九、旅立ちはいきなりに

「タロウ……? 何か言ったかい?」


 ワンッ! 少女の問い掛けに、吠える事でしか返事をできないタロウ。

 本来はそうなのだ。

 犬は鳴くことしかできない。

 空き瓶は、そこに佇むことしかできない。


 でも、私は言葉を手に入れた。それと同時に、姿も。


『……ヴぉー、あー、どうもー!』


「誰!?」


 辺りをキョロキョロと見回す魔女っ子。

 ここは彼女の部屋の中。他には飼い犬のタロウしかいない。

 まー、卓上のポーション瓶が話し掛けてきたとは思わないよね。


『こごでず……ちゃぷぼこっ……おわ、間違えた。目の前にいます。落ち着いで、話を聞いて下ざい』


 音を上手く反響させるのには本当に苦労した。それによって言葉を紡ぐのも。

 失敗すると水中で喋ってるみたいになるのよねー。

 試行錯誤する中で『変音Lv3』や『調律Lv1』なるスキルも習得して、なんとか言葉になるよう漕ぎ着けた。

 途中でタロウに話し掛けたりもした。

 魔女っ子の声を再現しようかと思ったけど、無理だったわ。反応はしてたけど。

 私が作り出せるのは、記憶に一番残っている自分の声だけ。


「ポーション瓶の蓋が動いてる……? それが、音を作り出してるっていうの?」


『あ、正解です。苦労じました』


 呻くようにして溢れた魔女っ子の声に、返事をする。

 ちゃんと意思を持って、言葉のやり取りができる存在だとアピールするのだ。

 コミュニケーションよ、言葉のキャッチボールよ!

 勝手に人が投げたボールを拾いに行った感じだけど。


 魔女っ子を見ると、全身をわなわなとさせているようだ。

 急に目の前のポーション瓶が話し掛けてきたら、無理もないだろう。

 でも、私としてはもっと下を見て欲しい。

 の正面から、見て欲しいのよねー。


「あ、えっ、黒魔術を使ったせいかしら……ヒッ、ごめんなさい。悪魔? 異界の悪魔なの?」


『……へ?』


 全身を震わせながら、魔女っ子がとんでもない事を言い出した。

 どうやら錯乱しているようだ。

 まさか、私の問い掛けを呪われたか、悪魔の囁きとでも思ってんじゃないだろうね。ていうか、そんな感じよね?

 待て、待てーい! こちとら、意思の疎通が取りたいだけなんですけどー!?


『下、下を見で下さい。もうちょっど正面から……』


 今更ながらに『プロジェクション』の欠点に気づいた。

 これは、自身の姿をポーション瓶に投影させる光魔法。

 ガラスの表面に姿が映り込むように、私の姿をイメージして映し出しているのだ。

 なぜか制服姿だけどね。『ミラー』も併用して確認したわ。

 青春時代のイメージが投影されたのねー。それこそ。


 だが、せっかくの私の人間形体真の姿なのに、錯乱する魔女っ子には見てもらえない。

 目線の高さが高いのだ。

 瓶に投影された私の姿は、上から見ても湾曲していて、なにがなんだか分からない。

 これは、完全に誤算だったわ。


「ひ、指令? 命令? 悪魔の声に耳を傾けてはダメ……! 魂を取られるわ……?」


 なんかヤバい事言い出したけど、大丈夫かこの子。

 この世界に悪魔っているのね。悪魔みたいな女神がいるのは知ってたけど。


『ぼこっ、違うわよ! 私はポーション瓶のクリア。元人間なの!』


「悪魔の手先? 私も物にされてしまうの?」


 ことさらに混乱、錯乱、恐慌する魔女っ子。

 終いには、頭を押さえてガタガタ震え出してしまった。


 この子、こんなタイプだったんかい。割と物事に動じないタイプかと思ってたわ。

 これじゃ話にならない。一旦落ち着かせないと。


『悪魔の手先って、私を空き瓶にしだのは女神よ。悪魔じゃない。大丈夫……』


 なにが大丈夫なのか分からないけど。

 ていうか、なんで私が女神だから大丈夫なんて言わなきゃなんないのよ。

 女神は敵。女神はボコす。


「へっ? 女神? 教会の秘術に手を出した方なの?」


 またよからぬ余罪が出てきてるじゃないの!

 怪しげな実験を繰り返してるとは思ってたけど、なんてマッドな子なのかしら。


『どにがぐ。どっちでもいいから、落ち着いて私の話を聞いてぐれない?』


「悪魔と教会どっちもに目を付けられたの……!?」


 話が通じないとは、まさにこの事か。

 完全に……接触失敗だわね。

 せっかくの初コミュニケーションだってのに、全く意思の疎通が取れないわ。

 やっぱ、物が喋り出したら変かー。

 せめて動物とかだったら、ワンチャンあったかもなー。

 こっちなら、モンスターなんだろうけど……う?


 急にむんずと掴まれる。

 誰だい? 私の身体を掴むのは。


「ごめんなさいごめんなさい、もうしません! 勝手に秘術を使ってごめんなさい! 禁術を使ってごめんなさい!」


 しきりに謝り始めた魔女っ子が、ポーション瓶を手に握り締め、身体を大きく振りかぶる。


『えっ?』


「ごめんな、さーい!」


 窓に向かってぶん投げた。「な」のところでパワーはマックスだった。


『えええええぇぇぇ!?』


 ━━ガシャーン!


 ガラス窓を余裕でぶち破った私は、あっという間に室外に投げ飛ばされる。

 なんて事すんのよ、この魔女っ子ー! 変なところで大胆不敵だわね、アンターァ!


 宙を飛び、庭の塀も越えた私は、青く茂る街路樹に突っ込んだ。


 ボサッ、ゴン。ゴロゴロ……ぼふっ!


 おろろろ……。

 街路樹の幹を伝って地面に落下する。

 これ『硬化Lv3』なかったら、完全に死んでたでしょ。

 ん? 最後の方に聞こえた着地音は柔らかい布に包まれたような音だった。

 なんでしょう? 今日は燃えるゴミの火だったかしら。

 私の窮地を救ってくれる事に定評のある、生ゴミの袋の上にでも落ちたかと思って感覚を広げてみると、綺麗な布の上にいるようだった。

 あら? この私が綺麗な布の上に落ちるなんて、珍しい事もあるもんねー。


 状況の把握に努めると、辺りには整頓された品の数々。

 身体に伝わってくるガラガラ……という規則正しい振動。

 木の囲いに乗せられた荷物達は、ゆっくりと流れる景色を眺めている。

 景色をいるのは私だけど。

 物は景色を眺めないものね。


 ふーむ。こりゃもしかして、車かなにかの荷台じゃないかしら。

 異世界という舞台を考えれば、馬車というところか。荷台の囲いに視線を巡らせると、御者であろう人間の背中が確認できる。

 彼が操るのは車のハンドルではなく、馬の手綱だ。

 状況から察するに、通りすがりの馬車の荷台。その上に、私は落下したようだった。



 な、なんだか急展開ね……。

 ひとまずは心を落ち着かせる。私の精神耐性はLvレベル3まであるぞ。

 今日は私の、記念すべき新しい日になると思って行動に出たわけだけど、まさかこんな事になるなんてね。

 急な出立だわ。慌ただしい門出だわ。

 タロウに挨拶もしてないのに。魔女っ子の顔は、暫く見たくない……。


 辺りはのどかな景色が広がっている。

 街の門を抜け、畑が広がる緩やかな丘陵地帯。

 この馬車は恐らく商人かなにかのものだろう。荷台に置かれた品々や、街を抜けて馬車を走らせているところから推測できる。

 こりゃあ、別の街に着いちゃいそうね。

 魔女っ子のいる街に特別思うところもなかったけれど、異世界ここに来て初めて入った街から出ることになる。

 といっても、私が見たのは街外れのゴミ捨て場と魔女っ子の家くらいだけど。


 世界を知りたいな━━。


 ちょっとだけ、そう思った。

 私には、私を空き瓶こんなんにした女神への復讐という使命がある。

 それ以外の事は、今は分からない。というか、できそうもない。

 気ままに異世界を旅するなど、今の私にはありえないのだ。

 ……荷物として世界を回ることはできるかもしれないけど、絶対に梱包されるわね。外、見えぬ。


 思わぬところでの旅立ちとなったけど、私の復讐の旅は始まったばかりだ。

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