19.解散

 翌日、時間ギリギリまで残ってチェックアウトしに行くと、ジーナさんが昨日と同じ添乗員ファッションでカウンターの傍に立っていた。


「お疲れさまでした。当社員旅行ではシークレットトラベルを徹底しておりますので、建物の全景、名称や他のお客様の写った写真、動画をインターネットに流すことは禁止しております。思い出はそれぞれの胸の中にお仕舞ください。ご協力、お願いいたします……って、紫陽しはるちゃんは大丈夫よねー? 楽しんでもらえたかしら?」


 手続きを飛燕に任せて、ジーナさんに向き直る。


「皆さんにお知らせしてるんですか?」

「もちろん。言っても聞かない人もいるんだけど、そういう人はブラックリストに載せて界隈に回しちゃうし。少なくともうちの社員は大丈夫よ。アマタツも気にしてたけど、だから、あんまり心配いらないと思うわよ?」


 ウィンクされて、不意に横山さんの顔が思い浮かんだ。本当に、同一人物なんだろうか。まだどこか信じられない。


「……私は……そこまで心配してないんですけど」

「まあね。タカが逐一チェックするでしょうしね。昨夜もITルームに陣取ってたみたいだし、仕事熱心よねぇ」

「えっ……」

「うるせーぞ。追跡はそっちにもやってもらうからな」


 不機嫌な声に振り向けば、ツバメがアンドゥを抱えて立っていた。


「はいはい。お疲れさまでした。当社員旅行では……」


 ジーナさんは判で押したように注意事項を述べて、ツバメのうんざり顔を楽しんでいるようだ。

 もう一度ロビー全体を見渡して残っている人を確認してみたけれど、客の姿はなく、ただひとり冨士君がじっとこちらを見ていた。

 目が合うと数歩踏み出したので、飛燕が手続きを終えたのを確認してから私も彼に歩み寄る。


「天野さんはいないんですね」

「……先に帰った。「不快な思いをさせて申し訳ない。庭の散策は、楽しかった。ありがとう」と……」

「それを伝えるために残っててくれたんですか?」


 冨士君は飛燕とツバメに視線を投げてから、ふいと横を向いた。


「いや、まあ……」


 彼にしてはなんだか微妙な反応だ。用が済めば立ち去りそうな感じがしてたのに。


「ずっと待っててくださったんですね。すみません。遅くまで。お連れの方もどこかに? 天野さんとは職場でまたお会いになるんでしょうから、私も楽しかったのでお気になさらずに、と、お伝え出来ますか?」

「あまり、期待をもたせるようなことを言うもんじゃない。どうしたって叶わないと気づくのは、早いに越したことはないんだから」


 ピリッと冷たい声に困惑してしまう。


「……冨士君は、友達思いなんですね」

「そうでもない。本当にそうならこんなこと断ってる」


 イライラしながらも何度か呼吸を整える様子に疑問符しか浮かばない。


「こんなことって……」

「ああ、くそっ」


 ずい、と冨士君の端末を突き付けられた。


「「お前なら、連絡先訊いてもおかしくないだろう? 繋がっててくれないか」とか、俺をなんだと……!」


 びっくりしてる私を見て、唐突に冨士君は冷めたようだった。


「そうだな。断ってくれればいいんだ。紫陽しはるは特に困らない」

「あ、えっと、『LINK』でよければ、別に。桐人きりひとさんとも繋がってるので」


 一般的に広く使われているSNSを提示すると、今度は冨士君が驚いた顔をした。


「は?」

「コード出しますね」

「桐人さんって、桐人さん? あんなことあったのに、なんで!」

「なんでっていうか……何かあったらお詫びに動いてくれるって約束したので……せっかくだし? 普段から連絡とってるわけじゃないですよ? 緊急用っていうか」


 はい、と画面を差し出せば、冨士君はしばし私と画面を見比べてから登録を済ませた。


「……そんなにしたたかだったか?」

「お婆ちゃんのおかげで、しっかりしなくちゃならなくなったんだもの。難しいけど、助けてくれる人もいるから頑張ろうって。冨士君から見たら、まだまだかもしれないけど」


 おどけて肩をすくめてみせる私を、冨士君は黙って見下ろしていた。


「お嬢さん、帰るんだろう? 送ろうか」

「え!」


 ツバメの声に反射的に振り向いた。


「ツバメ、星に帰るんじゃないの?」

「どっちにしても空港方向だろ? 嫌ならいいんだが」

「嫌じゃない! お願いします!」


 ぱたぱたと駆けよる間、ツバメは冨士君を見ていた。

 アンドゥを受け取ってから、なんだろうと思って私も振り返る。冨士君は少し眉間に皺を寄せてまだその場に立っていた。

 手を振れば、小さく手を上げて応えてくれたけど、動く気配はなかった。


「……何かあった?」

「いいや。べつに」


 並んで出口まで歩いて、最後にもう一度ツバメは振り返った。つられて振り返ろうとした私の背中を押して、小さく笑う。


「庭も湯も良かったな」

「え……うん」

「今度はプライベートで来たいもんだな」


 一緒に? と口に出しかけて、慌てて閉じる。外に誰か立ってたし、「一人でに決まってるだろう!」って言われる気がしたのだ。

 並んでる無人タクシーに三人で乗り込んで、結局そのまま、ツバメはマンションの自分の部屋へと帰って行った。




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