画竜転生を描く〜異世界帰りの絵描き美少女を助けたら惚れられてしまいました〜
ウサギ様
episode:1-1【雨の日喫茶】
雨の日喫茶、という噂話を耳にした。
雨天の時だけ入り口が出現する喫茶店で、信じられないほど美味しいコーヒーを出すそうだ。
俺は別に特段とコーヒーにうるさいということもなければ、都市伝説のようなものに好奇心を覚えるわけでもない。けれど、今日はいやに蒸し暑く喉が渇いていた。
この田舎の町並みに自販機がないことも知っていて、コンビニなんて便利な店も遠い世界の話である。
そんな事情もあり、都市伝説に縋るように、シャッター街でキョロキョロと喫茶店がないかを探していた。
めちゃくちゃ美味いらしいコーヒーには興味はなく、もし見つけたら氷たっぷりのコーラを注文してやろうと思いながらため息をつく。
そんな喫茶店があるはずもない。雨の日にだけ開くのならばまだしも、雨の日にだけ入り口が出現するなんてあり得るはずもない。
喉が渇いた。雨が鬱陶しい。
そんなことを思いながら、滝のように雨が流れている路地を見る。屋根の形のせいで降雨がそこに集中しているようだが、少し妙だ。
路地に接している二件とも新しい建物に見えるのに、間が狭く建物が近すぎる。
火事などの対策のため、建物同士はある程度の距離を保たなければならないという法律が出来たのでそうはならないはずだ。
屋根を伝り落ち、水のカーテンのように隠された路地の先がほんの少し気になる。
普段は気にもしていない、何もない壁だけの路地に足を踏み入れる。持っていた傘が折れそうなほどに雨を受けながらも抜けると、晴れた日には何もなかったはずの壁に扉があるのを見つけた。
「……本当にあるのかよ」
雨の日喫茶。
看板は出ていないが、それらしい扉の形をしていて、鍵もかかっていない。
雨の匂いに混じっているコーヒーの香り。今日の朝まではなかったはずの木製の扉を開けて、傘を閉じながらゆっくりと入る。
カラン、と鳴る鈴の音。外よりも強く感じるコーヒーの香りと、それに混じって感じる様々な異臭。
とりあえず席につこうかと店内に目を向け、赤く染まった小さな人影を見る。
蹲るように腹部を抱えて丸まり、横に倒れている少女。まるで塗りたくるようにべったりと付着した紅い液体。
「ッ! おいッ! 大丈夫か!?」
血の気が引くのを感じながら傘を放り投げ、少女の元に駆け寄った。
ばくりばくりと、聞いたこともないような音を鳴らす自分の心臓を努めて無視しながら少女の口元に手をやる。どうやら息はしているようで、ほんの少しの安心をしながら怪我の位置を探ろうとして、ガツッ、と赤い手が俺の腕を掴んだ。
「……んぅ? 誰、です?」
「だ、大丈夫か!? 今、救急車を呼ぶから大人しくしてろ!」
急いで自分のポケットに手を突っ込んでスマホを引き抜こうとし、赤い手がそれを防ぐ。
「お、おい、何している!」」
「……寝起きなのに、バタバタ騒がしくするの、勘弁です」
「怪我してるだろ! 落ち着いて大人しく……!」
「絵の具ですよ。これ」
少女はふぁぁ、とあくびをしながら、赤い手を自分の黒いズボンで拭って俺に目を向ける。
「……コーヒー、淹れるけど、飲みます?」
「えっ、いや……」
俺が言い淀んでいると少女はむっくりと立ち上がり、素足でペタペタと歩き部屋の奥に向かう。
掴まれたことで赤い手形の付いた服の袖を見てみると、たしかに血液ではないことが分かる。
安心して一息吐くのと同時にコーヒーの匂いが強くなり、またペタペタという足音が聞こえた。
「はいどうぞ」という気の抜けた言葉と同時にコーヒーが赤い絵の具に塗れた床に置かれて、湯気が俺の頰を撫でる。
嗅ぎ慣れた……インスタントコーヒーの匂いだ。
到底、都市伝説にあったようなコーヒーではない。それどころか、周りを見れば喫茶店らしさのカケラもなかった。絵の具塗れの床や壁に、いくつもあるテーブルや椅子には幻想的な生物の絵が雑に置かれていた。
あまりに雑多なように感じるのは散らばった絵の具がカラフルな色をしているからで、物が多くあるからではないのだろう。
コーヒーを口に含む。異様に濃いが、飲み慣れたインスタントコーヒーである。
この蒸し暑い中、ホットで余計に身体に熱が篭る。
「……ところで、誰ですか?」
それは俺が聞きたい。と思いはしたが、どうやら元々は喫茶店らしいが、別に営業しているという風でもなく、少女の場所に俺が勝手に入ってしまったのだろうことが分かる。
コーヒーカップに手を付けて少女を見る。多くの絵の具が付いた灰色のパーカー、七分丈の黒いズボン。そこから覗く素足は白く細い。
「あー、喫茶店かと思って邪魔したら、倒れていたから」
「あれ? ……あー、今日、雨です?」
少女はこてりと首を傾げてコーヒーに口を付ける。
俺も喉は乾いたが、ホットコーヒーを飲むには蒸し暑い。少女はそういうことを気にする様子もなく勢いよく飲み干して、湯気の混じった息を吐く。
「……あっつい」
「何でホットコーヒーを淹れたんだよ。 ……確かに今日は雨が降ってるが……」
「あー、それでですか」
少女はごにょごにょと口の中で独り言を転がしつつ、寝癖の付いた頭を絵の具の付いた手で梳く。
俺に目を向けずに立ち上がったと思うと、近くにあったパレットに手をつけて、そのままその手で白いキャンパスにペタペタと塗っていく。
「えーっと、何をしてるんだ?」
「あ……ごめんなさい。ちょっと寝起きでぼーっとしてました」
そう言いながらも少女はペタペタと塗っていき、こちらへと顔を向けた。
もしかして、随分な変人と関わりを持ってしまったのだろうか。
「あー、勝手に入って悪かったな。 てっきり噂の『雨の日喫茶』という店かと思って」
「何ですか、それ」
素手で絵を描いていく少女はべったりと絵の具の付いた手でキャンパスに『?』と大きく描いてから、それを輪郭に人の顔を描いていく。
「ああ、雨の日にだけ入り口が現れる喫茶店があるという都市伝説で、普段ここをよく通るけど見たことのなかった喫茶店っぽい扉があったから、てっきり……」
話していた言葉が止まる。別に蒸し暑さにバテたわけでも、少女が俺に何かをしたわけでもない。
何が起きたのかを言えば、雨の音が消えた。口を動かしている少女の声も。
コーヒーの味や蒸し暑さも、少女の姿すら失せて俺の目には、少女の描いている絵のみが世界になっていく。
少女の指が引いた線は、おそらく芸術的なものではない。そもそもどんなに優れた芸術性を持った絵だとしても、完全にど素人の俺には理解出来ないだろう。
その絵はもっと分かりやすく単純に、誰の目にもあからさまにとてつもないモノであった。
写実的。あまりにも。
絵の中に一切のフィクションを許さないかのような、世界をそのまま切り取ったかのような絵画。
あるいは写真よりもよほど本物に近く、あるはずのない吐息すらも絵から感じる。
「……俺か?」
「あっ、はい。絵を描いてないと落ち着かなくて……いります?」
「いや……いい」
あまりにも描くのか早い。変人という印象が吹き飛んでいくほどの衝撃を受けて、言葉が詰まる。
ありえないほど早く、写実的。
この場所の不思議さも合わさり、この世ではない場所に紛れ込んでしまったかのような印象が脳裏に張り付く。
俺の様子を不思議に思ったのだろうか。
こてり、と少女は首を傾げた。
ぱちりと開いた二重まぶたの目が俺の顔を覗き込む。化粧気のない長い睫毛が微かに揺れて、赤い絵の具の付いた白い頰が柔らかそうなキメの細かい肌をしていることに気がつく。
作り物を思わせる線の細い輪郭、薄桃色の形の良い唇。
この場所に来てから感じていた、どこか現実的ではないような浮ついた幻想感の正体に気がつく。
それは都市伝説の中にあった雨の日だけに現れる扉のせいでも、周りに置いてある幻想的な生物の絵画のためでも、一瞬で描かれた俺の絵からでもなく。
理想を詰め込んだような、あまりにも美しい少女の姿に、現実味を奪われているからだということに、やっと気がついた。
洒落っ気のないパーカーがパタパタと動く。
「おやー、もしかして僕の絵に心を奪われましたね?」
少女は自慢げにコロコロと笑みを浮かべ、気分が良さそうに名乗りを上げた。
「僕は見ての通り絵描きです。
「……いや、ファンにはならないが」
子供っぽい笑み。一色は嬉しそうに笑って、俺に俺の絵を向ける。
「これあげますよ。これでも、ファンサービスは欠かさないタイプなんです」
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