第2話 トリックルーム
私は重たい鉄の扉を開ける。
そして、下を見下ろす。
まったく、この店に来る時にこれだけが厄介よね。
長い螺旋階段を下りる。ここまで履いて来た可愛いミュールをもこもこのスリッパに履き替える。ぱたぱたと可愛い音を響かせて私は店内に舞い降りるの。この音を聞いて、店主は気づくわ。
「おぉ、いらっしゃい。ディーちゃん。もしかして、新しく入荷したこのアイテムを見に来たのか? じゃーん! 『真実の愛アンメイデン』!! どーん!!」
「ちがうわ、全然違う。あと、私をディーちゃん、なんて可愛くない名前で呼ばないで。私には『
「……はいはい。で、今日はそんなおめかしして何しに来たんだい? 納品しに来たって訳でもなさそうだし……」
「お買い物しに来たに決まっているでしょう? ここが何の店だと思ってるのよ」
私は衣服売り場に行って、キュートなネクタイに手を伸ばす。「彼、黄緑色が好きみたいなの。いっつもだるだるの洋服ばっかり着ているけれど、あの人がスマートな体型なの私知っているのよ。抱きついたときの腰のサイズでね。きっとスーツが似合うわ。なら、ネクタイを締めてあげないと。蛍光色のネクタイなら、まぶしい白いシャツよりも少し暗めの、灰色のシャツの方が映えるわ。ねぇ、あの肩までの髪を結んでスーツを華麗に着こなした彼、その彼にネクタイを
「あぁ……、そうだね」
私は店主が明後日の方向を見ながら笑っているのを見逃さなかったわ。ネクタイを放り出して、ぱたぱたと、可愛い音を響かせて走り出した。
「Sさま! Sさま! 会いたかった!!」
彼は絶対に私から逃げない。何故なら彼の名前は『
「離れろ、ソーシャルディスタンスだ」
「今日もいいにおいね」これは、シャンプー。ニドネスのクリオネのにおいね。
「近寄るな殺人鬼」
「そう。私を捕まえてくれたのは、あなただけ」
「帰る」
私は立ち上がりかけた彼から離れた。距離を5メートルほど取る。小さく手を振ると、彼はため息をついて、またいつもの椅子に座った。
彼から「最低5メートル距離を取ること」と命令されているの。でも、少しくらいなら破っても許してくれるのは知っている。優しい彼だもの。
「ねぇ、Sさま。今月の極上の謎、もう読まれました? 『間違いなく君だったよ』。素晴らしい、愛の物語だったわよね」
「え? あぁ。あれか」
「君の大好きなSさまは、その事件、挑戦してないんだよ」
「ひと月に1つって決めてるんだ。僕はもう、今月一つ解いちゃったからね。それに、恋愛系は苦手なんだよ。心が読み取りづらい」
「まぁ! 何事も勉強よ、Sさま。なんなら私が手取り足取り……」
「5メートル!」
彼は手を差し出す。握手を求める手ではない。私を抱き寄せる手でもない。指先は天井へ向けられ、手のひらはこちらを向く。拒絶の手。
いいの。いいもの。今はまだ。でも、きっとそのうち。彼は私の虜になるの。
「じゃ、挑戦しなくてもいいから、せっかくだから挑戦しましょうよ」
「何言っているんだよ」
「挑戦って、要は賞金がもらえるか、もらえないか、でしょう? 賞金なんていいじゃないの。Sさまは謎解きがお好きなんだから」
「そうはいかないよ。トリックルームは、極上の謎。社会的制裁を懸けたゲームなんだから。無料で読まれちゃ困る」
今度は店主が拒絶の手。私はその手を払いのけた。
「じゃ、参加料だけ払いましょ。私がSさまの分も払うから。それでいいでしょ?」
「まいどあり~」
店主の拒絶の手はひらひらと動き、代わりに私に一冊の本を手渡した。
表紙には『間違いなく君だったよ』と書かれていた。
「はい、Sさま」
「君の分はいらないのか?」
私のことまで思いやってくれるなんて、優しい。でも、大丈夫。私、この本読みすぎて、妄想膨らませすぎて、もう頭に全て、一語一句残らず入っているから。
パシュッ。どがごんっ!!
私の後ろで店主が椅子から転がり落ちていた。私の持つ銃から白煙が昇っていた。
「で、……ディーちゃん。注文するときは、せめて今から撃つよって言ってからにしてくれないと、首が……」
「注文しまーす! じゃ、早く読んで! Sさま!!」
彼は本を開く。本を読んでいる最中は、彼はとても集中しているから、後ろに立っても怒られないの、知っているんだから。
彼のつややかな長い髪。女の子のような細いなで肩。彼と寄り添って、愛の物語を読むことができるなんて、なんて幸せなんだろう。
これから彼に教えてあげるんだ。
真実の愛の前には、何もかも意味をなさないってこと。
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