予知夢と観察眼
春嵐
別れを切り出されてから
目が覚めた。
何かを追っていく。走る。でも、追いつけない。そういう夢だった、気がする。
「おい、
顔を下に向けた。課長の顔なんて見たくもない。実際、数ヵ月ぐらい課長の顔は見てない。ヒールが見える。
「課長のヒールの音で起きました。寝起き最悪でぇす」
報告書は、もう完成している。出してないだけ。
「もう少し寝させてください。眠いんですよ。昨日の夜寝れなくって」
これも嘘。しっかり睡眠はとっている。というか、どこでもいつでも寝れる。そういう風に身体ができている。
「芽塚さんを見習え」
「はいはい。わかりました」
芽塚百合。斜め前の彼女。画に描いたようなビン底メガネ。
こちらのほうをまったく見もせず、イヤホンをしてラップトップとにらめっこしている。
「いい気なもんだ」
呟いた。
「お前がな」
課長に聞かれた。
寝るか。もう少し。いい案が浮かぶかもしれない。
斜め前の彼女は、恋人だった。そして、プロポーズをしようと思っている。結婚。考えたことはなかったが、最近夢見が悪く、その原因が、どうやら彼女との関係の変化にあるらしい。
だから、結婚を決めてしまって、不安要素を削除したかった。
最近、彼女の雰囲気が、変わったような気がする。どこが具体的に変わったのかは、説明できない。それでも、変わった。
その変化も、不安に拍車をかけていた。
自分は昔から、友人がいない人間だった。他人との距離感を多めにとる。向こうから友人だと思われたりすることはたくさんあるが、自分から友人だと思った人間は、いない。
だから、こういうときに相談に乗ってくれる人間も、いない。
理由は、分かっている。変えようもない。
予知夢と観察眼。このふたつが、自分には生まれつき備わっていた。だから、友達は必要ない。
なんとなく次の展開がおぼろげに分かったり、回避すべき何かをそれとなく教えてくれるのが、予知夢。そして、顔を見ただけで相手の感情や思いの変化がなんとなく見えるのが、観察眼。
もちろん、万能の能力ではなかった。
鏡で自分の顔を見ても、観察眼は発動しない。自分の心は分からない。
自分の姿は予知夢では消えている。予知夢のどの立ち位置に自分がいるかは、自分で考えないといけない。
デメリットは、それぐらいだった。他者のことさえ分かれば、友人は必要ない。
観察眼が示す恋人の変化。
追っても追いつけないという、予知夢。
このふたつが指し示すのは、まちがいなく、失恋。
そして、それに抗うため、結婚のプロポーズをしようとしている。
「はぁ」
失敗するだろうな。確実に。
観察眼のせいで、漫画やドラマでよくある実は妊娠してましたとか実は逆プロポーズのサプライズでしたとか、そういうのではないのが分かってしまうのもつらい。彼女にその傾向はまったくない。
寝て起きたら、すぐにプロポーズして、そして、さっさと振られてしまおう。切ないけど、予知夢と観察眼には敵わない。
寝た。
予知夢。
課長と、芽塚が、肩を抱き合っている、夢。胸がくっつかないように、絶妙な距離で。
「はあ、なんだよそれ」
起きた。
「なんだ、ようやく報告書を書く気になったか」
課長の顔。凝視した。恋心が、見える。
「な、なんだ」
「いいえっ。なんでもっ。ありませんっ」
ふざけるな。
なんでよりによって課長と彼女なんだよ。課長女なのに。女同士かよ。
「無理じゃん。勝てない」
女同士の恋愛に男が介入できるかってんだよ。なんだちくしょう。百合が百合ってか。冗談じゃねぇや。
「百合、ちょっといいか?」
会社で下の名前で呼ぶのは、はじめてだった。
彼女が、びっくりしてこちらを見る。
その拍子にイヤホンが外れ、ラップトップの動画の音が大音量で響く。
『夫婦と友達の違い。決定的な部分十選。次は』
なんだこいつ。仕事してないじゃん。動画見てるじゃん。
でも、その動画の音が、とどめを刺した。
「友達と夫婦の違い、か」
もうさっさと振られて、終わりにしよう。仕事もやめるか。居づらいし。なんだよ。なんなんだよ。
休憩室まで歩く。
芽塚。ビン底メガネを外す。驚異的な、美人。
「はあ。いつ見ても美人だなお前は」
「ありがとう。でも、課長ほどじゃないわよ、わたしなんて」
「そうだな」
さっき数ヵ月ぶりに見た課長の顔。恋心に溢れてた。美人だった。くそが。
「おまえ、俺に何か言いたいことあるんだろ?」
「いつもの予知と観察?」
「そうだよ」
「うん。単刀直入に言うね」
「ああ」
「別れよう、わたしたち。別れてほしいの」
「ああ。予想の通りだよ」
「ごめんなさい。でも、どうしても、私はなりたいものがあるの。分かる、よね?」
「俺が追っても二度と追いつけないところだろ?」
「うん?」
違うのか。
「いや、いいんだ。予知夢でそう見ただけだから。課長と仲良くな」
「うん。だから、わたしね、あなたとおともだちに、なりたいの」
「は?」
「あなたと恋人同士じゃなくて、友達になりたい」
何言ってんだこいつ。
いや待て。
友達のいない俺に向かって、友達と言う。
追っても二度と追いつけないところ。友達が、それなのか。
「冗談じゃねぇ。お前と別れたら俺は仕事もやめるよ。別れた女と上司が付き合ってる会社なんて、居づらくてたまらねえ」
「何言ってるの?」
「言葉の通りだよ。お前らの仲を」
「待って。そこが違う。予知夢と観察眼、まちがってる」
「ああそうかよ。どこが間違ってるか言ってみろ。俺は目と夢だけを頼りにして生きてきたんだ。間違うはずがねぇけどな」
もう、一刻もはやく、ここから立ち去りたい。面倒だ。
「あなたと課長のことよ?」
「は?」
何言ってんだこいつ。
「あ、ちょっと待って。もしかしたら、あなたの勘違いは私のせいかもしれない。ねえ、先に夢と観察眼で見た内容を教えて」
「どこをどう教えろってんだよ。もういいよ」
「よくない。教えて」
こんなに、押しが強いやつだったか。
「じゃあ教えてやるよ」
もうどうにでもなれ。
「俺が見た予知はふたつ。ひとつは、いくら追っても追いつけない夢。これはお前と別れるってことだ」
いま予知は為った。追いつけない場所。つまり友達。
「そしてもうひとつは、お前と課長が仲良くしてる姿だ。お前の相手がまさか課長だとはな。残念だよ」
「観察眼のほうは?」
「うるせえな。もういいだろうが」
「観察眼のほうを、教えて。私を見て」
ふざけるな。
さっきから見てるよ、お前のことを。
ずっと見てたよ。好きだったよ。
「決意。固い意志。後悔がない決断。そして課長と同じ恋心。これでいいか。もうお前を見ることもないし、見たくもない」
「分からないのね。観察眼と予知夢も、やっぱり完全じゃないんだわ。よかった。私もあなたの役に立てる」
「くたばれ。俺を罵倒するのはいいが、俺の目と夢は、ばかにするな。このふたつが俺にとって唯一の」
「ともだち、なんでしょ。だからなの。私は、あなたにとっての観察眼や予知夢のような存在に、なりたいの」
「何言ってるんだ。別れようって言ったくせに」
「うん。恋人同士じゃ、あなたの目や夢と同じには、なれないって、思ったの。本当は私だって、恋人同士がいい。ずっとあなたとくっついていたい。でも、決めたの」
「だろうな。そういう風に見える」
「だから、私と友達になってほしい。あなたの目や夢のように、私も頼ってほしい」
「ふざけるな。別れた女と仲良くするなんて、できるかよ。それに俺は、生まれてこのかた友達がいない。だから」
「だから、私が最初で最後の、友達になる。おねがい」
「嫌だね」
「だめ」
正面に、立ちはだかる。見ざるを得ない。芽塚。不安と、決意。多少の、悲愴感。
「なんで友達、なんだよ」
こんな思いをしてるのに、友達なのはなぜだ。
「あなたと課長が、付き合うから」
「は?」
なんだこいつ。おかしくなっちまったのか。
「お前と課長が付き合うんだろうが。何言ってんだお前」
「そこが違うの。あなたに恋してるの。ふたりとも」
ふたりとも。恋を。
「おい、まさか」
「あなたのことを好きなのよ。課長も」
「課長が、俺を」
でも、たしかにあんまり課長を見てはいなかった。
「じゃあなんで、予知夢が」
「それ。それで私は安心できたの。私と課長が仲良くしてる夢なんでしょ?」
「ああ。肩を抱き合って、ふたりでいちゃいちゃしてた」
「あなたの予知夢って、夢の中にいる自分の姿は見えないのよね」
「ああ。そうだよ」
「たぶん、課長と私が抱き合ってる、そのちょうど間にあなたがいると思う。サンドイッチ的な感じで」
「はあ?」
「自分の姿は見えないのよね?」
「おまえ、ほんと」
言葉が出てこない。
焦った。
胸がくっつかない変な距離で抱き合う夢だった。辻褄が、合っている。
「籍は、課長のほうに入れていいから。私は、あなたのガールフレンドとして、一生を、尽くします。だから、おねがい」
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