第385話・人生の在り方

暫く寝湯で寛いだ後、ピスティに身体を洗って貰うプリームス。

目上の者に尽くす教育がしっかり為されている様で、テキパキと卒なくピスティはこなしていく。



ふと、プリームスは疑問に思う。

大公の娘であれば、それなりに地位ある者の縁談が持ち上がった筈。

つまり少なくとも伯爵以上の相手であり、ピスティが侍女のような教育を受ける理由が無いのだ。


それなのにピスティの振る舞いは、付き人や傍仕え然としている。

『ひょっとして、縁談が纏まらない事に理由が・・・』

とプリームスは勝手に推測し始めた。


考えるのは個人の自由であり、口に出さなければ憚る様な事でも問題は無い。

しかし確かめずには居られない質のプリームスは、率直に口走ってしまうのだ。



「ピスティ・・・お主の縁談相手はアンビティオーだな?」

そうプリームスに問われてピスティは目を見張った。

驚き固まってしまった傍仕えに、更に追い討ちを掛けるように続ける。


「だがアンビティオーはレギーナ・イムペラートムと結婚してしまった。故に当初予定していた政略が頓挫した・・・のではないか?」



プリームスがそこまで語った時、ピスティは諦めた様子で口を開いた。

「プリームス様の仰る通りです・・・。わたくしはリヒトゲーニウスとセルウスレーグヌムの絆を深める為、当時宰相だったアンビティオー様に嫁ぐ予定だったのです」


そして自信を無くし気落ちした様子で、

「ですが私は無用になり・・・私がしてきた努力の殆どが無駄になってしまいました」

とピスティは語った。



「努力の殆どか・・・。ならば僅かだが意味があったのだろ? ノイモン殿の事だ、見越して代替案を遂行出来るようにしていた。そうだな・・・差し詰め、王妃の侍女・・・などかな?」

とプリームスはニヤリと笑みを浮かべて言った。



これには本当に驚いたようで、

「何故それを?! お父様からお聞きになられたのですか?」

と逆にピスティが問い返す有様だ。


「いや、状況から察して推測しただけだよ。要するにアンビティオーとの縁談が頓挫した時の保険に、ピスティは王族に仕える侍女としての教育も受けたのだろう?」

そうサラリとプリームスは言いのける。


それでも怪訝に思う事があるのか、

「しかしなぁ、そこまでしてセルウスレーグヌムの中枢に食い込みたい理由が分からん。それにピスティが身体を鍛える理由も訳が分からん」

と可愛らしく首を傾げる仕草で言った。



プリームスの仕草1つ1つが可愛らしく思え、見惚れそうになるが、何とか堪えてピスティはそれに答える。

「それだけお父様がアンビティオー様を警戒していたのだと思います」

詰まる所それは、ピスティが間者としてアンビティオーの動向を探る事を意味していた。



アンビティオーに何かしらの野望があり、画策している事を見抜いたノイモンは流石と言える。

しかもそれに対応する為、自身の娘を間者に使おうとするのだから、手段を選ばず冷徹な所が垣間見えた。


だがアンビティオーには一歩及ばなかったのだ。

否・・・正しくは死神アポラウシウスの暗躍があり、強力な駒の数で劣っていたと言うべきかもしれない。



『そこまでして準備したにも拘わらず、先手を打たれ息子を利用された訳か・・・。内心穏やかでは居られんだろうな』

プリームスは少しノイモンが気の毒に思えた。

またそう言った権謀に振り回されるピスティも哀れでならない。



南方諸国の均衡を保つ──それは無用な争いを避ける1つの手段だが、それを成す為に人生を消費するのは如何なものか。

ノイモンの道具として生きて来たピスティは、幸せなのだろうか?



プリームスの中で、悪い癖が顔を覗かせる・・・。

『そのような人生が幸せな訳が無い。ならば・・・』


ピスティの目をジッと見つめ、プリームスは告げた。

「お主はこれから、自身の望みを見出せ。それは他者より指示を受け、影響を受けた物では駄目だ。ピスティ自身が心からしたい事を考え、自覚し行動に出すのだ・・・よいな?」



突然、プリームスに予想だにしない事を言われ、ピスティは戸惑い混乱してしまう。

「私の望み? したい事・・・ですか?」



頷き、プリームスは更に告げた。

「うむ。お主の望みを、私の出来うる範囲で必ず叶えてやろう」



逡巡し、暫くの間ピスティは黙り込む。

プリームスの言葉を真摯に受け止め、自身が何を望んでいるのか考えたからだ。

しかしそのような事は今まで許される訳も無く、それを考える事自体がピスティにとって新鮮で難しい事であった。



「も、申し訳ありません・・・すぐには答えが出そうにありません・・・」

漸く発したピスティの言葉は、プリームスが期待する前進を示すものでは無かった。


けれどもプリームスは嫌な顔一つせずに、

「答えが出なくて当然だろう。何日、何週間、何年かけても良い・・・焦らず考えて、見つけ出しなさい」

そう優しくピスティの頬に触れて言った。


つまりそれは、今より幾年も先までピスティを傍に置くと言っているに等しい。



今まで、これ程に優しく語り掛けられた事があっただろうか・・・?

父は自身の目的の為にピスティへ使命を与え、進捗に対する評価の言葉だけで、優しさとは程遠かった。

更に周囲に居る者達は、大公の娘として上辺ばかりの言葉を並べるだけだ。


こうして人間関係が希薄になり人間らしさが薄れる・・・結果、自我より使命を優先する様になってしまった。

自我を優先すれば無用な事で精神が掻き乱されるが、自我を限りなく捨てれば苦悩せずに済み楽だからだ。



正しいのか、それとも間違っているのか・・・歪んでいるのか、それとも真っ当なのか・・・。

そんな事を考えなくなってしまっていたピスティ。



人で在りながら道具の様に父と使命に隷属する自分へ、ここに来て初めて気付かされる。

今傍に居るプリームスに因って。



進んでしまった人生じかんは、もう後戻りする事は出来ない。

そして知ってしまった事を無かった事にも出来ない。

漠然とした不安がピスティの心を支配しかけた。


「私は・・・やり直す事が出来るのでしょうか・・・」

ピスティは独り言のように呟いた。



プリームスはピスティを優しく抱きしめると、

「生きていれば人は幾らでもやり直す事が出来る。往生際が悪く生きる事が、幸福を掴む最も有用な方法・・・その最たる私が言うのだ、説得力があると思うのだがね」

そう自嘲する様に言った。


この時、そのプリームスの言い様を理解出来ないでいた。

それでもピスティは優し気な言葉と、温かな人肌の温もりで心が安堵に満たされるのであった。


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