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  • 八日町の戦い(十)への応援コメント

    ……前話コメントに続けて……
    返信ありがとうございます。
    小説内でもそうですが、飛騨江馬家の関係者名がスーっと出てくるのは驚きです。新たな知識が増えました。
    江馬家の領地は上杉、武田の両陣営にとって辺境部にあり、自陣営への取り込みを図る外交手段として感状等が使われたのかも知れません。明石藩・河上家の伝・武田信玄 感状については、父が(昭和14〜16年頃)当時学んでいた旧制松江高校の国史教室に感状を持って行き、教授に鑑定をしてもらったことがあったそうで、花押や署名、文面から本物ではないかと言われたそうです。(その時、撮った感状の写真が現在の島根大学に残っている可能性も考えられますが…)おおよその文面は「先日は危ないところを助けて頂き感謝している。今後は子々孫々まで優遇するので武田家を頼って欲しい。」といった内容であったと聞いています。宛名が誰であったか、感状を書いた年月日等が分かれば、かなりの参考になると思われますが、島根大学に写真が残っているかどうか、問合せ調査してみたいと思っています。


  • 編集済

    八日町の戦い(九)への応援コメント

    飛騨の戦国時代をこれほど詳しく書いたものがあったとは、驚きながら飛州三木家興亡録を興味深く読ませて頂いております。
    私の父は、播州明石・松平藩士であった河上家の出身ですが、戦前に、河上家に伝わる「武田信玄の感状」があった(戦災で焼失)という話を聞いています。父はその感状を河上家が伝えるに至った経緯は知らないままでしたが、最近、私がインターネットで検索し検討してみると、飛騨・江馬家の家老、河上氏なら武田信玄と関わりがあり、感状を貰う可能性があるのではないかと考えるようになりました。明石藩士・河上家はその菩提寺(長寿院)から推測するに、明石に来る前は、越前・大野で松平氏(直明)の下に居たようです。松平氏の明石転封に伴い藩主の菩提寺・長寿院と共に明石へやって来たのでしょう。飛騨から落ち延びた河上氏の子孫が越前大野に住み、後にやって来た松平氏に仕えた可能性はあるように思います。
    そういうわけで現在、戦国時代・飛騨の歴史に関心を持っており、この小説に出てくる河上富信がどういった人物か、信玄とどう関わったかは興味あるところです。

    作者からの返信

    歴史の証言者からコメントをいただき、驚くとともにありがたく思っています。
    河上富信自身は江馬家における対上杉関係文書にその名が頻出していることから、ガチガチの上杉派だったことは間違いありません。
    一方武田に臣従した江馬家の人物といえば、1581年に高天神城で戦死した江馬信盛が思い浮かびます。
    江馬家は甲越いずれに従うかで分かれており、となると河上家もまた主家と同様、二派に分かれていたと考えるのが自然で、武田家に従って戦陣に立った河上家の人物も当然いたことでしょう。
    その意味で、感状は河上家ひいては江馬家の動向をたどることができる貴重な史料だったかもしれず、焼失は惜しまれますね。
    また越前大野郡といえば飛騨との通行を扼する場所で知られており、御先祖様から伝わる伝承と現実との間に矛盾もないように思われます。
    そんな証言者の目に拙著がさらされ、冷や汗が止まらないです。誤りがあれば指摘して下さい

  • 八日町の戦い(二)への応援コメント

    領国よりも茶器を望むことによって
    「知行はもういいから引退させてほしい」
     と申し出たわけである。

    死にそうなくらい忙しい管理職をみてると、彼らの気持ちが大変よくわかりますね…

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    滝川一益のこのエピソードを知ったとき、「本能寺の変は誰が起こしてもおかしくなかったのでは?」と思い当たりました。
    その意味でも、本能寺の変とは、起こした側よりも起こされた側に原因を求めるべき事件なのではないかと思います。

  • 大永元年の乱(五)への応援コメント

    最初からここまで、ひとまず一息に読みました。
    本格的な作品なので、読むのも少し疲れます。
    いくつか読みづらいと感じた点があります。

    ・人物がイメージしづらい。
    ・場所、家々の関係性がイメージしづらい
    ・時系列、季節感などが感じられない

    感情移入しにくいというか、共感しにくいのですが
    とはいえ内容はしっかり読むと面白い。
    どちらかというと図書館でじっくり読みたい作品です。

    作者からの返信

    ありがとうございます。感想とても嬉しいです。本当にこんなに嬉しいことはない。
    家々の関係がイメージしづらいというのは反省点です。これらの要素をノートに書き出して矛盾のないように組み上げたつもりでしたが、それらは自己満足だったのであって、読者に伝えるという意味ではまだまだ努力が足りないということなのでしょう。
    執筆にあたって歴史的事実を追うことに必死になってしまう傾向は確かにあり、そのあたりが「人物像がイメージしづらい」という印象につながってしまうのでしょう。
    ご指摘本当に嬉しいです。勉強になります。今後ともよろしくお願いします。

  • 永正江馬の乱(四)への応援コメント

    はじめまして(^-^)
    講談を聞いているようで、面白いです。
    小春さんが抱えていた苦労やプライド、そして自害してしまった事が悲しくも惹きつけられました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    戦国期の江馬家には謎の部分が多く、どうやらこのころ家中に騒動があったらしい、ということ以外は分かっていません。
    なので小春のエピソードも創作ということになりますが、基本的には史実にのっとりながら、虚実ない交ぜのエピソードを今後も掲載していきたいと思ってますので、ご了承のほどをお願いします。