守護神騎ディルクラム ~神剣の大地~
みなかみしょう
1.薄明
一つの世界が終わろうとしていた。
空からその光景を見れば一目瞭然だ。
山々に囲まれた、そう広くない平原。そこを閉ざすように設けられた巨大な壁のような頑健な要塞。
そこに黒い軍勢が雲霞(うんか)のごとく押し寄せていた。
黒い軍勢は魔王軍と呼ばれている。
雑多な魔物の混成軍で、この世界の実質的な支配者だ。
オーク、ゴブリン、コボルド、トロル、オーガ、ダークエルフ、ワイバーン、ハーピー、ラミア、マンティコア、その他、名前を知られていないものも含めて、あらゆる種類の魔物が軍となり、要塞に攻撃を仕掛けていた。
それはもう攻撃などという生やさしいものではない。押し寄せる災害だ。
魔物の王、魔王を中心とするこの軍勢は、ある日突然この世界に現れ、世界を侵略し始めた。
そして今まさに、この世界を完全に飲み込もうとしている。
対して砦を守るのは、この世界に生きる人類だ。
エルフ、ドワーフ、そして人間。それ以外にも僅かに存在する獣人などの種族も含め、彼らは団結し、人類という一つの種族となり、必死に戦っていた。
彼らは良く戦っている。戦力比という言葉が馬鹿馬鹿しくなる数の暴力に対して、練り上げた戦術で要塞をよく守っていた。
砦の前の平原には大量の人類の死体と、それを遙かに上回る魔物達の死骸が転がっており、地獄のような有様だ。
戦う彼らは知っている。
自分達が負ければ、これ以上の、本当の地獄が現出し、この世が終わってしまうことを。
だからこそ、絶望の極地にあっても、人類の士気は高かった。
既に半壊している要塞をよく見れば、そこかしこに魔王軍の巨大戦力の残骸が見て取れる。
ドラゴンに、巨大ゴーレム。
これこそ、魔王軍最強の戦力である。その中でもドラゴンはロードとされる最強種まで戦線に投入されていたが、エルフによる魔法によって討ち取られていた。
これらの亡骸こそが、人類の強さの証左だ。
人類は強い。だが、それでも足りない。
魔王とその軍勢はあまりにも巨大で強壮だ。何よりも、いくらでも湧いて出てくる数の暴力には抗しきれない。
一人の人間の戦士が、要塞から遙か東の空を見ていた。
地上からは生き残りの王国騎士団が、何度目かの決死の突撃で雑兵を蹴散らす雄叫びが聞こえる。
弓を持つ彼の役目は騎士達の援護なのだが、ふと感じた気配に、空を見たのだ。
太陽の昇る時なのが幸いした。疲労の重なる彼の目でも、なんとかそれを見ることができた。
そこに見えたのは、これまで何度も恐怖した空飛ぶ巨影。
「ドラゴンだ! また来たぞ!」
そう叫び、弓に矢をかける。エルフの魔法がかけられた矢はドラゴンの鱗すら貫くが、大きさの差を考えると、あまりにも頼りない。
それでも、彼は前線を支える歴戦の戦士だ。ドラゴンを前にして、指が震えることはない。
狙いを定め、真っ直ぐ飛んでくるその頭に狙いをつける。
「……嘘だろ」
戦士から言葉が漏れた。
そこにあったのは空を埋めつくす、大量の黒いドラゴンの姿だった。
攻めてくるのは一匹では無かったのだ。数がどんどん増える。
まるで闇が迫ってくるかのような、絶望の光景が目の前に展開されていった。
「くそっ……!」
吐き捨て、矢を連続で打ち放つ。どの道逃げ場はない。戦士の判断は速かった。
魔法の矢は常ならぬ速度で飛び出し、ドラゴンの群れに吸い込まれていく。
当たり所が良かったのか、一匹のドラゴンが空中でふらついた。
「やった!」
手応えを感じ、更に矢を放つ。要塞の各所からも、同じような攻撃が始まった。
俺達はまだ戦える。まだ守れる。
そんな魂の叫びが、形を為したかのような攻撃が始まる。
打ち出されるのは矢だけではない。エルフの魔法、ドワーフの攻城兵器。どれも魔王軍と戦うために作り上げられた逸品だ。
特別製のそれらは確実に空から飛来する絶望を減じていく。
「いけるぞ! もっと矢を!」
そう言って、戦士が砦内の仲間に声をかける。
「おい! 補充はないのか!」
返事は無かった。
少し前まで武器の補給をしてくれる仲間がいたはずなのに。
答えは簡単だ。中で補給を担当している者まで前線に出なければならなくなったということだ。
この戦いはとっくにそうなっていた。既に、炊飯係まで前線で武器を振るっているのだから。
「くそっ。もうもたねぇぞ!」
そう叫びながら、残った矢を弓にかける。
戦士に脳裏に撤退の文字は無かった。眼下を見れば、生き残った騎士達とドワーフ達がゴブリンとオークの混成軍を必死に押しとどめている。
あの守りもいつまで持つか……。
そう思った時、向こうから巨大ゴーレムがこちらに向かって来ているのがうっすらと目に入った。
ドラゴンほど早くはないが、時にそれ以上に厄介な相手だ。
崩れた砦の一部から、先ほどまで補給係だった兵士が身を乗り出し、弓矢を空に向けて構えているのが見えた。
その目に諦め光が無いのを見て、戦士は奮い立つ。
「来い! 俺達はまだ負けてねぇぞ!」
自身を鼓舞するため、戦士は叫びながら、じっくりを狙いをつけてから魔法の矢を放った。
それから十数分後。
ドラゴンの群れの一部が砦に到達し、砦上部にいた戦士達を一斉になぎ払った。
そこからの崩壊は早かった。
ドラゴンから少し遅れて、巨大ゴーレムが要塞に接触。その巨体から繰り出される一撃が容赦なく叩き込まれた。
人類世界を守る盾が崩壊する。
この場での組織的な抵抗は限界を迎え、その場しのぎの局地戦が展開される。
そうなれば、数の多い魔王軍は圧倒的に有利だ。
ゴブリンを中心とした軍勢が破壊された要塞に押し入り、一気呵成にその先を目指して進軍。
要塞の先にあるのは少しの平地だった。
殆ど目の前のような距離にあるのは、山に挟まれるように作られた、頑強な砦。
人類の世界の入り口である『始まりの街』に作られた最後の守護だ。
すぐに『始まりの街』より魔王軍に対しての攻撃が始まった。
それは激しいものだが、ここに至るまでの激戦と比べればささやかなものだ。
空を埋め尽くす黒いドラゴン、陸を行くゴーレム。その足下で蠢く黒い魔物達の軍勢。
悪夢の軍団は、犠牲も省みず人類世界を飲み込むべく、進軍する。
人類側も残った戦力を投入するものの、力が及ばない。
要塞にいた者達が最高最後の精鋭だったのだ。
魔王軍の勢いを止めきれず、そこかしこで命が散っていく。
人間の男女が包囲の中で命と引き替えの大魔法を使う。
ドワーフの戦士が、先祖伝来の火の魔法具を使い巨大な火球と化す。
一人のエルフが自身を巨木に変え、魔物を巻き込みつつ巨大な障害物へと姿を変える。
命がけの防衛の数々は、ほんの少しだけ、魔王軍の進軍速度を削っていく。
だが、黒い軍勢は速さを失いつつも、じりじりと、じりじりと、『始まりの街』に辿り着こうとする。
ドラゴンが、巨木と化したエルフを焼き尽くす。
ゴーレムがドワーフ達が魔法で作り上げた即席の防壁をその命ごと粉砕する。
ゴブリン達が目の前にいた傷だらけの剣士を倒し、家族の肖像画が入ったペンダントを踏みつけ、進軍する。
そうして、絶望の軍勢は、ついに人類世界の入り口へと到達した。
その時だった。
光が生まれた。
場所は、砦の向こう側、人類の生きる世界からだ。
そこから、青白い光の柱が天高く立ち上る。
それは太陽よりも眩しく、明るく、そして優しい光だった。
突然現れた光を見て、魔王の軍勢は完全に停止した。
ドラゴンも、ゴーレムも、ゴブリンもオークもその他全ての種族も。
邪悪な意志と共に進軍していた全魔物がその場で立ち止まった。
それどころか、下等な者などはその場で立ちすくみ、恐怖していた。
人類もその全てがその光を見た。
彼らはこの瞬間を待ち望んでいたのだ。
この光と共に来る者を。
光の柱が爆発する。
閃光が辺りを昼以上の明るさに照らし出した。
物理的な力を伴っているかのような光だ。事実、それを間近で見た低級の魔物などは瞬時に消滅した。
雪のように降り注ぐ、青白い光の飛沫。
その現象と共に来た存在は、白銀の姿をしていた。
それは鎧姿の巨人だった。
魔王軍のゴーレムとは違う、優美で洗練された鎧の巨人。
それはまるで、白銀の全身鎧を着た巨大な騎士だった。
背中には幾何学的な形状をした魔法陣で形作られた光の翼。
二つの角を持つ兜を思わせる頭部には、怒りに燃える黒い瞳が輝いていた。
守護神騎ディルクラム。
これこそが、ゼファーラ神がこの世界の人類に与えた、最後の希望である。
○○○
「…………」
「…………」
守護神騎の胸にある操縦席には一組の男女がいた。
一人は少女。それも十代前半に見える、短い黒髪に青い瞳の少女だ。
少女は丈の短い衣服を身に纏い、目の前にある巨大な水晶球に両手を置いて、静かに前を見ていた。
その後ろ、一段上がった所には一人の若者がいた。
年の頃は二〇くらいの、少年と青年の間くらいに見える男性だ。
白い法衣のような衣服を纏った赤い髪の若者もまた、青い瞳をしている。
彼は席の両端にある操縦用の水晶球を握り、少女と同じように目の前の光景を瞬きすらせずに見据える。
その両手に水晶が割れんばかりの力を込めながら。
戦場を見て、人類を見て、黒い軍勢を見てから、若者は言う。
「行くぞ。全てを終わらせる」
少女が一瞬だけ振り返り、若者に答える。
「行きましょう。これで終わりにするために」
次の瞬間、二人の意志に答えるように、白銀の巨人、守護神騎ディルクラムが両手を天に掲げた。
そして、全てを守るための最初の言葉が、辺り一帯に響き渡る。
『守護者の名において告げる 裁きの刃よ、来たれ』
全天に巨大な魔法陣が展開された。
魔法陣が目映く輝き、光り輝く刃が大地に降り注ぐ。
輝く刃、大小関係なく、あまねく戦場に蠢く魔物を襲った。
その刃に、魔物たちは抗えない。
先程までの進軍が嘘のように、戦場から魔物が消えていく。
その結果を見て、少女が口を開いた。
「撃破目標。魔王軍中枢、魔王。――勝ちます……今度こそ」
「ああ、必ず倒す……」
二人の意志に答え、ディルクラムはたった一機による進軍を開始する。
巨体が進むのを感じながら、若者はここに至るまでのことを思った。
全ての始まりは、これより二ヶ月前のことだ。
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