第2話 トリックルーム


『ピコン』


 耳障りな音に皆、仕方なく注目した。


「新作が出題されました。『愛と呼べない夜』。出題者は、『肉薄』。全部で1、2……、5話まであるみたいです」


「そ。僕はいいや。来月、楽しむことにするよ」


『怠惰』は謎を解いて満足なようだった。一方、『正義』は怒りのやりどころを探していた。


「っんだよ! 問題なんて解いてる場合じゃないっつーの! 」


 周囲の喧騒をよそに、『強欲』の指は自然と次の謎へ伸びていた。


 トリックルーム。ここには上質な謎が、市販されている推理小説にはない殺人者の狂気とが溢れている。その濃厚な上澄みを、誰も踏み入れていない処女地を独占したい気持ちに駆られていた。新作の謎。まだ誰も読んでいない、彼だけの謎。


 しかし、その気持ちもすぐに崩れる。

 これは、彼らに報せなければならない。自分で楽しむだけにしてはいけない謎がそこにあった。


「あの! 『怠惰』さん、これを読んでください」


『強欲』がタブレットを手渡す。『怠惰』は仕方なく受け取る。


「冊子は印刷するまで時間がかかるから、タブレットだとすぐに読める。アプリの導入をオススメするよ」

 トリックルームの主こと『最強』はアプリを売り込んだ。


「そんな正体不明の怪しいヤツが作った正体不明の怪しいアプリをインストールするわけあるか」

「俺もパス」

「で、でも! 読んだ方がいいと思いますよ、だって! 冒頭のところにこう書いてあります!」


 >『溺愛』が死ぬまで、あと2時間。


「……って!」

「ふうん。出題者は誰って言ってたっけ?」

「『肉薄』って人です」


『怠惰』は思考を巡らせるために店内を歩き回った。


「『肉薄』か。あいつは出題する問題の現場にわざわざ入り込んで、事件の現場をリアルタイムで目撃しないと気が済まないド変態だ。おそらくその問題の現場にもあいつが入り込んでいるんだろうな」


「それなんですが……、僕もまだ読み途中なんですが、ここにいる僕たちが、この問題に気が付いて今こうして話していることが、そっくりこのまま問題文に書いてあるんです。まるで、リアルタイムでこの場を見られているかのように」


「は? どういうことだよ!」


「はい、このセリフもここに書いてあります」


『強欲』はタブレットを掲げて両者に見せた。

『怠惰』はようやくこの問題に、少しばかりの興味を見せたように、そのタブレットを受け取り、操作する。


「ふうん。なるほどね。さわりを読んだ限りだと、とりあえずこの後僕と『正義』は、『溺愛』を助けるために留置所に行くみたいだよ。なるほど。今この現状が書いてあるんだ。面白い。と、言っているね、僕が。確かに少し面白いと思っているけれどね」


 約1分後、『怠惰』はタブレットを『強欲』に返した。

 すると、先ほどとはうってかわって、主張を変えた。


「なぁ、『正義』。ここは『肉薄』のステージに招待されないか。こうして僕と君が物語に登場するのなら、リアルタイムで僕らも事件を目撃出来るかもしれない」


「いやだね。俺には何のメリットもねぇからな」


「なら、僕が独自の情報網で『九十九塚佳織』の個人情報を調べて、君に渡そう。それならどうかな?」


 九十九塚佳織は、『正義』の実の弟、『誰何』を殺した張本人の名前だ。


「ふん。……いいだろう。しかし、『溺愛』を助けるかどうかは俺が決める。あいつも同罪だ」


「それは構わないよ。僕は『溺愛』が、どのようにして殺されるのかが知りたいだけだからね」


「あ、あの! すみません。ここ、読んでください」


>『怠惰』は『正義』のスーツを見て、

「なら僕も君に合わせてスーツで行こう。せっかくの『肉薄』の用意した舞台だ。正装で行かないとな」

 店内に飾ってあったネクタイを締め、ありあわせのものでスーツを用意した。


「……と書いてあるので、スーツで行くのはどうでしょうか?」

「…………」


『怠惰』は一瞬呆気に取られたが、気を取り直して店の主に伝える。


「『最強』。スーツはあるかい?」

「はい、よろこんで!」

 店の主は居酒屋の店員のように素早いフットワークで店内を駆け回り、『怠惰』の身体に合うスーツを持ち寄った。

「ついでに何個か武器を持っていくか。うっかり間違って殺されてしまわないように」


「いいけど、どれを持ってく? あ、新作の凶器を持ってくかい? 『倍返し』って言ってね、名に恥じない強烈な殺し方だよ。『ばいがえし』するんだ……」


「いや、サンダルと指輪でいいかな。新作とやらは、使いこなせるか怪しいから、また今度ってことで」


 店主の売り込みをスルーして、『怠惰』は店内に掲示してある数点の凶器をスーツの裏ポケットに忍ばせた。


「あ、スーツだし、例のネクタイもよろしく」

「はいよ」


『最強』は黄緑色のネクタイを手渡す。

「『溺愛』がいる留置所はどこだ?」

「ここから車で15分程かな」


「『肉薄』のことだ。おそらくタクシーは用意してあるだろう。ほら、行くよ『正義』」

「あぁ、気に入らねぇ奴はぶっ殺してやるよ」


『正義』はその名とは裏腹に、鉄竹刀を打ち下ろす標的を探すような目付きだ。


「じゃ、『強欲』。極上の謎と推理を楽しんで。こっちはリアルタイムの殺人劇を楽しんでくるからさ」

「は、はい」


 登場しない『強欲』は蚊帳の外だが、しかし楽しそうだ。タブレットを読み込んでいる。まだ事件は始まっていないのに。

『怠惰』たちは階段をあがり、鉄扉を閉じ店を後にした。




『溺愛』が死ぬまで、あと2時間。

 場合によっては少し早まるだろうか。


 夜は長い。

 冷たい風を切り、タクシーは走る。


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