◆Episode.24 終わりにさせて◆

 足早に歩いていた優樹子は、いつの間にか駆け足になっていた。優樹子の教室から『魔女』の根城である『第二書庫』までは近くない。

 体力のない優樹子は足がもつれそうになるのを必死にこらえて走る。

 しかし。

「あ、」

 がくり、とつま先が廊下にひっかかり、その場に転んでしまった。痛みに、うずくまる。

(このままじゃいけない、このままじゃいけない。このままじゃいけないんだ)

 どうしようもなく涙が流れる。このままでは、自分は隠し事でつぶれてしまう。

(わたしがどうなればいいの)

 自問自答しても解答は出ない。必死に理宮の言葉を思い出す。

「君は自分で立つ力がある」

「自分を支えなくてはならないよ」

「君の『願い』は叶うだろう。君が強く思うなら」

 そして、優樹子は考える。

(わたしの『お願い』は、なんだっけ)

 自分の願い事の根本を。優樹子の根本の『願い』は、『癖を直したい』だったはずだ。

(でも、もういいや)

 ふらり、と優樹子は立ち上がる。

 最後に、理宮の言葉を思い出した。

 その言葉は――



*****



「優樹子くんは『願い』を叶えることができると思うかい?」

「何ですか、また突然」

 市村は今日も、第二書庫を訪れていた。ノックをして中に入ると、当然、理宮は窓際の背の低い本棚の上に陣取って足を組んで座り、――つまらないな、と考えている猫のような表情をしていた。

「僕はね。優樹子くんは『願い』を叶えることはできないのではないかと考えているんだ」

「はぁ......それがどうしたっていうんですか。俺たちにはあんまり関係ないんじゃないと思うんですけど」

「そうだといいんだけれどね。市村くん。君はまだ気が付いていないから、教えてあげるよ」

「何をですか」

「僕は本当は、『願い』なんか叶えていないんだ」

「はぁ!?」

「本当に僕がやっていること。『願い』にほど近いもの。それは彼なり彼女なりの『願う形に近いもの』を『予言』しているだけに過ぎないのだよ」

「それは、未来を占っているってことですか」

「占いなんて大層なものじゃないさ。僕は言葉を紡ぐだけ。それが形になってしまうだけ。【運命】になってしまうだけ。それだけなんだ」

「じゃあ、もしかして優樹子さんの願いは」

「............、」

 理宮は、沈んだ面持ちで黙り込む。

「叶わない、かも、しれないってことですか」

 そう悟った市村は、心の内をそのまま口に出した。

 理宮は、静かにうなずくだけだった。

 こんなに悲しそうな表情をしている理宮のことを、初めて見たかもしれない。市村の目には、今にも涙に濡れそうな理宮の瞳が映っている。

「どうして、なんですか」

「どうしてとは?」

 理宮は弱々しい声で応える。

「どうして理宮さんは、そんなことができるんですか。俺は信じませんよ。そんなの。もしできたからって、理宮さんのせいにしたくない。俺は、あんたを守ります。もし罪をかぶせられても、今まで通り、あんたを守るだけです。それが――」

 市村は、堂々と胸を張って言う。


「『第二書庫の魔女の助手』の役割、ですから」


 苦しそうな表情で市村のことを見つめていた理宮だが、市村が一生懸命に言葉を紡ぐところを見ていて、やっといつもの表情を取り戻した。

 おとぎ話に出てくる意地悪な猫のような笑み。

「そう。あんたはそうやって笑ってればいいんですよ」

「ふ、そうだね。君に教えられるとは。やれやれだ」

「はぁ、どっちがやれやれなんですか。あんたさっき死にそうな顔してましたよ」

「なっ、そ、そんな顔などしていない!」

「いーや、してました」

「むぅう......」

 やっと訪れた和やかな時間。

 だが。


きぃん、ごぉん――......


 それも、予鈴によって終わりを迎えた。

「君、次の授業は?」

「ええと、ひのふのみ......あ、やば」

「なんだ、ツマラナイ。君ともうちょっとおしゃべりしたかったのだけれど」

「しょうがないでしょ。流石に俺、あんたみたいに留年はしたくないです」

「これは病気のせいなんだ。僕だって留年なんかしたくないさ」

「ま、次の休み時間なり自習時間なりにまた来ますよ。そんとき、また話しましょう」

「ああ。そうだね。それじゃあね、市村くん。また」

「はい」

 市村はスクールバッグを肩にかけ、第二書庫を出ていった。最後まで理宮に、笑顔を見せて。

 理宮以外の人間が第二書庫からいなくなり、しん、と部屋が静まり返る。

 まるで。『第二書庫』が結界のようなものに守られているようだ。

 そっと、理宮は脚を組み替え、苛立つような姿を見せた。

「もう、これ以上......奪わないでくれ」

 祈る。ただ、祈る。

 理宮にはそれしかできない。この惨劇に終止符を打つことが、できない。

「どうか。どうか。もう喪うのは、嫌なんだ」

 理宮の声は、誰かに――誰にも――



*****



 市村が音楽室に入るや否や、目に入ったものは異常なものだった。


 優樹子が、縄で首を吊っている。


 音楽室はドーム状の屋根に作られており、その合間には無数のはりが張り巡らされている。そのうちの一本を選び取り、縄をからめ、その縄に。【縄にかかって】いた。

 あまり深刻に考えずに実行したのだろう。縄の結び目は雑で、ひっかかっている、と言われればそれまで、という様相だ。身体のあちこちからは体液が流れ落ち床を汚している。

「は、ぁ、あ」

 市村が驚いているそばで、ある生徒は腰を抜かし、ある生徒は気絶し、ある生徒は走って教員を呼びに行っている。続々と生徒が集まっては、いずれかの行動を起こしていた。

「何で、どうして」

 市村には意味がわからなかった。何故、優樹子が首を吊らねばならなかったのか。理由を告げたい、と言いたげに、優樹子の目前、ぶら下がっている目線の先に一通の手紙があった。

 ためらいながら、市村はそれの封を開け、中身を改める。

〈これはわたし、木下優樹子の遺書です。

 わたしは今まで、たくさんのことを隠してきました。何度も何度も隠してきました。

 幼稚園に通っていたとき。わたしの吃音に文句を言えない昆虫を何匹も殺して土に埋めました。墓に入れるというよりも、隠してしまおうと思ったから、そうしたのです。蝶も、蟻も、蛾も、蜻蛉も、蛙も、色んなものを殺し、埋めて隠しました。

 小学校低学年のとき。わたしの吃音を馬鹿にしてきたひとたちに、いじめをはじめるきっかけを作りました。ある女子のものを隠して、「他の子が隠しているところを見た」と言ったのです。それは何回か繰り返しました。何回も繰り返しました。クラスがぐちゃぐちゃになるまで繰り返しました。

 小学校高学年のとき。わたしは万引きのうまみを知ってしまいました。口紅やハンドクリームの試供品やテスターを、こっそりと持って帰るのが楽しみになってしまいました。この頃から、わたしに嫌な癖がついてしまったんだと思います。

 中学生のとき。いじめにあう前にやっぱりクラスを壊してやろうと思って、色んなものを盗み、隠し、壊し、捨て、焼き、ゴミクズにしてきました。吃音のあるわたしは全然、疑われずに、誰もが誰かを犯人だと思い込んだまま三年間が終わりました。

 高校生になってからは、もう知っている人は知っていると思います。愛音さんをはじめとした、知らずのうちにものが無くなっていくのはほとんどわたしのせいでした。

 謝るつもりはありません。だってわたしはこの世界から嫌われていたからです。この世界が、人々が、生き物が、憎いです。

 わたしはこの憎しみを隠したまま、最後にこの手紙を置いてこの世を去ります。

 さようなら。どうぞ皆様、悲しんで〉

 読み切った市村は、その場に脱力し、崩れ落ちた。理宮の、理宮のあの言葉が現実になったのだ。


「君が直す気持ちを捨てたとき。そのときは『縄にかかってしまう』かもね」


 この絶望は理宮が呼んだのか、否か。

 【カミサマ】にしか、わからない。


【Continue to the next Episode】

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