62.茶室

 バイクはある辺りからライトを消してしまった以外は、特に急ぐでもなく走っていた。

 街灯のないところでは、すぐ横の景色も見えなくなって冷やりとする。たまらず大丈夫なのか訊いてみれば、「大丈夫」と返ってきた。


「赤外線で見てる」


 そういう問題でもないのだけど、幸か不幸かパトカーに追われることもなかった。

 確かにそうしていた距離は長くなく、見覚えのある駐車場へと侵入していく。冬にイルミネーションで輝いていた庭は、所々に仄かな明かりが灯るだけの静寂の庭になっていた。

 バイクは目立たぬよう、できるだけ暗い場所に置き、どうやって手に入れたのか、カードキーでバラ園の中へと入る。


「……冨士君、ここ……」


 静かに、のポーズをされて質問は飲み込む。

 鍵はあるけど、見つかってはいけないらしい。まあ、そうだろう。久我の持ち物だ。

 洋館に向かうのかと思えば、冨士君は慎重に建物の脇を通り抜けた。見学した通りのコースを歩き、竹藪の中へと入っていく。

 立ち入り禁止の簡易ロープを潜って、閉鎖しているはずの茶室へと手招かれた。

 客の出入りするにじり口ではなく、奥の勝手口の方へと回る。ここでもカードキーで開錠して、冨士君はペンライトを取り出した。足元を照らしながら入っていく。


「ちょっと、足元気を付けて。さすがに電気を点けるわけにもいかないんでな」


 狭いけれど、調理台が中央にある台所を通り抜け、四畳半の畳の部屋に入る。棚と封じられた蛇口のようなものがあるので水屋だろうか。結構な広さがあるのは、もっと気軽なお茶会もここでしていたのかもしれない。


「向こうが茶室だ。そっちには大きめの窓があって、外の照明が入るからここよりは明るい」


 ペンライトの明かりで引き戸を指して、その明かりは部屋の隅へと移動した。寝袋と小型のランプが見える。


「こっちの部屋でランプを使うなら、そこの窓は何かで覆って明かりが漏れないようにしろ。見回りがいるかわからないが、許可を取ってるわけでもないんでな」


 台所にある箱と、冷蔵庫の中の物は食べていい。とか、トイレの位置とか、一通りの説明をされる。


「キーは置いて行けないが、躙り口はつっかえ棒を外せば使える。何かあったらそこを使え。できれば、おとなしくしていてほしいんだが」


 完全に信用のない顔で見下ろされたけれど、ここは反論しておく。


「理由がわかってれば、無理はしないわ」

「……だといいんだが。荷物、取りに行ってくる」


 冨士君は内ポケットから端末を取り出して、私に差し出した。


「私の?」

紫陽しはるのはフェリーだろ。これは別の。受信専用……龍臣が持ってるのと同じようなやつ。暇つぶしと、情報収集くらいはできるから。イヤホンは持ってるんだろ?」

「荷物の中に」


 頷けば、冨士君も頷いて行ってしまった。

 目が慣れてくれば、何とか物の位置は判るくらいの視界にはなったのだけど、やはりちょっと落ち着かなくて茶室へと行ってみた。彼の言った通り、照明の明かりが入るので奥よりはだいぶ明るい。窓際なら本も読めるかもしれない。

 今は窯もない四畳半のスペースに腰を下ろす。耳を澄ましても、竹藪を揺する風の音がするだけ。


「アンドゥ」


 じっと黙って抱かれていたアンドゥに声をかける。ひょいとこちらを向く耳が可愛い。


「ツバメか飛燕には繋がるの?」

「にゃあ」

「場所は……」

「にゃあ!」


 言い切らないうちに得意げに返事をされたので、笑って撫でてあげる。

 把握してても、崋山院側もそう簡単には手を出せないだろうなと思って、ちょっと考え込む。

 冨士君には協力者がいる。それは、誰だろう……





 答えの出ないまま、冨士君は戻ってきた。

 途中、お弁当屋さんに寄ってくれたのか、温かいものを差し出される。

 どこかにテーブルもあるはずだと言うけれど、暗い中探すのもなんなので、トランクを横にしてテーブル代わりにした。

 薄暗い中だからか、冨士君もお疲れに見える。


「冨士君はこれからどうするの? 一度家に帰るとか?」

「帰ったらうるさい。俺はだから、今夜はここに泊まって、明日は夜までに沖縄に飛ばないと」

「え。あの……」


 そうだ。冨士君は休暇中なんだ。

 それも頭を掠めて、聞きたいことが渋滞する。言葉に詰まったのをどう捉えたのか、冨士君は意地悪な笑みを浮かべた。


「寂しいなら、添い寝してやろうか?」


 盗聴器があることやアンドゥが通信できると知った上での発言など、本気には取らない。私じゃなくて外野を挑発してるのかも。アンドゥも特に反応を示さなかったので、私はそれをスルーした。


「沖縄に行くの?」


 反応がなかったことがつまらなかったのか、冨士君は小さく息をついてから、ペットボトルのお茶を口にした。


「荷物を下ろさないと。龍臣が口を滑らせなきゃ、たぶん、バレてない。沖縄にいない方が不自然だ」

「休暇は、本当はどこに行くつもりだったの?」


 お弁当に注がれていた視線が、ちら、と私を見た。口に運んだものを咀嚼するふりで答えを考えている。


「……どこ、と決めてはいなかった。気ままに、バイクで走って」

「じゃあ、ゆっくりできなくなっちゃったんだね……」

「まあ、結局走り回ってはいるから」


 嘘くさいなと思うけど、今の状態で言えないことがあるのは私も同じだし……


「相馬って人とは結局取引したの? してないの?」

「口約束しかしてない。お互い、そこは決定的なことは言える立場でもない。龍臣の状況と本音を確認しようと思ったら、少々のリスクは取らないといけなかった。……『天龍社』側の話、何か聞いたか?」

「うん。少しだけ」


 聞いた話をしてあげる。


「……だいたい予想通り、か」


 難しい顔で何か考えている冨士君に最初の質問を返してみる。


「それで、冨士君はどこに泊まるの?」


 ふっと思考から戻ってきて、冨士君はちょっとバツが悪そうに眉を寄せた。そのまま親指で洋館の方を指す。


「紫陽の母さんが言ってただろ。昔の納戸だったところだよ」




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