21.古巣

 それからほんの数日後には、西のリトルチャイナタウンにいた。

 車ではなかなか奥まで入れないというので、中心地区に着いたらあとは歩いて行くらしい。リードをつけたアンドゥを抱えて、咥え煙草で先を行くツバメについていく。飛燕は少し後方についてくれていた。


 チャイナタウンと言うだけあって、圧倒的に中華系の人が多い。タイやベトナムの方もいるのだろうが、パッと見たくらいでは見分けがつかない。通りには屋台が好き勝手に出されていて、テーブルや椅子も適当に置かれている。そこに陣取った人々は、お酒を飲んでいたり、ご飯を食べていたり、ジャラジャラと麻雀牌をかき混ぜていたりしていた。

 狭まった道を自転車やスクーターがひっきりなしに行きかっていて、それがまた車を入り込みにくくさせている理由のようだ。


 物珍しさにキョロキョロしていると、下品な声が飛んでくる。ツバメが「構うな」というのでできるだけ目を合わせないようにしていた。ツバメがいるからか、遠くからヤジを飛ばされても近くに寄ってくる人はいない。

 大きな通りから一歩路地へ入り込むとまた別の世界が広がっていた。寝ているのか、倒れているのかわからない人。薄汚れた服でうずくまっている人。駆け寄ってきて服を引っ張りながら「ヒャクエン、ヒャクエン」と手を出す子供……ツバメは容赦なく追い払っていたけど、私の生活圏ではほぼ見ない人たちだ。


「子供に同情すんじゃねーぞ。ここにいるのはファッション乞食も多いんだ。結構な稼ぎになる」

「……そう、なんだ」


 本当に知らない世界で、目から鱗が無くなっちゃうんじゃないかと思うくらいだ。

 そうこうしているうちに、ツバメが立ち止まった。前方を数人の若者が塞ぐようにたむろしている。

 全員を舐めるように観察して、ツバメが後ろ手を振った。


「お嬢さんは壁を背にしてちょっと避けてろ。アンドゥは抱えたままでいい」

「……なんだよ、オッサン。ここは通行止めだぜ。観光客は表通りを通れよ」

「オッサンは体力ねぇから遠回りしたくねえんだよ。道を空けるか、話のわかるやつ呼んでこい」

「んだと? コラ。ヨソモノが粋がってんじゃねぇぞ? ここにはここのルールがあんだよ」


 座り込んでいた数人も立ち上がって、ジリ、とツバメに近づいた。


「だから上を呼べっつってんだろ? ガキどもじゃ話になんねぇ。なんつったか。ニャン? あれはベトナムだっけか。そうそう、ワン。ワンはだいぶ上の方にいるんじゃね?」


 目配せしあって、一人が路地の奥へと駆けて行く。残りはまた一歩ツバメの方へと近づいた。


「でまかせ言ってんじゃねーぞ。お嬢様の前で恥をかきたくなかったら、さっさと回れ右して帰れ」


 ふん、と鼻で笑って、ツバメは煙草の煙を吐き出した。


「飛燕。ちょうどいい。動作チェックだ。紫、赤、金模様、青。赤と金でいっとけ。青はやるなら意識残しとけよ」


 服の色で何やら指示を出して、ツバメは火が付いたままの煙草を赤い服の男に投げつけた。

 それを払い落そうとした赤い服の男は、煙草に触れる前にその腕をツバメに掴まれた。どう捻ったのか、とたんに男はぐるりと回って地面に落ちる。

 男がまだ宙にいるうちに、ツバメはその後ろにいた紫の服の男に近づいた。紫の服の男が焦りの表情を浮かべた時には、ツバメの手は男のお腹に埋まっていて、くの字に曲がった体の頭部を容赦なく蹴りつける。

 肉を叩きつけるような鈍い音に骨と骨がぶつかる硬質な音が混ざり合って、身が縮む思いがした。思わずアンドゥをきつく抱き締めてしまったのだけど、アンドゥは抗議もせずにいてくれた。


 ツバメがゆったりと新しい煙草を取り出して火をつける間に、起き上がった赤い服の男の腕を飛燕が捻り上げた。金模様の人はすでに地面で寝ている。

 二人はほぼ同時に、呆気に取られている青いシャツの男の人に視線を向けた。


「言ってんだろ? ガキじゃ話になんねぇ。誰でもいいから呼んでこいよ」


 一瞬だけこぶしを握った青いシャツの人は、飛燕が拘束している人の後頭部を殴って失神させたのを見て、諦めたようだった。数歩後退ってから、身を翻して駆けて行く。

 ツバメに来い来いとジェスチャーされて、私は小走りで駆け寄った。


「調子は?」

「問題ありません」


 服を払いながら答える飛燕にツバメはにやりと笑った。


功夫クンフーも入れたら面白かったかな」

「大した違いはないでしょう」


 今日の飛燕は黒のカンフースーツを着てるから、様になる気はするけど。それでもあまり乱暴な振る舞いはしてほしくないかもしれない。

 歩き出したツバメは何事かと顔を出した人たちを視線で追い払っていく。


「怖ぇだろ。二度と来んなよ?」


 振り向かずにかけられる言葉に、ツバメがわざとそうしてるのじゃないかと思わされる。俺は怖い奴だぞって、肩を怒らせている気が。

 でも、それが本当に好きなら、ツバメはここから離れなかったはずで。


「……大丈夫。もう来るつもりもないけど」


 呆れたように少しだけ振り返ったツバメは、前方に現れた人影にすぐに視線を戻した。




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