完璧主義のブルース

大森たぬき

完璧主義のブルース

「完璧主義とは完璧ではないから完璧主義なんですよ、先輩」

「言ってくれるなぁ。そのとおりだけど…」

 精神年齢14歳、実年齢は28歳の僕は、未だにコンビニのアルバイトをしているフリーターだ。

「お客さん来ませんね。先輩の顔が辛気臭いからですかね」

 自信がない僕は怒れないでいる。

「でもな後輩、完璧主義は失敗とは無縁なんだよ」

「挑戦しないからでしょ」

「う……、そのとおりだけど…」

「先輩は完璧主義の中でも、失敗しそうなことは挑戦しない主義の完璧主義ですもんね」

「言い返せない…」

「それは完璧主義とは言いませんよ、先輩」

「じゃあなんて言うの…?」

「うーん、わかりませんけど」

「気を使うとこそこじゃないよ…」

「本当にわからないだけです。先輩になんて顎すら使いたくないです」

「どういう意味なんだろう…」

 10以上も年の離れた後輩なのにボロクソである。まぁ、舐められるのも仕方ない人間だけど。

 何より失敗を恐れた僕は、完璧主義の皮を被って嫌なことから逃げ続けた。その結果がこれである。

 バイトが終わると、廃棄のお弁当を持って帰るのが日常になっている。だけどいいんだ。僕にはこれくらいが丁度いい。

 子供の頃、天井の木目がおばけに見えて依頼、僕はうつ伏せになって寝ている。

 今日も安らかに眠りにつく。





「先輩、夢とかあるんですか?」

「うーん…ないなぁ」

「ないんですか、意外です」

「そう?」

「そんな年になってもフリーターなんで、てっきり夢追い人かと思ってました」

「今日も調子良さそうだね…」

「そうかー、先輩、夢ないんですね。だったらこの先の希望もないですね」

「言い過ぎじゃない…?」

 とは言うものの

「先輩は人望も無いし、お金もないですもんね」

「泣きそうだよ…」

 そう言って誤魔化している。

「夢も希望もお金も人望もない…いやーそんな先輩と仲良くしてくれる人なんて私くら――」

 僕は遮るように言った。

「いい加減にしようよ…」

「え?」

「もううんざりだよ」

 調子が良かったのは僕だったのかもと、あとで振り返るとそう思うけど。

「勘弁してくれよ…」

 虫の鳴くような声とはこのことかという感じだ。それから退勤の時間になるまで、僕は一言も喋らなかった。



次の時間帯のパートのおばさんに言った「お疲れ様です」は、普通に言えていたと思う。

「先輩、何怒ってるんですか」

「……」

「いつもの事じゃないですか」

 帰り支度の手は止めない。

「たしかに今日はちょーっと言い過ぎたかも…」

 僕は目を見れずに、逃げるように立ち去った。ビシッと言えれば良かったんだけど、僕にはこれが精一杯だった。

 帰り道は線路に沿って、まあまあの罪悪感とほんのすこしのカタルシスを胸にしまった。





 あれから後輩とは何となく喋れない。罪悪感もあるけれど、それよりは過去の自分と向き合わざるを得なくなったからかもしれない。

 夢はあったんだ。無いって言ったけど、まだ20歳そこそこまでは。小説家になりたかった。僕は高校を出たとき、小説しかやりたくなくて、でも生活はして行かなきゃいけなくて、いまのバイトを始めた。親から家でろって言われたから。

 だけど僕は自分の書いたものに納得できなくて、一作も書ききれずに今に至る。

「夢も希望もお金も人望もないか…」

 図星をつかれてキレただけだな…。

 机の上には万年筆が転がっていて、勢いだけで大量に買った原稿用紙は、タンスの肥やしになっている。タンスを開けて、原稿用紙を引っ張り出す。インクの固まった万年筆の手入れをして波のような線をなんとなく書いた。

「書こっかなぁ」

 小説を。そう思ったら少し胸が躍って、僕は何でもできる気がした。

 これを書き上げたら、後輩に見せようと誓って、それから1ヶ月使える時間は全て執筆に使った。

 あんまり長引くと、言い出せないから。

「おかげで出来たよ」

 一作目。僕は原稿をカバンにしまって、次のシフトを確認した。





「後輩さん」

 たった一言だけど、ちょっとだけ喉に詰まった。後輩はというと、すこしだけ驚いてるようだった。

「…なんですか…」

「ちょっとこれ見てよ」

 カバンから出した原稿用紙は端の方がまばらに折れている。

「…なんですか…?これ…」

「小説だよ。読んでみて」

「えっ?小説書けるんですか?」

「書けてるかは謎だけど…。一作目だよ。最初に読んでほしくて」

「マジですか…記念すべき…」

「記念すべき…」

 後輩が読み始めたとき。

「小説家になるのが夢だったんだ」

 と小声で言った。

「そうだったんですか」

 と、かすかに後輩が言った気がした。なんか夢中に読んでくれてるから、気がしただけかもしれないけど。



 小説を読み終えた後輩は、開口一番にこう言った。

「面白かったですよ!!」

「えっ…?ほんとに?」

「本当です!めっちゃ面白かったです!」

「嬉しいなぁ」

「そうだ、賞に出しましょうよ!」

「えっ」

「行けますよ!めっちゃ面白いですもん!」

「なんか褒めすぎで気味が悪いなぁ」

「ディスりましょうか?」

「やめといて…」

 嬉しいのと、恥ずかしいのが混ぜ合わされて、僕もその気になってきた。

「賞かぁ。どうしよっかな」

「ここに出しましょう!」

「もう調べてるの…うーん、出してみる?」

「決まりですねっ」

 昔の僕に聞かせたらどう思うだろう。僕が小説を書き上げて賞に出すだなんて。

 それから端の方の折れを伸ばして、丁寧に封筒に入れて、ポストの前で二拍手した。ほどなくして結果が出たが、賞は取れなかった。





 賞の結果は後輩とスマホで見た。上から下まで3回見たけど、僕の名前は載ってなかった。後輩は何も言えないようで、あと2回スマホを見てから、机においた。

「……先輩…すみません…私があんなこと言ったから」

「一番ディスれるときなのになぁ。調子悪そうだね」

「……」

「僕は何より失敗するのが怖かった。失敗したら終わりだと思ってた」

 泣きそうな後輩は初めて見た。

「でも今は、もう一作書きたい気分だよ」

 紛れもない本心だ。

「失敗してもたいてい死にはしないよ」

 今になって気付いた。

「そんな気がするけど…」

 後輩はいよいよ泣き出して、僕はなだめるのに必死だった。

 始まるんですね、伝説が…!と、泣きながら言っていて、大げさだなぁと言いながら僕も泣そうになった。

 泣き止むと後輩は、私は出版社に就職して、先輩と伝説を立ち上げますと豪語していた。そんな日が来ればいいなぁと言って、僕はすこし笑った。





 いつもより30分早くバイト先へ行って、僕はスマホでプロットを練っていた。

「進捗はどうですか?先輩」

 始業15分前に来た後輩の、顔を合わせてすぐの台詞である。

「後輩よ…その台詞はクリエイターに言っちゃだめだって聞いたことあるぞ…」

「どうせいつものビビリが発動して進んでなさそうですけども」

「ディスが鋭角…」

「でも書いてるんでしょ?」

「書いてるよ」

 目の下のクマが物語っている。

「立ち上げるんだろ?伝説を」

 それは禁句だと照れている後輩を見るのは新鮮だった。

 今から勤務は5時間あるが、またディスられるのかなぁと思うと憂鬱なんだけど、楽しみにしている自分もいる。

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完璧主義のブルース 大森たぬき @oomoritanuki

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