ライブハウスの片隅で
東雲ゆたか
ライブハウスの片隅で
がらんとしたライブハウスで1人、機材のメンテナンスをする。
こんなときだからと隅から隅まで。マイクを丁寧に消毒したり、照明の配線を綺麗に治したり、数年分のPA卓下のホコリまで丁寧に拭いている。譜面台も1本1本バラして、綺麗に磨いた。
そんなことを2月後半からずっと1人でしている。なので、そろそろ機材のメンテナンスも掃除も、やるところがなくなってきていた。
最後にライブをしたのは、2/22(土)猫の日。保護猫のチャリティーライブで、毎年大入りの大人気ライブだが、今年は半分の集客もなかった。
店のマネージャーの景ちゃんは、電話が鳴るたびに溜息をつき、電話に出ると「いやーこんなときですからね。大丈夫ですよ。はい、はい。」と明るく振る舞い、電話が終わると頭を抱えながらスタッフに「中止・延期のお知らせ」をメールで送り続けている。
スタッフはアルバイトばかりなので、ライブの中止・延期はダイレクトに給与減に繋がる。みんな「大丈夫ですよ」と言ってくれているが、こんな状況が続けば、そうも言ってられなくなるだろう。
「まいこちゃん、まいこちゃん。」
照明のネジを確認するため、ステージに脚立を立てて一番上で作業していると、下から景ちゃんに呼ばれた。下を向くと、いつもより目の下のクマが濃くなっている景ちゃんが、どんより声で私に言う。
「いまの電話で、4月のライブは全部中止となりました。」
「え?新田さんのところも?」
「うん。新田さんの事務所、事務所自体がしばらくライブを一切しないになったらしい。」
「おぉ・・・」
「たぶんさ、そろそろ出るよ。緊急事態宣言。」
世間より少し早く、ライブハウスはコロナウィルスの影響を受けていた。
1月末にWHOが緊急事態宣言をしたあたりから、ライブの主催者や出演アーティストの事務所と、開催の有無についての会話が増えていった。感染対策をしつつ・・・と言いつつも現在、東京ではライブをやる雰囲気ではなくなっている。大阪で2月15日に開催されたライブで、大規模なクラスターが発生したからだろう。みんな、次はうちじゃないかと怯えている。
しかも、ライブは不要不急のエンターテイメント。世間の風当たりも強い。ライブハウスの入り口に「営業するな!非常識!」と張り紙を貼られたという話も聞いたし、苦情の電話が入ったというところもあった。ウィルスは見えないからって、かわりに見えるものを攻撃してしまうのは、人間の性なのだろうか。
景ちゃんがぺたんと床に座り込んでいるので、脚立から降りて同じように隣に座る。
「俺さ、このあと、オーナーのところに行ってくる。」
「私も行く?」
「いや、電話番しててよ。19時頃には戻るからさ。」
「うん。」
「電話でも話したんだけど、スタッフの給与補填はするって。アルバイトも。」
「休業するの?」
「緊急事態宣言が出たらするかな。」
高齢のオーナーに変わって現場を景ちゃんとまわすようになったのは、ちょうど4年前からだ。店のマネージメントは景ちゃんが担当して、私が音響をメインに機材回りを担当してきた。景ちゃんがブッキングしてきたアーティストと、毎日毎日順番に打ち合わせをして、毎日毎日ライブ中の音と照明について考えて、毎日毎日音楽のことだけ考えてきた。
『僕たちは毎日ライブをしているからライブが日常だけど、出演者やお客さんにとっては「今日のライブ」が特別な日なんだよ。』
これはオーナーの口癖で、私たちの仕事は誰かの「特別な日」の裏方をしていることを忘れるな、決して惰性でライブをするなということだ。
ほぼ毎日ライブをしているから、ライブハウスで働く私たちがライブのある今日が日常になっている。でも、アーティストはライブのある今日のために、何ヶ月も前から準備をしている。それはお客さんも同じで、何ヶ月も前から今日のライブを楽しみに日々生きている人だっている。
「今日のライブ」は、アーティストやお客さんにとっては特別な日。私たちは特別な日を毎日過ごしているのだと、決して忘れてはいけない。
ときどき、好きなことを仕事にしているのだから、エンターテイメントの仕事をしているのだから、毎日楽しいでしょ?と言ってくる人がいる。なんなら、毎日好きなことだけできて羨ましいよーなんて、嫌味ったらしく言ってくる人もいる。
たしかに音楽が好きではじめた仕事なので、好きを仕事にしたことには変わりない。でも、毎日楽しいかと言われれば、決してそんなことはない。どちらかといえば、毎日毎日大変な事の方が多い。
出演者やその事務所との打ち合わせで揉めることだってあるし、大きな声が飛び交うこともある。みんな真剣だから、言葉に容赦がないのだ。
機材の調子が悪くて、本番直前にトラブルが発生だってある。刻々と近づく開場時間に煽られながらトラブルの原因を探すときなんて、まさに生き地獄。頭をフル回転して原因を探しながら、何度も何度も全てを投げ出して逃げたくなった。
だから入念に打ち合わせをして、念入りに機材のメンテナンスを毎日する。不安の芽はできる限り、1つ1つ潰していくしかない。
華やかなステージとは裏腹に、裏方は地味な作業の連続だ。もっとも、華やかに見えるステージだって、アーティスト達の地道な努力の結果だ。
私たちは一瞬の輝きを支えるために、ステージ上のアーティストたちは一瞬の輝きを作るために、膨大な時間と努力と地道な作業をつづけているのだ。その一瞬の輝きを作るために、膨大な苦労をする仕事だと思っている。
そして、楽しいことを提供する仕事だ。苦労は、できるだけ見えるところに出さない。だからこそ、楽しいだけの仕事と思われるのかもしれない。でも、それで良いのだと思っている。そう思われるのは、むしろ本望だ。
「店、潰れないかな。」
独り言のようにつぶやくと、景ちゃんがため息をつく。あぁたぶん、そんなに余裕はないのだろう。
「オーナーの資産と銀行が貸してくれるかによるかな。」
「国はさ、緊急事態宣言出すなら、なにかしらお金くれるかな?」
「国が?ライブハウスに金なんか出してくれねーだろ。」
「クールジャパンだよ。うちら。」
景ちゃんは鼻で笑って、クールジャパンねーとつぶやいた。
小さなライブハウスから育って全国区のバンドになったアーティストは、数えきれないくらいいるだろう。TVで見かけるアーティストたちは駆け出しの頃、ライブハウスのオーナーやスタッフに支えられ、頑張って頑張って音楽をしていたかもしれない。
日本の音楽を支えているのは、全国にあるライブハウスだと言っても過言じゃないと思っている。というか、そう思って毎日仕事をしている。でも、私たちは守られるべき「文化芸術」には入っていない。このコロナ渦で耐えられなかったら、それはもう自己責任なのだろうか。
「なんにせよさ、ちょっと配信のこととか調べておいてよ。」
「配信ライブするの?」
「わかんないけど、可能性はあると思うから、可能性は増やしておきたいんだ。」
「わかった。」
何ヶ月もかけて作り上げてきたものを数日で中止延期にする日々は、想像以上に精神を削られた。作っては壊し、作っては壊しの繰り返しなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。三途の川辺で石を積み続ける子どもは、こんな気持ちなのかなって、なんて考えたりもする。そんなことを考え出すのだから、そうとう滅入っているのだろう。
でも、滅入っていても仕方ない。可能性があれば、その可能性を探っていくしかない。たとえ無駄になってしまったとしても、なにかしらの希望を探さなければならない。
ライブハウスが潰れるか、私の心が潰れるか、コロナが終息するか。
どれが一番早くやってくるかはわからない。わからないけど、立ち止まるわけにはいかないのだ。今はただ、ゆっくりでも進み続けなければいけない。立ち止まるわけだけには、絶対にいかないのだ。
たとえ目の前が、真っ暗だとしても。
ライブハウスの片隅で 東雲ゆたか @shinonome_yutaka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます