私はどこ?

逢雲千生

私はどこ?


 中学校最後の夏。


 私は進路に悩んでいた。


 クラスのほとんどは、私立だったり一貫校だったりと、自分の好きな高校に進学を決めているのに、私は普通の公立しか受けられないからだ。


 私の通う中学は、これといって大きな特徴はないのに、卒業生が国民的アイドルになったからというだけで、一気に知名度を上げた学校のため、在籍する生徒の半分は、華やかな進路を目指したいと夢見るようになっていた。


 友達は芸能人になりたいと笑い、私に夢を尋ねてくる。


 そのたびに誤魔化すけれど、彼女達になどとうてい話せない、地味で仕方のない夢だった。




 

 ある日のことだ。


 部活で帰りが遅くなり、薄暗い道路を歩いていると、通りの向こうから女の子が歩いてくるのが見えた。


 私と同じ制服を身につけ、フラフラとおぼつかない足取りで歩いてくる彼女は、学年一の美人と呼ばれるだちさんだった。


 彼女はうつろな目で、私から少し下に目線を落としたまま歩いてくる。


 鞄を持たないその姿は、学校で見る凜とした彼女とはかけ離れていて、ひどく胸をしめつけられた。


「……あの、どうかしたんですか?」


 思わず声をかけると、彼女はそこで、初めて私に気がついたらしい。


 はっとした様子で私と目を合わせると、誰なのかと考えた後で、小さく「ああ」とつぶやいた。


「たしか……隣のクラスにいるざきさん、だったわよね?」


「はい。今から帰るんですけど、足立さんは忘れ物ですか?」


 視線だけを軽く後ろに向けて尋ねると、彼女は「違う」と答えた。


 帰るところなのかと尋ねると、それも違うと答えた。


 じゃあ、何か用事でも思い出したのかと思ったけれど、鞄を持たないまま、制服姿でどこへ行こうと言うのだろうか。


 何を考えているのか、また視線を下に落とした彼女を見つめながら、話しかける言葉を探すと、彼女は小さく、囁くように「ここは……」と言ったのだ。


 一度目は聞き逃してしまい、何を言ったのか聞いてみると、彼女は私と視線を合わせてはっきりと言った。


「ここはどこ?」


 冗談でも言っているのかと思ったが、彼女の目は本気だ。


 明らかにこの場所がどこなのか、どこへ向かっているのかわかっていない、うつろで不安が混ざる目だった。


「どこって、ここは学校までの通学路ですよ? 足立さんも、毎日歩いているじゃないですか」


「がっこう……学校?」


 同じ目で首をかしげ、ゆっくりと私の後ろを見る。


 彼女が自慢しているという美しい黒髪が、白い首筋をゆっくりとつたい、首全体を覆い隠すと、彼女はまた「ああ」と、小さく言った。


「そう、そうだわ。私、学校に行こうとしていたのかしら? いいえ、あれは……」


 一人でブツブツと話し出し、だんだんと口調が激しくなっていく。


 その姿を不気味に感じ、後ずさりすると、運悪く小石を擦ってしまった。


 その音に気がついた彼女は、勢いよく私を見た。


 美しいと評判の髪は乱れ、その目は血走ってきている。


 学校内でも一、二を争う美貌が自慢だった彼女の面影はなく、私は恐怖を覚えた。


「あ、足立さん、私もう帰るね。早く帰らないと、お母さんが心配するから」


 逃げるように彼女の横を通り過ぎた。


 このままでは何かが危ないと思いつつ、勢いをつけて踏み出すと、彼女は私を引き止める気は無いのか、あっさりと横を通してくれた。


 少しだけ離れたところで振り返るけれど、彼女は私を見ていない。


 ただただ前を向いているだけで、彼女がどんな顔をしているのか、何を見ていたのかは、わからなかった。


 いい人だったら、彼女を学校に連れて行って先生に相談したり、家まで送っていこうとしたりするだろう。


 けれど、私はそこまで出来なかった。


 これ以上、関わり合いたくないと背を向け、足早に去ろうとした時、彼女の言葉が聞こえたのだ。


「……私は、どこ?」


「え?」


 振り返ると彼女は消えていた。


 裏道に入れるような場所ではないのに、彼女は本当に、一瞬で姿を消したのだ。


 少しだけ辺りを見回して、近くを探してみたけれど、やはりどこにもいない。


 何かの冗談か、からかわれたのかと思って家に帰ると、先に帰っていた家族に足立さんのことを話した。


 全員が不思議そうな顔をしていたけれど、私の話に質問する人はいなかった。


 だけどお兄ちゃんは、少しだけ考えて、


「なんでその子、、なんて言ったんだろうな?」


 そう言った。


 たしかに、私もそこが気になっていた。


 なんで「私は」「どこ」なのだろうか?


 普通、「ここは」「どこ」ではないのだろうか?


 だけれど、なんで彼女はわからなかったのだろう。


 毎日通う中学校への道のりなのに、なんでわからないと言ったのだろうか。


 それに、あの格好は――。


 部屋で足立さんのことを考えていると、一階の電話が鳴った。


 お母さんが出たようだけれど、なんだか様子が変だ。


 聞き耳を立てるように、お母さんの声に耳を澄ませていると、不安そうな声で電話の相手に返事をし、私を呼ぶ声が聞こえた。


 何かあったのかと降りてみると、お母さんは顔色を悪くして受話器を渡す。


 足立さんのお母さんからだと言われて出ると、足立さんの母親は、私に娘の行方を聞いてきた。


 なんでも、通っている塾から連絡があって、足立さんが今日は来なかったと言われたそうなのだ。


 真面目な彼女らしくないと思いつつ、部屋を尋ねても、彼女が帰ってきた様子は見受けられなかった。


 塾へは急な休みだと誤魔化し、彼女の携帯へ電話をかけても出なかったそうで、不安になった母親があちこちに電話しているそうなのだ。


 たまたま私の家の番号を知っていた元クラスメイトがいたらしく、少しでも助けになればと教えたらしい。


 時計は夜の十一時を回っていて、あと数十分で今日が終わる頃だ。


 足立さんは塾がある日でも、必ず十時までには帰り、遅くなるようなら連絡を入れてくるらしいので、母親の心配は最もだろう。


 私はとりあえず、暗くなり出した頃に学校近くの通学路で会ったことを話すと、足立さんの母親はどんな様子だったのかと聞いてきた。


 私は見たままを話そうかと思ったけれど、興奮している相手に話せるような様子ではなかったので、ある程度かいつまんで話すと、母親は不安そうな声で「どこに行ったのかしら」と呟いた。


 そういえば、と、足立さんが最後に言っていた言葉を思い出したけれど、母親は「夜中にごめんなさい、ありがとうね」と言って電話を切ってしまったため、私はその言葉を伝えられなかった。


 かけ直そうにも電話番号を知らないし、余計な不安を煽りそうだからと、そのまま布団に入った。


 私にも不安はあったけれど、怪我をしていたわけではないし、具合が悪そうにも見えなかったので、明日になれば帰ってくるだろうと願いつつ、眠りについた。


 けれど翌日、学校に行く前の私は、心がめちゃくちゃだった。


 テレビには足立さんが映っていて、ここから一番近い山の麓が映されたニュース映像には、大勢の警察官が一カ所に集まり、それぞれの仕事をこなしているのが見える。


 全員がマスクをつけ、現場らしきところを囲むように動いていて、緊急速報とつけられたテロップには、信じられない文字が記されている。


「マジかよ……」


 パンをくわえていたお兄ちゃんがそう言うと、お母さんは真っ青な顔でフォークをテーブルに置く。


 お父さんも新聞を置き、私と一緒にテレビを見つめた。


『――早朝に、犬の散歩を行っていた近隣住民の男性が、黒いビニール袋に包まれた女子学生を発見しました。女子学生は制服を身につけたままで、そばには持ち物らしき学生鞄が残されていて、学生証から、○○中学の足立さん、十七歳だと判明したとのことです。瑠美さんには複数のさっしょうと、頭に大きなぼくこんがあり、鈍器のような物で複数回おうされたことによる頭蓋骨の骨折が死因だと見られています。なお、金品は盗まれておらず、遺体は動かされた形跡が見受けられないとのことで、昨晩の間に、この場所で殺害、遺棄されたものとみて間違いないとの見解が示されています。警察は、目撃情報や交友関係を調べると共に、当日の足取りも追跡する予定だとのことです』




 ……私は、どこ?


 ――ここだよ。私はここ。


 ……私は、どこにいるの?


 ――私はここよ。ここにいるの。


 ……ねえ、どこ?


 ――ここよ、ここ。お願い、気づいて……





『――また、警察の発表によりますと、彼女は即死ではなく、殴打後も数十分から数時間は生きていたとのことです。ビニール袋に巻かれ、放置された後も、しばらくの間は息があった可能性がされているらしく、警察はこの事件を、殺人と死体遺棄だけでなく、さくの罪も踏まえた上で捜査を行うとのことです』





 ――誰か、助けて……助けて……助けて!





 ――――――見殺しは、罪になるのでしょうか?

 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私はどこ? 逢雲千生 @houn_itsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ