第15話 Flowers for Algernon

「アルジャーノン、今日のご飯はカレーライスだよ」

『そんな匂いがしているみたいだね』


「ねえねえアルジャーノン、今日はね…」

『…悟は本当に学校が好きなんだね』



「ねえ、悟のことなんだけど、あの最近少し変なのよ」キッチンで調理している女がダイニングに目線を移しながらそう言った。


「うん、そうかい…」ダイニングの椅子で Tablet から目を離さないまま男は、あいまいに答えた。


「新型コロナウィルスのせいで学校にも行けないから、欲求不満が溜まっているのかしら。あのこ、学校が大好きだから…」


「・・・」男は答えない。


「あなた、聞いているの?」と女は少し声を強め夫に念を押すように問いかけた。


「あ、ああ、聞いているよ」

「悟も四年生だ、思春期なんだろうよ」

「あなたなにを言っているの、悟はやっと10歳になったばかりよ」

「いや、昔とは違うから今の子は、小学四年生にもなれば思春期だよ」


「俺だって小四の時は、一つ隣の前の席の津禰子ちゃんが好きで好きで、いつも校門付近で遊ぶ振りをしながら津禰子ちゃんがやって来るのを待っていたもんなあ」


「ちょっとぽっちゃりで目が大きく色白で、しかも頭が良くて可愛い子だったんだよ」

「それはそれは、あたしの旦那様は小学生の頃からご発展家だったんですね」と女が振り向きながら笑いながら言った。女はカレーを作っているようだ。


「素敵なママに出会う前の昔話さ」あなたと言われた男はサラッと流した。


「悟ったらね、自分の部屋でひとりでぶつぶつ喋っているの」

「それも誰かと会話している感じなのよ」女がぽつりと言う。


「スマホで友達と話しているのじゃないのかい?」男はそう答える。

「あら、スマホで話しているならそれぐらいは分かるわ」

「そうじゃなくてとても親しそうに話しているんだもの…何か想像して話しているのかしら」


「子供の頃って夢想して色々な夢物語を考えるじゃない。シンデレラ姫と白馬に乗った素敵な王子様とか…」

「そうだなあ、ぼくはポケモンとモンスター人形で声を出しながら戦っていたよ」

「ポケモンになったりモンスターになったりしながらさ、一人二役の Double Role ってやつだよ…」


「さあ、お夕食の支度が出来たわ、あなたテーブルの上片付けてね」

「カレーのおいしそうな匂いがする。悟が喜ぶな」


「はい、これをテーブルに運んでね」ママが大きなサラダボールを旦那に渡す。「はい、これもよ」と、サラダ用の銘々皿を渡す。


「じゃあ、あなたこれ、悟の…」

大盛のカレーライスを見て「こ、こんなに食べるのか、あいつ?」と旦那がびっくりする。

「そうよ、あなたは普段家にいないから何も知らないのよ。あの子いま食欲もりもりなの。育ち盛りよ」


「にしても凄い大盛だな、食べ過ぎで太っちゃうんじゃないか?」

「あら、悟は食べても太らないみたいよ。あなたとは違うの」


「そうなのか?」中年になってから最近太り気味となってきた旦那には、ママのこの一言はちょっと厳しい言葉だった。

「でも、最近ズボンが小さくなってきついとか言っていたから、細いけどそれなりにちゃんと成長しているのよ」


「悟、お夕食よ。下りてらっしゃい」ママがキッチン横の屋内インターホンで息子の部屋にコールを入れる。


「・・・」


「あら、どうしたのかしら、悟、お夕食ですよ、下りていらっしゃ~い」


「・・・」


「部屋にいるはずなのに、その一人二役とかの Double Role でもおもちゃでやっているのかしら…」


「あなた、呼んできてちょうだい」

「仕方ないやつだな、悟、ご飯だぞ」と言いながら階段を上がっていく。


二階の子供部屋のドアが開きかけていた。

男はそのままドアを押して部屋に入る。




「ママ…母さん、救急車だ!」


「急いで!」

「悟、アルジャーノンに花束を贈る日ね」


「そうだな、悟」


「三人で花束を持って行こうな」


「悟、もしもあなたがって…悟が手術中はずっとママ、病院で本当に震えてたわ」

「あれからもう三年だ」と男が呟く。


「ぼく、今でも寂しんだ」と悟が涙ぐむ。

「初めて話した時にぼくたちは自己紹介をしたんだ」

「ぼくは悟と言ったら…知っているって答えた」

「ママとパパの声もくぐもった声だけど聞こえているんだって言っていた」

「そしてぼくはアルジャーノンだ、よろしくねって言ったんだよ」


「ある時、なぜアルジャーノンなのって聞いたんだ」

「そうしたらお母さんがなにか本を読んでいて『アルジャーノンに花束を』ってつぶやいたからその名前にしたんだって言っていたよ」


「音のひびきが良くて、それが自分の名前だってそう思ったんだって」

「アルジャーノンはずっとぼくと一緒だったんだよ」


「けんかもしたけど仲良い友達だった」

「すんだきれいな声だったんだよ」

「なんでもアルジャーノンとそうだんしたんだ」


「アルジャーノンはぼくの世界しか知らなくて、ぼくだけのため生きてくれていたんだよ」

「今でもぼくのおなかから、伝わってくるような、アルジャーノンの心ぞうの音が聞こえる気がする」


「悟…」ママが声をかけ、悟の顔の位置まで腰を下ろししゃがみ込む。ママは悟と目を合わせて言った。


「ごめんね悟。ママも知らなかったの、本当にごめんね」


「ちょうどその頃に悟を寝かしつるのに読んでいた小説を朗読してたの。それが『アルジャーノンに花束を』だったの。朗読すると悟は直ぐに寝てくれたわ」涙目になりつつ悟に囁(ささや)くように伝える。「あのこは、お母さんの声を聞いて、憶えていてくれたのね」そう、もう一人の私の子はアルジャーノンね。と、女はアルジャーノンを思った。


「ママ、ぼくはもう一度アルジャーノンの声をききたいんだ」


「学校であったことをアルジャーノンと話して、アルジャーノンがけいけんできなかったことを、もっともっとぼくが教えてあげたかった…」


男は中腰になり「悟、さあいいだろうママだって悲しんでいるんだよ」と言って悟とママを抱きしめ「それにアルジャーノンに会いに行くのに…涙は…見せられないだろう。笑顔になっておくれ」と力強く言う。


「さあ、ママも立ち上がって」と男は言った。


男は言った「さあ、アルジャーノンに花束を...届けに行こう」

三年前とある大学病院


「お子様は聞はめて珍しい症例です」と、医師がレントゲン写真にMRI画像を映し出したモニタを前に説明をする。


男と女、つまり悟の両親は手を取り合ってお互いの顔を見合わせる。


「ご安心ください、お子様、悟君の命に現状は別状はありませんが、手術に長時間が必要になります」


「それにしても、ここまで生存していたのは不思議な例です」


手を取り合ったままのだった二人は、再度お互いの顔を見合わせた。


「いや、悟君がじゃなく、もう一人の方です」


「脳がここまで発達するには、悟君自身も相当カロリーが必要だったと思います」


夫妻には、レントゲンやMRI画像を見てもその意味が理解できなかった。


「つまりこれはですねえ、妊娠時に双子だったのですが、片方が…そうもう一人の悟君の体内に入り込んでしまったのです」

「世界的に見ても極稀なケースです」


「このような症例は極たまになくはないのですが、大抵は早期に体内に吸収されてしまうことが殆どで、会話ができるまで育つなんて例は知られていません」

「ですから実際に悟君がバニシング・ツインと会話していたかどうかは疑問です」


「ですが、悟君が倒れる寸前まで生存していたのは確かです」


「バニシング・ツインの死亡により、このままでは体内異物としてどうなるか予測がつきませんし、細胞腐敗が始まれば悟君の命にも当然に危ぶまれます」


「バニシング・ツインは幸いにも腹腔内に留まっていましたので、手術により摘出が可能です」


「が、バニシング・ツインの細胞壊死が始まる可能性が高く手術は一刻を争います」

「現在主だった手術スタッフが参集中ですので、今夜、手術を行います」


夫妻には何なんだか分からないまま、手術をしなければ悟の命が危ない事だけは理解した。


「悟は、どうしてそんな風になったのでしょう…」父親が意を決したような赴きで医師に問いかけてた。


「バニシング・ツインこと寄生性双生児は、普通は母体に吸収されてしまうのですが、時々片方の体内に取り込まれて生存することがあるのです」


「今回はそのごく稀なケースです」


「これまで悟君と共に生きていたバニシング・ツインは、お父さんお母さん、あなた達のもう一人のお子様なのです」


「とは言え、この世に生まれ出る可能性は限りなくゼロでした」


「ゆえに、ご愁傷さまとしか言えません…」


「あなた…」


「手術が終わったら、もう一人の、私たちの子供に、お墓を作ってやろうよ…」



この短編をダニエル・キイスに捧げる…

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