母に捧げる豊かな人生

夜写 門仙

母に捧げる豊かな人生





 遠くのネオンが昔の記憶を呼び起こした

 あれは母さんが作ってくれた、暖かなランタンの色に似ている

 濁った金色メッキに、銅の底。中には発酵液体を入れた容器が入っていた。

 母の趣味で飾っていた金メッキの洒落物のために、加治職人をしていた父が特別に作っていた品々。


 呼び起こされた記憶に、ノスタルジーというものを理解した。


 いつどこで人は、同じ感情を共有したんだろうか。

 それを些細に理解しあった物同士が、「この感情を郷愁と呼ぼう」と言ったのだろうか。


 カタン、と高い音を立てて置かれた金グラスによって、自分が現在、友人に呼び出されていた現実に引っ張り戻された。

「どうした、祭りが気になるのか?」

 キッチンから戻ってきた、背高の友人は、もう一つの金グラスを自身の前に置いた。

「母も昔、ネオンの光に似た発酵液体を作っていたなと思ってな」

「へえ」

 友人は、初めて聞く我が母の話に、キョトンと相槌した。

「ワルプスにも母親がいたんだな」

 困ったように笑った後、冗談だと言う。

 私は怒っていないが、どうやら数ヶ月の付き合いの彼はまだ、私の無表情は怒っていると感じるらしい。なぜ私のような気難しい人間に興味を持って友人をやろうとしたのかは分からないが、明るく人当たりの良い、更には女にモテる彼は、私に気を使いながら、探るように冗談を言うことが多かった。彼が何故、関わっていて徳もない、無骨で取り柄のない私のような醜男と友達になろうと思ったかは未だ解読できないが、彼は命すらすぐに捨てそうな程のお人好しだった為、些細なことも気になる私はその疑問を放置していた。

 あれは一人の少年が母親の頼まれものの為、間違えて花街に出た時のことだ。親の無い子だと思われたのか、花街の大男に裏手まで連れていかれ、花魁たちの下男として採用されそうになったところ、その様子を見ていた彼が、これと言って強さも無いくせに割り入った時のことだ。彼のことを少年を盗もうとしている敵対店の仕向けだと思ったようで、もちろん大男たちは怒り狂った。私は始終その様子を見ていたので、後々こそこそと少年を連れだし、事なきを得ようとしたが、彼が面と向かって割って入ったことから、そんな悠長なことはしていられなくなった。私は突出はしないにしても武をそこそこわきまえていたので、同じように割って入り、彼と少年をなんとか口上と腰の武器で逃した。

 あの時のことだけではなく、その後も何度か、自分の命を投げ捨てるような正義をかざし続けた。日頃の会話では賢いと思えることばかりだった為、ただ馬鹿なのではなく、人を助ける時に馬鹿になる引き金が引かれるのだ、とここ最近ようやく理解した。

「マリ、いつも言っているが、私は滅多に怒らない。滅多に笑いもしないだけだ」

「そうだったねワルプス」

 マリと呼んだが、本名はマリウス。私は人に親しみを込めることはないが、悪意はないのだと言う証明をする為に、親身になってきた相手をニックネームで呼ぶことが多かった。

 …それも子供の頃の癖であって、大人になったここ10年程は、使うことすらなかった自己表明だったが。

 ある意味、マリウスに心を開いたと言っても過言ではないのだろう。

「ワルプスのお母さんの話か。もっと聞いてみたいな」

 興味津々に母のことを聞いてきた彼は、瞳に慈愛のような、懇願のようなものを秘めていた。

 この男は私のような孤独な人間をただただ放っておけないのだろう。

 人に自分のことを説明することが慣れない私だが、この友人マリウスなら話しても良いかと思い、舌足らずな話をすることにした。




 母は、清廉潔白という言葉が相応しいような人だった。

 私は心が清いわけではないが、欲が少ない点は、母から受け継いだものだと思う。そして、故意的に悪意を振るったこともなければ、我が身をたびたび振り返るような生き方も、母から学んだことだ。それでも人に迷惑をかけることだってある。そんな時、母の言葉を思い出す。

「気にしてばかりいても始まらない。気になることは徹底的に終わらせなさい」

 終わらせる、というのは、要は手をつけてみて、腑に落ちるところまで落としてみるということらしく、私は何かしら人に迷惑をかけるたびに、お礼をしたり、何かできることはないかと協力の姿勢を見せたりしているうちに、世の渡り方というものを学んだ。

 迷惑をかけた相手が、所謂極悪非道の性を持つ人に当たった時、私は「迷惑をかけてしまった時にどうするか」という疑問の答えを見つけた。

「お礼をしたり、手伝いをしたりするのは臨機応変に。時には逃げるべし」

 あまり良いことではないが、相手によって行動を変える、というのも大事なことだ。母曰く、「それは迷惑をかけたのではない。あなたが運命の遣いになって、相手に天罰が当たるように仕向けられたのよ」とのこと。考え方は多様であるし、幼少期はすぐには納得できなかったが、世渡り続けた結果、運命という考え方もありだ。と思った。

 そしてようやく、迷惑をかけたときはどうすれば良いか、について腑に落ちたのである。


 母はそんな気にしいの、ジメジメとした私にいつも“光を灯してくれた”。

 家中には金メッキのランタンや、光を宿したガラス➖こちらも金メッキの土台と装飾➖、角度によって光かたが違う金メッキ…。

 これらは全て、

「あなたの未来のため」

 とのことだった。この金メッキの光り物たちにどんな意味があるかはわからないが、私は今でも自宅の隠し部屋に大事に保管してある。金自体は、そこそこ値の張るものだから、誰かに盗まれてしまわないように。

 加治職人の父が伸ばした金とガラスを母が形どる姿は、理想の夫婦だったと記憶している。

 母は発酵液を作るのが上手く、様々な色の発酵液を、様々な美しさのランタンに入れ、私の部屋を飾ってくれた。私は幻想的な光の中で育ち、私もいつかそういった職人の道に行きたいとすら思った。結局は前述で見つけた世渡りの末、出会った恩人に勧められた武の道を進むことになったが、今でも、剣を振る時に父の鉄打ちを思い出しながら復習している。

 父は気付いていただろうが、私は父の手際を見ては、背中から同じように真似てみていた。その仕草が武に生き、才能を買われたのだから、やはり父も「人を生かすための才能を持っていた」のかも知れない。そう考えれば、宝が一か所に固まっているような申し訳なさを感じる。私が素晴らしい二人を独占していたのだ。



 私はマリウスにどこまで話していいかわからなくなり、一旦話を切り上げた。母の人物像だけでよかったのではないか、父のことまで話すことはなかったな、と思いながら、口下手なところはどうも治らない。と自己紹介まで説明した。

 そういえばマリウスの部屋は金メッキのものばかりだ。と、話した後に気づいた。彼の部屋に出入りするのはもう両手で数える程になったが、初めから安心感があった理由は、金メッキがあるからなのかも知れない。

「金メッキを、作っていたんだ」

「まあ、素人の手芸みたいなものだが」

「そんなことはない!」

 身を乗り出してそういうものだから、少し驚き、私らしくない顔をしてしまったと思う。

 このお人好しは、物も見ずに母の創作物を擁護するものだから、私もさすがに呆れて、

「君はもっと、判断力を養った方がいいな」

 と口走ってしまった。

 すると予想外に、彼はなんだか焦ったような顔をした。

 一体なぜこのような顔をしたかは、後にわかることだが、判断力のかけらもなかったのは、彼ではなかったのだ。



 後日、私は一度も招くことのなかった自宅へマリウスを招待した。

 なぜ一度も招くことがなかったかは、もう忘れてしまったが、確かずっと昔に「悪い人間に申し訳ない申し訳ないことをしたら逃げるべし」と判断した理由と似ているような気がした。

 一歩踏み込むことと、一歩踏み込まれることは違う。私は彼の宅へ遊びに行くことがあっても、彼を招くことはないのは、私は無害であるが、彼は無害じゃないかも知れないという、経験則によるものだった。

 しかし私は招き入れてしまった。

 マリウスは金メッキが好きだと言うからだ。彼の部屋には私が落ち着くほど金メッキ製の日用品であふれていた。ならば、と、私も彼に近づこうと思い、あまり開くことのない心の扉を開けてしまった。

「マリ、ここから先は、秘密の場所だ。誰にもここに部屋があることは教えてはならない。」

「分かったよ」

 興奮冷めやらぬ顔つきの彼の瞳は、本棚に隠された扉の向こうの光り物をすでに見つめているかのような輝きを映していた。

 私が扉を開いた瞬間、彼の瞳は更に輝きを満たし、同時に何か大きい心の闇の扉が開いた。

「これ、どれか貰ってもいいかな」

「は」

 親の形見だという話はしたはずだし、彼は大男に捕らえられた子供を丸腰で助けに行こうとしたり、私に同情したりと、どこか危なげではあるが、人の心がわからないような奴だとは思わない。冗談で言っているわけでもなさそうで、私は何と言ったらいいかわからなくなった。

「ダメかな…できれば全部欲しいよ。でもどれか一つ、一つでもいいから…」

私は口をつぐんだまま、熱心に隠し部屋の金メッキ品を見つめながら、こちらを一瞥もしない友人を茫然と見た。

 今までミステリーだった全てが結びつき、私は取り返しのつかないことをした事に気づいた。思えばあの少年、マリウスが助けた大男に下男として捕らえられたお使いの少年だ。あの子の鞄の装飾は見事な金メッキだった。そしてそれを助けに入ったマリウスを助けた私の腰につけていた剣は、母が作った金メッキの鞘と柄でできている父が打った剣だ。売れば相当な値の張るものだし、それに目をつける者がいてもおかしくはないが、私は武を極めているので、そこらの殺意にはすぐに気がつく。

 しかし、底なしの好意には気がつかないものだ。特に自分以外に向けられていれば尚更である。

 マリウスは、肩から横に流した鞄の中から、布を取り出し広げた。それは大きな布袋になり、私はまだ何も言っていないのに「どれならこの中に入るかな」と物色し始めた。私は硬直していた。人に怒ることはもともと苦手だったし、一度も怒鳴ったことすらなかったので、怒り方もわからずただ呆然とその光景を見ているだけだった。

 私の未来のために、願掛けのように残された金メッキたちは見る見る一部のところに並べられ、鞄の中から取り出された包紙に一つ一つ丁寧に乗っけられていった。

 私は、それと気づかずに悪魔を友人と呼んでいた。

 そして私も一つの扉を開けた。

 「逃げるべし」の教訓において、「拠点を知られて逃げられない場合」の項目が加わった。







 カンカン、カンカン。

 ボウボウ、と竈門で心頭滅却するような火柱が上がり、そこにまだ熱のあるネオンのように光り輝く棒のようなものが投入される。

 暑い部屋で、私は、母が作った金メッキを溶かして再度形を構築していた。

 ようやく一つ完成しそうになると、最後の仕上げ➖細かい文様を装飾していく➖は繊細なものなので、コーヒーを飲んでからにしようと思い、家の奥の方にある竈門部屋からキッチンへと向かった。

 コーヒーを入れ終えた時、コンコン、と扉が叩かれ、応答もしていないのににっこりと笑顔のマリウスが勝手に扉を開けた。

「やあワルプス、そろそろできる頃かなと思って来てみたんだ」

 その奥に金メッキを蓄えているような瞳を輝かせながら、マリウスもとい“お客様第一号”はいらっしゃった。

「仕上げがまだなんだ。拘りたいと思っているから、もうちょっと時間がかかる」

「そっか…」

 残念そうにしながらも、「拘りたい」の一言に猛烈な期待を抱いているのが隠せていない。

 私は数週間前、マリウスの本性を見てから、職を転向しようという決意ができた。今までは、自分が父の真似事をしたところで食っていけるかもわからないので、足踏みをしていた状態だったが、金メッキを見ると目の色が変わる元友人を見て思いついたのだ。

 …こいつなら何でも買うのでは…。

 私が技術を伸ばし、世間様に売れるようになるまではこいつに面倒を見てもらうことにした。

 まだ金を自分で買うには金が足りない為、母に残してもらった金メッキを少しばかり崩させてもらい、自分なりに再構築している。

 マリウスのために金メッキを作り、批評してもらい、自分の腕を磨くために協力してもらうのだ。

 マリウスは、金メッキの為に私に友情のような素振りを自覚なくするような救いようがない最低な男だが、金メッキへこだわりは異常だ。それは今の私に必要なものだ。

 そして私の金メッキ職、第一号のお客様は、いい物が出来たらそこそこの金を払ってくれる上客だ。この男のことだから、金メッキ欲しさにどこから金を持ってきているかはわからないが、私はそれを利用することにした。

 「逃げるべし」の教訓において、「拠点を知られて逃げられない場合」の項目の答えは、そう、全ては、その時次第。


 母は私の未来の栄光を望んで金メッキを残してくれた。私は今まで、それに応える術を持っていなかったが、ようやく見つけたのだ。





おわり





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