『魔女』は優しく微笑むように

◆Episode.19 新たな『魔法』◆

 木下優樹子。

 二卵性の双子の姉。その情報は、市村の耳に届いていた。彼女の態度はおどおどとしていて、障害ともとれる吃音のせいで友人にも恵まれていなかった。

 幸い、市村はそういった障害に関心を持っていないがために、優樹子と仲の良い数少ない人間となっていた。

 その優樹子が、『第二書庫』へ姿を現した。

「わ。たし。『お願い』ー、が。あるんで、す」

 その言葉を、理宮はいつもの場所に座り聞いている。

 窓際の、背の低い本棚の上。そこが理宮の特等席だ。そこに脚を組んで座り、おとぎ話に出てくる猫のような意地悪そうな笑みを浮かべている。しかし、どこかいつもよりは真剣な表情をしている。少なくとも、市村にはそう見えた。

「君は何か、様々な望みや『願い』が入り組んでいそうだね。それで、何を叶えて欲しいんだい? この僕に、『第二書庫の魔女』こと理宮真奈に教えてくれ」

「......悪い、く、せ。直した。い、んです」

「ほう、悪い癖か。いったいどんなものか――否、教えなくても良い。君がそう『願う』なら、きっとやめられるに違いない」

「そ。です、か?」

「ああ、もちろん。君が『願い』僕が叶えると言ったら、それは『魔法』となって君のすぐそばに顕現するのだ。それがどんな形であってもね」

「おおお、『お願い』は、それ。だけ。です」

「わかったよ。わかった、理解した共感した。叶えようと思った。君はその癖を直したらいい。だがね」

 理宮は、優樹子の方を真っ直ぐ指さして言った。


「君が直す気持ちを捨てたとき。そのときは『縄にかかってしまう』かもね」


 理宮の、『魔法』。この先のことを予言する、一言。

 市村はその言葉を聞くたびに、背筋に冷たいものが走る。もう何度目かになるが、一向に慣れるということはなかった。

「わ。かりー、ままま、ました。それ、じゃ」

 そうして、優樹子は第二書庫から出ていった。不器用そうな足音が遠ざかる。

「理宮さん。『縄にかかる』ってどういうことです?」

「慣用句だよ。単なる慣用句さ。彼女には必要な苦言だよ」

「はぁ。そう言われても俺にはわかりませんよ。ことわざ辞典でも持ち歩けばいいんですか?」

「ははは! それもいいことかもね。僕の言葉の真意が少しでもわかるなら、そうしたらいいさ」

「そうは言いますけどね。俺はあんたのことが未だによくわかりませんよ」

「おやおや、こんなに長い時間を共にしているというのに、まだ僕のことを理解していないっていうのかい? あーあーあーあ。嫌だなぁ。僕はこんなにも市村君を愛しているっていうのに」

「ぶっ」

 理宮の言葉に、市村は喉の渇きを潤そうと口に含んだスポーツドリンクを吹き出しそうになった。無理にごくんと飲み込んで、理宮に反論をする。

「あのねえ、理宮さん。そうそう簡単に愛してるだの好きだの言わないほうがいいですよ」

「仕方ないじゃないか。君の願いを叶える代償は『僕に惚れてもらうこと』なんだから。それを叶えるには、まず僕の方から好意を持つことが大前提だろう」

「はぁ......」

 市村はその言葉に、なんだか辟易としてしまった。どうしても、そんな感情を抱くことができない。

 愛だの恋だの、同級生が一喜一憂する姿を見ていて、それを理解できずにいるのだ。

 それがいつからそうだったのか、今は思い出せない。思い出そうとすると、なんだか思考にもやがかかり、頭痛がして、結果、考えるのをやめざるを得なくなるのだ。

「そういう理宮さんは俺に惚れてもらうなんて代償を請け負って、それでいいんですか?」

「ああ、大丈夫さ。否、大いに結構。肯定、肯定、全肯定さ。僕は君に惚れてもらうことに幸せを覚えることだろうよ」

「そういうもんですか」

「そういうものだよ。まあ、そのとき僕は君の傍にいないかもしれないけれどね」

「え、」

 理宮の漏らした言葉に、市村が反応する。

「それって」

「君が僕に恋焦がれるとき、きっと僕はそこにいない。もしも再会することができたなら、君は『幽霊にでも会ったかのような顔』をするだろうね」

「やめてくださいよ、まるであんたが死ぬみたいじゃないですか」

「――――もし、真実だと言ったら?」

「しんじ、つ」

 理宮が死ぬ。『第二書庫の魔女』が死ぬ。にわかには信じられない。少しも信じられない。市村の思考の中に、理宮が死ぬという姿は想像できなかった。

「なあ、市村くん」

「何です、か」

 ずきり、ずきり、と頭が痛む。どうしてか、理宮の死に関することを考えただけで、市村は酷い頭痛に襲われた。

「この光景、とてもいいと思わないかね」

「光景......?」

「ほら、外を見てごらん」


ざぁ――――............


 窓の外では、枯れ葉が舞っていた。つむじ風に巻き込まれ、銀杏の、桜の、紅葉の葉が舞い踊る。

 痛みが、増した。市村はこの光景にどこか見覚えがあった。

 違う。これは〈あれ〉とは違うのだ。これは違うのだ、違う――



*****



 市村は、炎が巻く廊下に立っていた。

 この場所に覚えがある。彼女のいる部屋へ続く道だ。

 ああ、彼女を助けなければならない。彼女のことだ、きっと自分のことを待っていることだろう。

 まだ安否不明の状態だ。もう避難したのかもしれないが、彼女が自力で避難できるとは考えらえない。

 炎舞う廊下を、駆けだす。迷うことはなかった。一度しか来ていない場所だが、自然と頭の中に地図が浮かんでいた。

 彼女のもとへ、走る、走る、走る――



*****



「市村くん」

「っは、ぁ」

「大丈夫かい? やけに顔色が悪いけれど」

 気が付くと市村は、第二書庫の床にひざまずき、頭を押さえてうずくまっていた。

 市村の顔面は蒼白だ。嫌なものを見た、嫌なものを思い出した。そう、自覚していた。

「何だい、何だい。どうしたのかね。こんな枯れ葉の舞いにそんなに痛みを覚えて」

「俺......俺、なんか、火事の中にいて。それで、誰かのもとへ行かなくちゃならなくて、それで」

「そんなこと考えるものじゃないさ」

「どうして、ですか」

「それはね、『対岸の火事』だからだよ。だから――」

 理宮は、市村のことを抱きしめる。

 甘い香りがした。柔らかな、女子特有の、石鹸やシャンプーなどの香料が混じりあい、かつ、理宮自身の体臭がほんの少しだけ混ざった、甘い香りが。

「――君はまだ、もう少し、思い出さないほうがいい」

 ぎゅっと、理宮は市村を抱く腕に力をこめた。市村は優しいその力に、安心する。

 いつのまにか、市村は眠りに落ちていた。脱力し、身体を理宮に完全に預けていた。

「まだ、早いようだね」

 理宮の言葉は、市村に届かない。

「もう少し。もう少しだけ時間を置こう。そうしたら、きっと」

 天井を仰ぐ。理宮の目に、天井の染みが映った。それを懐かしむようにしっとりと瞳を閉じる。

「市村くん。君は――」

 理宮の声は、ただ、虚空にこだました。



【Continue to the next Episode】

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