第3話 恋

「成程。レーゲンの脱走兵で、山脈を超えてこの国に逃げて来たという訳か」


レーゲンの魔導兵で有った私は、過酷な環境に耐えられず脱走してこの国に逃げ込んだ。

と言う事にしておいた。


カサン王国では、私は病気で急死した事になっている。

国を救った聖女が王子の腕を吹き飛ばして出奔など、風聞が悪いためだ。

国王にも、二度と聖女である事を名乗らなければという条件で私の出奔を見逃して貰っているので、真実は話せない。


「確かレーゲンは今戦争中だったか……」


「はい。人を殺すのが嫌で、私は逃げてしまいました」


か弱い乙女っぽく、目元を押さえて俯く。

私には耐えられなかった的な表現で、同情を誘う作戦だ。


「フーム、困ったな。レーゲンは軍事国家だから引き渡すとなると……」


当然死刑だろう。


まあ実際は脱走兵でも何でもない。

関係ない国に突き出されても困るので、もし引き渡されそうになったら、その時は全力で逃げ出す事にする。


「流石にそれはなぁ」


目の前の隊長っぽい騎士が頭を掻いた。

彼は物腰が柔らかく、お人よしっぽい。


このまま同情を引く路線で行けば、大丈夫のはず――


「騙されてはいけません、王子。女は平気で嘘をつきます」


すぐ横に立つ、長身の男が余計な口を挟む。

彼は切れ長の鋭い視線で私を睨み付け、言葉を続ける。


「間諜には女が多いと聞きます。この女もその類でしょう。でなければいくら魔導兵とは言え、あんな険しい場所を個人で超えて密入国出来る筈ありません」


タラハの北の山脈は険しい。

しかもそれだけではなく、凶暴な魔物が多数生息している。

この国と北側の国交が閉ざされているのは、そんな悪条件の為だった。


「私には魔物避けの魔法があるんです。だから監視のきつい他の国の国境を超えるよりも、タラハを目指すのが一番だと思って……」


実際は結界を張って空をひとっ飛びして超えたわけだが、勿論そんな事を正直に話す訳には行かない。

それこそスパイだと強く疑われるだけだ。


「成程。確かに、山脈を安全に超えられるのなら脱出には打ってつけという訳か」


王子が納得して私の話に頷く。

どうやら上手く行きそう――ん?王子?

そういやお供の騎士が、王子って言ってたわよね?


「あ、あの……王子って……」


「ああ、そう言えばまだ名乗っていなかったね。僕の名はクプタ・バ・タラハだ。一応この国の王族って事になるね」


「一応ではありません。王子はこの国唯一の後継者です。次期国王としての自覚をお持ちください」


「ははは、大げさだな。父は健在で、僕が跡を継ぐのはまだまだ先の話だよ」


どうやら本当に王子らしい。

流石に騎士がこんな所で王族ごっこをしたりはしないだろう。


しかし――王子を改めて繁々と眺める。


服装は簡素な物で、身に着けている鎧も皮を鞣した粗末な装備だった。

まあよく見て見ると剣だけは細かい意匠の施された業物っぽいが、それにしても王子と言うには余りにも質素な出で立ちだ。


タラハ国は貧しい国だとは聞いていたが、まさかここ迄とは。


「貴様!今無礼な事を考えていただろう!」


心が読まれた。

まあ顔に出ていたのだろう。


「い、いえ。そんな……」


「タラハシ、よさないか」


「しかし王子!?」


「うちが貧しいのは事実だろう?とは言え、言い訳させて貰うのなら。今回はあくまでも魔物の探索が目的だったから、馬に負担のかからない様軽装で済ませたと言わせて貰うよ」


王子は10人の騎士を従えていた。

普通ならそのまま魔物を討伐しそうな人数だが、このベースキャンプに100人近い騎士が滞在している事を考えると、相手は余程強力な魔物なのだろう。

確かに戦わない事前提の偵察なら、重装は逆に邪魔になるので軽装なのも頷ける。


「しかしお腹が空いて来たね。食事にしようか。簡易な物だから少々味気ないけど、我慢してくれるかい」


どうやら私の分も用意してくれる様だ。


「!?」


クプタ王子は立ち上がると、私から魔法の手錠を外す。

私は王子の行動に驚き、意味が分からずその顔を凝視しした。


「王子!」


王子のその行動を見て、傍の騎士が声を上げた。

これは当然の反応だ。


密入国者。

しかも脱走兵の手錠を外す等、普通なら論外だ。

もし私が暗殺者だったなら、この場で王子を殺しにかかってもおかしくはない。


「女だからと言ってその様な!」


「大丈夫だよ。彼女から悪意は感じない。僕は人を見る目だけはあるつもりだ」


そう言って王子は笑う。

屈託のない笑顔。

その笑顔を見た瞬間、胸の奥が締め付けられる様な……そんな感覚が私を襲う。


「さ、行こう」


彼から手が差し伸べられ、私は恐る恐るその手を掴む。

ごつごつとした、硬い手だった。

日々、剣術の研鑽に明け暮れている者の手だ。


きっとクプタ王子は剣術だけではなく、ありとあらゆる事に対し労を惜しまない努力家なのだろう。

そう私の直感が告げている。


「……」


手を引かれて椅子から立ち上がった私の視線は、自然と柔らかい彼の笑顔に吸い込まれてしまう。


「どうかしたのかい? 」


「い、いえ!何でもありません!」


ぼーっとしていた私は、王子の言葉で正気に戻り俯く。

更に手を掴んだままだった事にも気づき、慌ててその手を放した。


「さ、食堂へ行こう。こっちだよ」


そう言うと、彼は簡易テントの入り口へと向かって歩き出す。

その背から私は視線が外せない。

胸が息苦しくて、掻き立てられる様な感覚。


ああ、そうか。


これが――これが恋。


その日私は王子に恋をした。

それは貧しい小国の王子。

でも優しくて暖かい、私の心を瞬く間に虜にした素敵な笑顔の王子様だった。

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