30.心配
「報告を見ていれば、冨士君も研修に物足りないでしょう? まだ半分くらい期間は残ってたわよね。一段難易度を上げても問題なさそう。さすがに
「さすがにそんな短期間では無理です。上層部との関係は薄い」
「期間中に結果を出せとは言ってないわ。要は次世代が崋山院の手の内にあればいいのよ。仲いいんでしょう? そのまま捕まえておいて、有効利用しましょ」
伯母様は指先で挟んだ写真をひらりと振ってみせた。
温泉に行ったときの、庭を散策してる写真だ。
「まあ、向こうも同じようなこと考えてると思うけど。この写真もあちらさんがくれたものだし。挑戦的よねぇ? 失敗しても今は向こうの会社だわ。うちに被害はない。時期社長の座を狙うなら、受けておくわよね?」
赤い唇がにぃ、と笑う。
このくらいこなせないようでは、レースに参加もできないと言われているようだ。
途中から冨士君の表情は読めなくなってしまったけど、数秒私を見据えて、また伯母様に視線を戻す。
「ハンデにならなきゃいいんだが」
「あら。あなたが横から攫って行く、というシナリオもアリなのではなくて?」
「全力を尽くします」
伯母様の質の悪い冗談を無視して簡潔に答えると、冨士君は立ち上がって頭を下げ、出ていった。
見送ってしまって、慌てて私も立ち上がる。
「あの、私は父と相談してから……」
「そうね。
「……はい」
コーヒーの苦い後味が、いつまでも口の中に残っているようだ。
「それから……もし、助言が必要なら、安藤を貸すわ。そういう遺言だったものね? データは大体把握したから遠慮なくどうぞ」
「ありがとう、ございます」
お礼を口にしたものの、どうしていいのか判らなくて、部屋の隅で控えている安藤に軽く頭を下げてから、私もその部屋を後にした。
家に帰ると、ドアの前にアンドゥを抱えたツバメが待っていた。
仏頂面で、くいっと親指を部屋に向ける。入れろと言われたのは初めての気がするけど、私は黙って従った。
飛燕は定位置で、ツバメにはいつも私が座っている椅子を勧めて、自分はベッドに腰掛ける。アンドゥが膝に乗ってきたので、存分に撫でさせてもらった。
「……もしかして聴いてた?」
「リアルタイムで。飛燕が繋いでてくれたからな。乗っ取れ、とは、あのババアが考えそうなことだ。条件の緩さが気になるが、あの規模の会社なら下手に出るのもおかしくはない……か? あるいは、すでに上では寝返るつもりなら……ちと、ピンと来ねえな。跡取り君は知ってんのかねぇ」
「どうでしょう。どちらにしても、彼なら喜びそうですが」
「まあ、そうだな。で、お嬢さんの感想は」
「感想? ……ピンとはこないんだけど……伯母様の言うことも間違ってないし、天野さんなら悪い人ではないし……ただ、だからこそ彼を利用する、という形になるのは気分が良くないっていうか……もっと違う形で協力したかったっていうか……」
「まあ、だいたい思った通りだな。あちらさんも、そういう認識だろうな」
「ですね」
飛燕――中身は安藤――がしみじみと相槌を打つので、ちょっと面白くない。
「そういうって?」
「実は陰の実力者を隠していたのかと思ったが、現社長に比べれば可愛らしく甘い。警戒心は強いが、懐に入り込めばどうとでもできる」
ちょっとムッとするけど、事実なので仕方がない。
「ま、思ってるよりは頑固で大胆なとこがあるのは見えてないだろうが。それでもビジネスの世界、特に崋山院と久我の化かし合いに対応できるほどじゃねぇ。久我は男子優先主義がまだ残ってるし、そういう意味でもお嬢さんを低く見積もっているのはそうだ。嫁に入れてしまえば、どうとでもできると思ってるんだろう」
「そんなところに
「そうなぁ……あの跡取り君のアレが全部演技だったら……即刻お断りするとこなんだがなぁ。アイツ、天然ぽいから」
ツバメはがりがりと頭を掻いて、ちらりと私を見る。微妙な表情を作った後、小さく息をついた。
「お嬢さんが嫌じゃないなら、まあ、猶予期間もあるし様子を見てもいいんじゃないか。内情も見えてくるかもしれねぇ。ああ、くそ。こう言っちまうと、向こうの手の内に取られてる気がしてくんだよな」
「紫苑様にも音声データを添付して報告を入れましたので、手が空いたら連絡が来るでしょう」
「ありがとう、飛燕」
今は国内のはずだから、夜中に起こされることはないはず。
ひとまずみんなの意見が聞けたので、気が緩む。すると、もう一人も心配になった。私よりも彼の方がずっと思うところがあるんじゃないだろうか。
「ね、私が断れば、冨士君も普通に研修を終えられると思う?」
ツバメも飛燕も、ちょっと呆れた顔をした。
「お嬢さんが心配してやることはねーよ。アイツはもう社会人で、子供のころから崋山院のやり方を叩きこまれてきてる。心構えは違うさ」
「カスミ様の言いようですと、紫陽さんが降りたとしても、ある程度の成果は求められるでしょうね。ですので、そこをあなたが思い悩むことはありません」
そうだろうか。将来的に上手くいくはずだったことを、壊したりしないだろうか。
「……ああ、思い出した」
「何をです?」
「庭の小川に落ちた時のこと。何かで親戚が集まってて、子供たちだけで庭で遊んでたの。橋じゃなくて飛び石を越えていく男子が楽しそうで、私も後を追ったのよ。腕に擦り傷作って、びしょ濡れになって泣いてたら、前を走ってた冨士君がひどく怒られたんだったわ」
「坊ちゃんに突き落とされでもしたか?」
「それは覚えてないから、違うと思うけど。どうして服を濡らした私が怒られないんだろうって不思議だったから、怒らないで、とは言ったような……理不尽に怒られたから、冨士君の印象には残ってたのかな」
「確かに、カスミ様に怒られてますね。でも、紫陽さんも怒られてますよ?」
「え? そう? 三つくらいの時だったから……普段怒られない人が怒られてたから、そっちの方が印象強かったのかも。そう思うと、私に冷たいのもちょっと納得かな……」
ツバメは小さく鼻で笑った。
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