53.信頼

 あちこち開けてみたけど、シンプルなTシャツと半ズボンが数枚ある以外、着替えはなかった。フリーサイズらしいそれは、私にはちょっと大きい。パジャマ代わりには問題なくても、外を歩くのは憚られた。

 着ていたものを洗濯機に放り込んでしまって、お風呂に浸かりながら外に出るのを諦める。乾燥が終わる頃には暗くなり始めるだろう。

 横山さんのところにあったようなパソコン一式もなく、モニターはあるけど放送は受信していなかった。徹底的に外界と遮断されているのが解る。


 暗くなり始めると、自動的に明かりがついた。ふんわりと黄色がかった明かりは、天井全体から発しているようだ。外の景色が見えなくなって、小さな庭に面した窓に近づいてみる。

 カーテンはないのだけど、庭先に落ちるはずの影がない。明かりさえも、漏らさないらしい。

 ふと、鍵を置いて行った冨士君の気遣いが解った気がした。

 自分から閉じこもるのならいいけれど、これでは監禁されているも同じだ。

 やることも出来ることも無くて、長い夜はそれでも過ぎて行った。





 冨士君は昼頃に迎えに来た。

 呼び鈴に素直に反応してロックを解除した私に、彼は深めの溜息をつく。なんだかちょっと腑に落ちないのだけど? 迎えに行くと言ったのは冨士君だし、冨士君が来たら開けるよね?

 特に何を言われるわけでもなかったから、私も黙っていたけど。


 昨日とは違うバイクで、今日は私の分のヘルメットも用意してあった。大きめの道に出て、最初のパーキングで車に乗り換える。後部座席が取り払われていて、バイクも載せてしまえる車だ。

 端末の電源を入れてみようかと少し迷った私に、冨士君はちらと視線をよこした。


「連絡は入れたから、やめといたほうがいい。まだ落ち着かないぞ」


 それも、わかる。


「……入れてくれたんだ。ありがとう」

「……そういうの、好きなのか?」


 何気なく指先で触れた金魚のキーホルダーのことだろう。普段使いには花柄や蝶のデザインのものが多いから、少し浮いているのかもしれない。


「嫌いじゃないよ。もらいものなの」


 飛燕がつけてくれたけど、結局使い方がわからないままだ。帰ったらちゃんと聞かなくちゃ。


「ふうん」


 と、あまり関心があるようでもない返事をして、冨士君は黙る。


「うちまで送ってくれるの? それとも、途中で?」

「待ち合わせしてるから、そこまで」

「そっか」


 ちょっと気が抜けて、背もたれに体重を預けてしまうと、少し眠い気がした。さすがにぐっすりとは眠れていない。


「……何度も言うようだが、身内だからって油断するなよ? このまま山奥に連れ込まれたらどうするつもりなんだ」

「え? だって、そんなことするつもりなら、昨日の時点でもう詰んでるし、ちゃんと街に向かってるじゃない。私、一応地図は読めるし、冨士君は身内だから信用してるってわけじゃないもの」

紫陽しはるの基準は解らないな。いかにも怪しげな前のボディガードも、なんで信用できる? 俺の顔も認識は薄そうだったよな」

「それは……桐人さんたちと違って、めったに会わなかったもの。避けられてるのかと思ってた」

「まあ、そうだな」


 そうなんだと納得する。


「桐人さんたちとだって、そうだったんじゃないのか?」

「伯母様は、お婆ちゃんのところに来るときには桐人さんたちを連れてたもの。話はしなくても、顔は見てた」

「ああ……なるほどね」


 少し呆れたような物言いは、やっぱりライバルとして見ているからなんだろうか。


「まあ、いいか。じゃあ、甘ちゃんらしく最後まで信頼しておいてくれるとありがたいね」

「冨士君は、そういう言い方やめた方がいいと思う」


 ムッとして言い返せば、冨士君は鼻で笑ってもう口を開かなかった。

 車は空中高速帯スカイウェイに入り、日常の景色についうとうとする。冨士君の言うことも解らないではないのだけど、口ではなく、彼らの小さな行動に温かみを感じるのだ。

 だから、きっと天野さんも。


 ………………


 がくんと軽い衝撃にハッと目を覚ます。少し寝落ちてしまったようだ。

 車は止まっていて、冨士君が降りて行くところだった。どこだろうと見渡してみる。

 見知った場所ではなく、綺麗に区画された造成地のようで、建物はぽつぽつとあるだけだった。

 ドアを開けてくれて、冨士君が促す。


「ここ、どこ?」

「寝てたのか?」

「……ちょっとだけ」


 あれだけ言ったのに、と目で語っているような気がして肩をすくめる。冨士君は何も言わず目の前の建物に足を進めた。

 一見は小さなホテルかビルのような、五階建ての四角い建物だった。看板も何もなく、ベージュの外壁に装飾もない。

 エレベーターに乗り込むと、冨士君は五階の表示に手をかざした。

 着いた先では左右に伸びる廊下の先にドアが一つずつ。今のところ人の気配はないのだけど、それだけ防音がしっかりしているということだろうか。

 ドア周辺に呼び鈴や認証機器は見当たらず、冨士君は端末でどこかに連絡した。ややしばらく待つ。ロック解除の音がして、ドアノブについているランプが緑に変わった。冨士君が開けてくれて、先に促される。細く短い廊下はマンションのようだけど、上がりかまちのような段差も床の切り替えもなく、レンタルスペースのような雰囲気もある。

 こんな場所で? と微妙な不安が頭をもたげた。

 すぐに目の前が開け、外国のリビングルームのような場所に出た。ソファに座っていた人が驚いて立ち上がる。


「紫陽さん?!」


 天野さんの姿に、硬直してしまう。すぐ横からどこかで聞いた声がした。


「ご苦労様」


 ねぎらいの言葉は、私にではない。銀縁眼鏡に愉悦の笑みを浮かべた男の視線を追って、私はゆっくりと冨士君を振り返った。




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