26.本題

 ほんのり顔が赤らんでいる気がするのだけれど、今の行為を恥ずかしいと思うのは違う気がして、顔を赤くしていることが恥ずかしくなって、顔の熱さがなかなか引かない。

 こういう時、どうしていいのかわからなくて、膝の上に乗せていたアンドゥを無意味に撫でたりしてしまう。

 横山さんという人は、不思議な人だ。きっと、ここに来た女性たちはみんな彼に恋をするんだろう。自分を美しく仕立てていく手に。

 私が少し冷静でいられるのは、攫われてきたせいと、彼の瞳にそういう熱が見えないからだ。そこにあるのは好きなことに対する情熱だけ。だから、勘違いをしてはいけないし、誤魔化されてもいけない。


「私よりも、アンドゥを起こしてくれませんか? あのパーティにいたというのなら、あなたも『ネコロン』を持って行ったのでしょう? 充電器、ありますよね?」


 うーん。と纏う空気を一変させて、横山さんは迷うふりをした。


「『アンドゥ』っていうんだ。珍しい名前だね。誰の命名かな」


 答える必要はないと、口を閉じる。

 横山さんは静かに笑う。


「まあいいか。充電器があるか無いかでいえばあるんだけど、あんまり起こしたくないんだよね。引っ掻き回される気がして」

「やんちゃモードだからですか?」


 ぷっ、と分かりやすく吹き出して、横山さんはようやく本題へと入ってくれるようだった。


「モードはどれでも。多分ね。証拠がないから、何とも言えないんだけど。私が中川邸に呼ばれたのは、『ネコロン』所持者だからじゃないよ。それの初期開発者だからさ」

「えっ!?」

「最初の基本プログラムと大まかな外観設定を決めたのが私。ひとりでは限界があったから、そのうちチームになったけど。『久我』の犬型ペットロボットに発売を先越されて悔しい思いもしたり……『Kazan』に移ってからはさすがに大っぴらに手を貸せなくなって、まあ、でも最初のでほとんど理想通りだったから」


 アンドゥを見下ろす瞳は優しい。でも、その目が私を捉えると、探るような鋭さを帯びる。


「だからね、なんとなーく違和感があるんだよ。その子」


 心臓の立てた音が、外に聞こえてませんようにと、私は祈った。

 それに、引っかかりは私も感じ始めてる。何気ない会話だったけど、前にツバメはジーナさんに「お前んとこの猫」って言わなかった?

 ジーナさんの実家が『ネコロン』作った会社だと思ってたけど、じゃあ、横山さんはそこの元社員で、ジーナさんと一緒に引き抜かれてきたってこと? 二人も引き抜いて問題なかったのかな。お婆ちゃんが上手くやったってことなんだろうか。

 それならジーナさん繋がりでツバメと面識があるのも頷ける、のかな。


「違和感は、もうひとつ。安藤さんのデータ、恣意的に飛んでる気がする。学習領域がほとんど残ってなかった。確かに、バックアップ分だけでも仕事に問題はない。でも、安藤さんが積み立てていたはずの学習データがひとつも、欠片も残らないなんて。新社長は仕事が引き継げればいいみたいで、全く気にしてなかったけど」


 小さな引っかかりは、続く横山さんの言葉に流されてしまった。

 それに反応してはいけないと、そちらに集中する。


「……当たり所の問題とか?」

「そうかもね。そうなんだけど……ユリさんの、考えたことだから」

「え? 何を?」

「そもそも、彼女が何故あの星をあなたに相続させようとしたのか。面倒が起こるのは、彼女なら見えていたでしょうに。次男の紫苑さんに渡した方が、見た目上のトラブルは少なかったはずだ」


 ずいぶん詳しいなとどきどきして、そういえば安藤のサルベージの時、彼もその場にいたのだと思い出した。だから、彼が荷物を取りに来た。


「それは、私が一番驚いた」

「小さくだけど、ゴシップ誌に記事が載ったの知ってる? 崋山院のグランドマザーは次世代の後継ぎを指名したのかもしれないって」


 一瞬、意味が分からなくて、それから血の気が引いた。


「な……な、な、なんで?!」

「後継者争いに加わる気のない次男の代わりに、手塩に育てた孫を後継ぎに推したのだって」

「ないっ! ないです! 私、経営のことなんて、何ひとつお婆ちゃんに教わらなかった……!」

「そうかな。今はまだ未熟でも、貴女に安藤さんがついていたら?」


 確かに、安藤もそんなことを言ってたけど、私には全くそんな気はないし、お婆ちゃんもこんな形で無理やり私に継がせる気はなかったはずだ。

 桐人さんが急に近づいてきた理由も、そこまで聞けば解る。


「ありえません! 安藤の相続権は私にはないもの!」

「そう。無かった。でも、彼は貴女が望めば、貴女のものになる気だったでしょう? あれ、鳥肌が立った。すごいよね。すごいことなんだよ。たとえ、矛盾した命令に回路がおかしくなりかけていたのだとしても」

「でも! そうは、ならなかった」


 あれは、安藤の演技だと分かっているから、違うと言える。でも、聞く人が聞くと、そんな捉えられ方をするの?

 横山さんは少しうっとりと遠くに向けていた視線を残念そうに戻す。


「ほんとにね。何度聞いても解らない。どうして引き金が引かれるまで、紫陽さんが気づかなかったのかも。だけど、ユリさんは貴女に崋山院を託したかったのかもしれない」

「そんな……こと」


 ゼロだとは言えない。お婆ちゃんの考えていたことは私には推し量れない。


「安藤さんが無事なら……言い換えようか。彼のデータが無事なら、貴女にその道を彼が示してくれる」

「示されても、私はその道を選ばない」

「どうして」

「向かないもの。大きな組織を動かすとか、価値をお金に換算するとか。お婆ちゃんは私を崋山院のトップに持ち上げようなんて、思ったこともなかったわ。私たちは、ただの祖母と孫だった」

「……なるほどね」


 横山さんは顎に手を当てて、少し考え込んだ。


「そうなると、安藤さんを壊さなければいけなかった理由も、見えてくるのかな」

「え!?」

「あそこで紫陽さんが頷けば、それで世界がひっくり返った。ユリさんはそうしたかったのかと思ったんだけど……そうでないと言うのなら、理由は別にあるはずだ」


 レンズの向こうの横山さんの瞳は、まっすぐぶれることなく私の心の奥底を覗き込んでいるようで、不用意に逸らせない迫力を伴っていた。




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