさか僕の言葉が【××】になってしまう『××』だとは。僕だってやめられるならやめたいよ」
「うるさいっ!」
市村の目の前で、女の子の痩躯が畳に叩きつけられる。手をあげたのは母親だ。
「あぁもう、どうしてあなたって子は! ××! ××、もうおやめなさい! これ以上××の顔に泥を塗るのをおやめなさい!」
女の子は、無反応だ。否、むしろ母親らしき女性を嘲笑ってさえいるような表情をしていた。
ああ、この表情を知っている。市村は心のどこかでそう思った。
叩かれながらも無言でいる女の子を、不気味なものを見る目で見ている父親。やがて母親が暴力に区切りをつけると、父親は母親の身をかばい、女の子を見下した。
「××。あとで仕置き部屋へ来なさい」
びくり、と床に転がっていた女の子の身体が震えた。表情が、余裕のあるものから覚めた顔に変わる。
「......父様。まだわからないの?」
「お前こそ、まだわからないのか」
「はッ、わからないね。わからない。まったくわからないよ父様。僕はただ生きて、生きているだけで、本来であれば守られるべき立場にある人間なんだ。それをこんな風な扱いをして。――もしも、ここで僕の言葉が『××』になったらどうするつもりなの?」
ぐ、と父親は息をのむ。女の子は、ゆっくりと起き上がって父親たちのそばを通り過ぎ、引き戸を開けた。
白い空間の向こうは奈落のように真っ暗で、何も見えない。そこに半身を沈めて、女の子は言った。
「大丈夫、まだ父様と母様に『××』を使うつもりはないよ。......まだ、ね」
女の子は言い残して、奈落の中に消えていく。市村は追いかけようと、自分も奈落に足を踏み入れた。
――ノイズ
*****
「あ、れ」
景色に見覚えがあった。この景色を見たのは自分だという確信が、市村にあった。
葬儀場だ。ここは、祖母を弔った葬儀場の中だ。
祭壇には祖母の幸せそうな顔が鮮やかに印刷された遺影と、紫色の菊を中心とした花々で彩られ美しい。
「とも」
「母さん」
現在の市村は、その光景を他人の目線で見ていた。テレビの向こう側にいるような感覚だ。
このあとのことは知っている。過去ならば、過去は変えられない。ならば、と思って黙っていることにした。
「とも、公子ばあちゃん死んじゃって悲しいね......とってもいいおばあちゃんだったね......」
市村の母、友明は泣く。ハンカチで目元をぬぐう。ほとんど化粧をしていないその顔には、くっきりと隈が浮かんでいた。
「はぁ、うん」
一方、中学校の制服に身を包んだ市村は、何でもないことのように、そう、本当に何の気なしに、言った。
「母さん。明日からそのハンカチ、誰がアイロンかけるの?」
友明が、凍り付いた。
市村はその顔に疑問を抱く。
そう、市村はそのとき――これっぽっちも悲しくなかったのだ。
それよりも、祖母が分担していた分の家事が誰に回ってくるのかの方が気になっていた。自分に回ってきたなら嫌だなぁ、部活も勉強もあるのになぁ、などと考えていた。
「と、も? どうしてそんなこと言うの?」
「え、どうしてって」
「公子ばあちゃん死んで、悲しくないの?」
「えー、あー、んん......」
こういう場所で「悲しくない」と言い放つことがはばかられるものだということは、さすがの市村もわかっていた。だから、なんとかごまかすことにした。
「いや、ほら。ばあちゃんが死んですぐだからさ、まだ実感なくて」
「ああ、そうよね。うん。ともはそんな冷たい子じゃないものね」
友明に、親戚から声がかかる。ちょっと行ってくるね、と言い残して市村から離れる。
「......はぁ、めんどくさ」
市村にとって些細なこの記憶。これを〈見た〉意味は何だ?
そう、現在の市村が考えていたときだ。
「市村くん」
ノイズ混じりの映像と音声とは別な方向から、ひんやりと心地よい声が聞こえてきた。
市村の意識は、その声に導かれるように、やわらかくほどけていく。
次に目を覚ましたのは、理宮のいる『第二書庫』だった。
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