第194話・陰鬱なアグノス
アグノスの前に突然姿を現したのは、リヒトゲーニウス王国の大公クシフォスであった。
王都の外郭街で何をしているかと思えば、どうやらお忍びの市井視察のようである。
「古代迷宮へ向かう途上だったのですが、プリームス様が空腹・・・いえ体調を崩されまして・・・」
そうアグノスが告げるとクシフォスは、
「ふむ、では俺がプリームス殿を抱きかかえよう」
と言ってプリームスを片手で軽々と抱き上げた。
プリームスは抱き上げられて漸くクシフォスの存在に気付く。
「うぉ?! クシフォス殿?」
人の接近を察知する魔法とは如何に?
全くそれが機能していない様に見え、それだけプリームスの体調が優れない事にアグノスは危機感を覚える。
『本当に空腹だけの貧血なのかしら・・・・』
「こうしてプリームス殿を抱きかかえるのは混沌の森以来だな。あの時は本当に世話になった」
クシフォスは少し感慨深そうに笑顔で言った。
同じく笑顔を返すプリームスは、安心したようにクシフォスへ身を預ける。
「何年も前の出来事のように感じるが、まだあれから一月も経っておらんのだな・・・」
プリームスとクシフォスを見ていると、随分と昔から既知だったような雰囲気を感じさせる。
また自分の知らないプリームスをクシフォスが知っていると思うと、アグノスは嫉妬を禁じ得ない。
それにフィートの次はクシフォスまでプリームスとの時間を邪魔するのだから、機嫌も悪くなると言うものである。
『はぁ・・・今日は厄日ですわ・・・』
少し気落ちしたアグノスを他所に、クシフォスかプリームスへ尋ねた。
「食事は済んだか? まだなら一緒にどうだ? 少し遅いが妻が用意して待っていてくれている筈なんだ」
空腹でグッタリしたプリームスは、
「実は起きてから何も食べて無くてな・・・少し貧血気味なのだ。すまないが馳走になるよ」
ハハハと豪快に笑うクシフォス。
「相変わらず"その身体"には苦労しているようだな。よし、では早々に俺の屋敷に向かうとするか!」
やはりクシフォスはプリームスの秘密を色々知っている・・・。
アグノスの愛するプリームスが自分に打ち明けていない秘密があり、それをクシフォスが知っている事に苛立ちを感じた。
クシフォスは南方諸国最強の武神だ。
その上、国家の両翼を担う大公爵でもある。
片やアグノスは王の娘ではあるが、それ以上でもそれ以外でも無い言わば只の姫であり只の少女だ。
大した力は持ち得ていないのである。
そんな小娘をプリームスが信用して秘密を打ち明ける事などある訳が無かったのだ。
『クシフォス様と私では、能力的にも存在的にも格が違うと言う事なのね・・・』
自問自答でアグノスは益々気落ちしてしまう。
「アグノス・・・時には他者と優劣を競う必要もある。だがお前はそれに拘り過ぎだ」
突然プリームスが言った。
「えっ?!」
自身の心中を見透かされ戸惑うアグノス。
しかも"拘り過ぎ"と告げられ混乱してしまう。
「クシフォス殿は確かに強いようだが脳筋ゆえなぁ・・・。それに"私の事"を知っているのは行きずりで偶々話す機会があっただけだ」
そう苦笑いするようにプリームスは言う。
「脳筋とは酷い言われようだな! 異議ありだぞ!」
とクシフォスが冗談まじりに言い放った直後、野太い悲鳴を上げた。
「ぐお!?」
プリームスがクシフォスの両眼に指で目突きを食らわせたのだ。
と言っても冗談の軽いもので、負傷するような強さでは無い。
「話がややこしくなる、御主は黙っておれ!」
片手で目を押さえて藻掻くクシフォス。
突然の事とは言え、抱えたプリームスを落とさなかったのは流石である。
まるで笑劇のようなやり取りを見てフィートがプルプルと震えていた。
どうやら可笑しかったらしく笑いを堪えているようだが、無表情なだけに非常に不気味である。
一方アグノスは、どう解釈すれば良いのか分からず無言でプリームスを見つめるばかりだ。
「私は物事を洞察し先を見通すのは得意なのだが、どうも足元が疎かでな。それに大雑把でこの世界の常識には疎い。だから傍に居て指摘や一般常識論を提示してくれ」
そうプリームスはアグノスへ告げると、少し照れた様子で続けた。
「他者と自身を比較する必要など無い。只、”今在る自分”で居れば良い。お前は私の大事な"身内"なのだから」
プリームスの言葉でアグノスの心に掛かった陰鬱な霧は一瞬で霧散した。
だがどうしたら良いのかアグノスは分からない。
故に快諾する事が出来ず口ごもってしまう。
「わ、私は・・・・」
するとプリームスは、それをも見透かしたように告げた。
「言っただろう? 私は足元が疎かだ。だから私の周囲を照らす光になって欲しいのだ」
先程よりも漠然としていて抽象的なプリームスの言葉。
そもそも人の在り様に決まった形など有り得ない。
そしてもし決まった形を提示され、それを実行できるならば、それは自身の意思で動く人では無く”只の人形”である。
だからこそプリームスは漠然とした道を示すように告げたのであった。
”今在る自分”
プリームスの言葉をアグノスは完全に理解する事は出来なかった。
しかしどうしていれば良いのかは分かった気がした。
そして今になってフィエルテがプリームスの役に立とうと、自身の武力を躍起になって上げる気持ちが理解出来てしまう。
『皆、プリームス様に愛されたいから御役に立とうと必死なのね・・・。でも無理な方法でそれをプリームス様は望んでいない。それに示される事はとても難しく、そして優し過ぎるわ』
「分かりました・・・・私らしくプリームス様の周囲を照らす光になれるよう努力いたします」
そう答えたアグノスの表情はもう先程のように陰鬱でも無く、またその瞳に強い意志を湛えていたのであった。
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