29.呼出

 スッと血の引く気がする。飛燕がわずかに眉を寄せて私を覗き込んだので、本当に青褪めたのかもしれない。


紫陽しはる様?」


 ツバメの膝の上にいたアンドゥも首を伸ばしてこちらを窺った。


「だ、大丈夫。久しぶりだったから条件反射で。伯母様から呼び出しが……あ、緊急でもなんでもないんだけど、えと、三日後?」

「なんでしょう。蜂蜜の集計はこれからですし、呼び出されるような案件が見当たらないのですが。詳細はないのですか?」

「うん。本家に来いって……」

「本家?」


 ツバメも眉をしかめた。


「星の関連ではなく、個人的なこと、ということですか」

「そうね……たぶん」


 怒られるようなことはしていないと思うのだけど、温泉旅行や今回のことは、耳に入ればお小言を言われるに違いないことではある。でも、呼び出してまで、ということはないはずなのだけど……

 一人暮らしに慣れてきて、気が緩んでいたのかもしれない。

 父さんもまた出張で出てるから、私に直接というのも妥当だろう。

 楽しい気分に水を差されちゃったな。

 手の中の金魚を揺らして、私はひとつ、溜息をついた。





 三日後、お守り代わりに吉祥だという金魚のキーホルダーを鞄に付けようとしていると、飛燕に止められた。


「紫陽様。本家に行くのでしたら、そちらは置いて行った方がよろしいかと」

「え? どうして?」

「RFタグのセミパッシブタイプですので、本家のセキュリティに引っかかると、ない腹を探られます」

「せみぱ……?」

「おそらく周波数は固有のものにしていると思いますが、呼び出しの詳細がわからないうちは、無用な疑念を持たれたくありません」

「えーと……なにか電波が出てる?」


 いいえ、と飛燕は首を振る。


「電波を受けると応えるタイプです。タグ用のチップの他に普通のチップも入っていますので、彼の言葉を鑑みると、彼と連絡がつけられる手段が記載されているのでしょう」

「……何も説明なかったじゃない」

「ツバメがいれば、必要ないことです」


 だから「後で」だったのかと、いまさら気付く。


「子供用の迷子札に見えなくもないですから、他の場所では問題ないと思います」

「……子供用……」


 そういう偽装だと判っていても、ちょっとカチンときて、私はテーブルの上に音を立ててそれを置いて、身を翻した。


「ツバメは?」

「まだ居りますよ。今日の動向を見て帰るか決めるそうです」


 まだ居てほしくもあるけど、それは私の我儘だろう。

 お小言くらいでありますようにと、待たせていた無人タクシーに乗り込んで、目をつぶった。




 嫌な予感は、通された部屋に冨士君がいたことで一気に膨らんだ。

 動揺を隠しながら目礼で挨拶する。やっぱり、温泉旅行のことだろうか? でも、天野さんにも冨士君にも、あれ以来連絡もしていない。何か言われてもそう問題ないはず。

 自分に言い聞かせながら、案内された椅子に着席した。流れるようにコーヒーが置かれる。


「カスミ様は少々手が離せなく、五分ほど遅れそうです。ご了承ください」

「……はい」


 ちらりと向かいの冨士君に目を向けてみるけれど、相変わらず眉間に皺を刻んでいて、何か話せるというような雰囲気でもない。気まずい時間はやけに長く、コーヒーばかりが冷めていった。

 十分が過ぎた頃、伯母様はやってきた。

 こちらも相変わらず不機嫌そうで、せかせかと席に着く。一息吐き出してコーヒーを置いたメイドに軽く礼を言うと、私と冨士君に一瞥をくれた。軽く頭を下げておく。


「ご足労ありがとう。ちょっと、周囲に聞かせたくない話でね。冨士君は知っているのかしら」

「いいえ。何の話でしょう」

「あなたが届けてくれた手紙のことよ」


 手紙? 思い当たる節があるのか、冨士君は眉間の皺を深くした。


「たまたま預かっただけですが、あれが何か」

「たまたまなのか、利用されたのかは知らないけどね。諸所の報告書に混じって私宛の手紙が入ってたわ。まあ、報告書はトラブルが重なったから先にお渡しする、ということで後でちゃんとデータでももらったけど」


 冨士君を向いていた瞳が私に向けられて、ドキリとする。この流れで私に何が関係あるのだろう?


「時間もないし、余計なことは省くわ。紫陽、あなたに婚約の打診が来てる」

「――え?」


 冨士君も驚いている。そうだろう。その手の話は少し前までさんざんあって、そして、どれも伯母様自ら却下してた。(父さんじゃないところは、笑うところなのかもしれない)


「あちらも言ってみただけ、的なところはあるのだけど、ちょっと条件が面白かったから受けてみようかと思って」

「そ、そんな、勝手に!」

「だから、こうしてあなたたちを呼んだんじゃない」

「……え?」


 冨士君と目を合わせる。冨士君もわかっていない。ホッとすると同時に不安も増す。どういうこと?


「まず、婚約と言っても先の話。あなたが成人を迎えた後、すぐになるか卒業を待つかもまだ決まっていない。なので、それまで特に発表などはしない。仮契約みたいなものね。いつでも無傷で破棄可能」


 伯母様は二本目の指を立てて続ける。


「二つ目。相手は「天龍社」の共同経営者代表の御子息。会社を継ぐ予定ではいるけど、まだ確定ではないので、それなりの席が確保されないなら、その時は婚約は解消でいい。歳の頃も近いし、無理はないはず、と」


 冨士君の表情がわずかに強張った。

 伯母様の指がもう一本立つ。


「三つ目。もし、この影の婚約が成立するなら、「天龍社」は紫陽の持つ星の維持に協力を惜しまない。これは、まあそうね。自分が所有することになるのなら、惜しまないのは当たり前よね」

「だが、「天龍社」では彼女が嫁ぐのに釣り合う気がしない」


 冨士君の声に伯母様は笑った。


「そうよね。それなら、うちの息子たちやあなたが欲しいものね」


 とたんに苦々しい顔をする冨士君。


「紫陽に言っても、断るだけでしょう。だから、ひとつ道を示すわ。紫陽は、嫁に収まっていなくてもいいのよ。今回のことだって、後ろに久我の臭いがするわ。元々あちらに近い社風ですもの。美味しいところを奪い取りたいでしょうね? 幸い、跡取り君は紫陽を気に入っているようだし? 経済的余裕と、経営の勉強。それを兼ねて……ああ、別に色仕掛けでも構わないわ。「天龍社」をこちら側に引き込みなさい。今は冨士君もいるのですもの。そう難しくないでしょう? 数年かけて業績を伸ばしてやれば、なんらおかしくない会社になるわ。その上で気に入らなければ、婚約は無かったことにすればいい」


 反論も、ただ反対することもできなくて、私は呆然と伯母様を見ていた。




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