◆Episode.22 乞う◆
その日、『第二書庫』に向かう乱暴な足音が響いた。
足音は当然ながら、『第二書庫の魔女』そして『魔女の助手』である二人の耳に届き、何事かと警戒心を高まらせた。
ノックの音すらなく、扉が乱暴に開けられる。その向こうにいたのは――木下優樹子だ。
「ま、ま、『魔女』さんッ!」
息せき切って、落ち着くことを知らずに優樹子は声を上げる。
「わわ、わたしー、のッ! 『お願い』がッ!」
「叶っていない、と言いたいのかな?」
叫び声を上げる優樹子に、理宮は冷静な言葉を浴びせる。
「そっ、そっ、で、すっ!」
「君の『願い』は確か、『癖を直すこと』だったね」
「ぐ、な、ら......なななん、で」
「まあまあ、まずは落ち着きたまえよ。そんな状態じゃまともに話もできないぜ」
そうまで言われて、優樹子は荒かった息を少しずつ抑え、やっと優樹子なりにきちんと言葉を発せられるようにして、改めて理宮に抗議した。
「わわわわたしの、『お願い』が、かな、な、叶ってないー、です!」
「ほう。なるほど」
「優樹子さん、とりあえず落ち着いて」
「い、い、市村くんーに、は、関係、ない」
「関係あるよ」
「な、なん、で?」
「俺は、理宮さんの......『魔女の助手』だからね。きちんと話、聞かせてくれよ」
市村は優樹子を落ち着けるように誘導し、西側に据えられた席の椅子に座らせた。理宮の強い言い方では優樹子の心中を導くことは出来ないと考えたのだ。
優樹子を座らせたあと、市村は優樹子の表情が理宮にも見えるように立ち位置を変え、言う。
「それで、どうしたの?」
優樹子は、先ほどまでの様子とは一変してしょんぼりとして話し出す。
「わ、たし。くく、癖がなお、らないんで。す。どう、して、も。やっち、やっちゃうんです」
「癖、かぁ。優樹子さんはどんな癖を直したいの?」
「それ、は......」
言葉が消え、優樹子はそのまま黙り込む。沈黙が第二書庫に落ちた。
少しの時間、第二書庫が空白になる。それを、理宮の声が切り裂いた。
「君の直したいと望む癖というのは、誰にも言えないものだろう」
理宮の言葉に、優樹子はびくりと肩を震わせた。どうしてそれが、と言いたげに、涙のにじんだ瞳で理宮を見る。
「木下くん。否、妹がいるから紛らわしいね。優樹子くん。君は誰にも言えない癖を持っているんだろう。それをばらしてほしくないという『願い』もまた同じ胸に潜めている。違うかね?」
優樹子はひどく怯えた瞳で息を飲む。
(理宮さんのことだから、ある程度のことまでは知ってるんだろうな)
理宮はいつものように、窓際の背の低い本棚の上に座り、にやにやとおとぎ話に出てくる猫のように意地悪そうな笑みを浮かべている。理宮の視線は鋭く優樹子のことを射抜く。その様相はまるで、猫が獲物をしとめようとしている直前に見えた。
「わ。わたし、の、癖......し、知って」
「風の噂でね」
「ひっ」
小さな悲鳴は優樹子のものだ。
優樹子の、癖。隠し事と、盗み。この二つが、優樹子が抱えている癖だ。それを理宮は、見抜いている。
「いいかい、君。君はこの癖を直すことができる。できないのは、君の心が未だ弱いからに違いない。君は、一人で立てるだけの力がある。それを忘れないほうがいい。そうじゃないと」
「『縄にかかる』、でしたっけ」
「おや、珍しいね。市村君が覚えているなんて」
「はぁ。ひどいですね。これでも一応『助手』としてここにいるんですけど」
「そうだった、そうだった」
けらけらと、理宮ははしゃいだ声を出して笑った。
「さて、優樹子くん」
「な。んで、すか」
理宮は、とん、と軽いステップで背の低い本棚から降り、優樹子の前でひざまずいて手を取った。
「君は一人じゃないんだ。君は、支えてくれる人も、支えられる力もある。この世界で生きる力がある。だから――道を踏み外しては、ならないよ」
「......う。う、ひっく」
優しい理宮の言葉に、とうとう優樹子は泣き出してしまった。理宮は手を握る力をほんの少し強め、市村も優樹子の肩に手を置く。
ひとしきり泣いた優樹子は、目を真っ赤にして、それでも力強く言った。
「わ。たし。『お願い』叶え、る、ために。もう、少し、がんば......って、みます」
「そうだね、そうしたらいいさ」
「優樹子さん、大丈夫そう?」
「う。ん。がん、ばる。頑張る」
それでいい、と理宮は立ち上がる。
「それじゃあ、市村くん。優樹子くんを教室の近くまで送ってあげてくれないか」
「わかりました。行こう」
「う。ん」
市村が優樹子を連れ、第二書庫を出ていく。それを見送って、理宮はもう一度、本棚の上に座った。
足を組み、何かを考え込む。そして、ぽつりと呟いた。
「頼む。......頼む」
祈るように、理宮は目を閉じる。
理宮の祈りが何を意味するのか。理宮は胸の内を明らかにしない。誰に言うこともせずに、ただ一人、祈り続ける。
『願う』ことはしない。
ただ、祈り続ける。
*****
その音は幼い頃に聞いたことがあった。
市村の耳は、今、音で満たされていた。ノイズ。雑音。チューニングをするときに発せられるその音は、ざらざらと砂をこぼしているようだ。過去に、砂嵐と表されたこともあったな、と思った。
やがて、ノイズがおさまり目の前に光景が広がる。
それは、いつか見た女の子のいる光景だった。
薄暗い、小屋。その中に女の子はいた。中は全体的に薄汚く、段差すらない二畳程度の空間の中に、申し訳程度の用を足す器具と、ぼろぼろになった赤茶けた毛布があるだけで、正直、刑務所のほうがまだマシな空間だと言えた。
そんな小屋の中心に、屋根からつながる柱が一本立っている。そこからさらに麻縄が伸びて――女の子の左足首に、括りつけられていた。
「なっ」
思わず市村は声を出す。しかし、女の子には聞こえていないようだ。ぐったりとしていて動かない。
市村は女の子を助けようと腰をかがめ、女の子の身体に触れようとした。しかし、何者かがそれを許さないと言った風に市村の腕は女の子の身体をすり抜け、空を切った。
「どうして......」
女の子は眠り続けている。死んでいるのではないか、と市村は心配した。だが、心配のみに終わった。女の子が目を開いたからだ。
「......はッ。また、暴力か」
ゆっくりと、女の子は身体を起こす。腹部が痛むのか、一瞬、顔を歪めた。
「こんなことをして、僕の『××』から逃げようなんて。馬鹿げているね」
女の子はこの場所がどこなのかと、確認するためにあたりを見回す。
「この場所ということは、またご飯にありつけないということか。まったく。これ以上、生育に支障が出たら本格的に児童虐待で僕を逃がしてしまうぜ。馬鹿だなぁ、母様も父様も」
ノイズ混じりの光景は、幼い女の子の言葉を少しだけかき消す。聞き取れない部分がいくつかあった。市村がそれを追いかけることはできなかった。
次第に光景は薄くなる。再びノイズの砂に埋もれ、見えなくなっていく。
電子音
*****
規則正しい、ピピピ、ピピピ、という音で目を覚ました。目覚まし時計の音だ。
市村は電子音を止め、のそりと起き上がった。
「また、変なもん見たな」
ノイズの向こうでは、いったい何が起こっているのだろうか。
わからない。
理宮に伝えたらいいのだろうか。それとも、飲み込んでしまったらいいのか。
「はぁ、もう勘弁してくれよ」
あの悲惨な光景はもう見たくない。できるなら、今見たものも忘れてしまいたかった。
それが誰の記憶なのか、知ったら――捨てるのが、惜しくなるだろうか。
「誰の、なんだろうな」
もやもやした気持ちのまま、市村は今日も詰襟に袖を通す。
【Continue to the next Episode】
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