15.続話

「ちょっと、ヤニ補給……いいか?」


 二本指を口元に持って行って、ツバメはわざわざ私に訊いた。


「どうぞ」


 その場で吸うのかと思ったけれど、彼はキッチンの換気扇の下まで行って煙草を咥えた。

 初対面の時こそ咥え煙草だったけど、そういえばその後は私の前では吸っていない。気を使ってくれていたのだろうか。

 吸いたくて吸ってるのだろうに、けだるげに眉間に皺を寄せている姿は矛盾していると思った。


『話を続けますと』


 猫は戻ってきて私の隣にちょこんと座る。


『そうやってユリ様だけでなく、崋山院の多くのデータを握る私は機密扱いとなりました。バレたら開き直るつもりでしたでしょうが、運よくというのか、悪くというのか、誰も指摘することはありませんでした。秘書がユリ様のデータを預けられていても、おかしいと思いませんものね?』

「また、そいつがどんどん人間臭くなりやがるんだ。可愛くねぇ」


 換気扇の音がうるさいのか、少し大きな声でツバメが口を挟む。


『ツバメが変わらなすぎなのですよ。いつまでも十六の子供のようです』


 「ウルセー」という声は、語尾しか聞こえなかった。


紫陽しはるさんにこの星を譲ると決めたのは、ユリ様が私を紫陽さんに託すためでもありました』

「え!?」

『跡を継がせるためではありません。いわば、私のわがまま……ということになるのでしょうか。たいそうな理由ではないので、その件はまたそのうち。ともかく、そんなことをすれば周りが黙っていないのは一目瞭然です。どう繕っても、書類上は、私はユリ様の所有する機械おもちゃですから。一介の秘書であれば、当主権限で婚約にでもこぎつけたのでしょうが、その手は使えませんでした』


 婚約と聞いて何気に心臓が早くなった私の方を、キッチンの奥からツバメが呆れたように見ていた。慌てて平静を装う。


『ユリ様とあれこれシミュレートして、いったん壊してしまうのが一番確実だという結論に至りました。私は特にその体に未練もなかったので構わなかったのですが、ユリ様は少し寂しそうでしたね。ただ、すぐに、今度は一緒に逝けるのね、と笑ってくれましたけど』

「……お婆ちゃん……」

『相続権はそのまま、ただし、紫陽さんが成人するまでユリ様の遺言を優先するように調整しました。カスミ様たちがいつ気付くか分からなかったからです。放置されていれば、崋山院共有の財産とみなされますからね』

「でも、お通夜の席でも伯父様と伯母様は細かくチェックしてた……」

『ええ。そうだろうとは思っていました。特に、カスミ様はそういうことに目ざといですから。ですから、気づかれないことはあり得ないだろうと。慌ただしくこの星に来たのは、簡単に人の目や手が届かない場所の方が、都合がいいからです』

「え……じゃあ、お婆ちゃんの骨は口実?」

『ユリ様がここを大切にしていたのは本当です。分骨も大っぴらにできると、嬉しそうに提案していましたよ』


 そう聞いてほっとする。まだ、埋めてあげられてないのだけど。


『カスミ様は私がアンドロイドだと知る前から声をかけてきました。眼鏡を渡されて、引き続き秘書として雇われる気があるなら、紫陽さんやこの星の様子を記録してほしいと』

「……あ!」

「なるほど」


 ツバメも戻ってきて、向かいのソファに身を投げ出す。


『ここに着いてすぐの通信では、「あなたは私が継いだから、さっそく仕事をしなさい」というものでした。渡した資料だけでなく、きちんと隅々まで調べて行動に移すところは、経営者として優秀ですね。最初の要求はカスミ様の用意したプログラムを組み込むことでした』

「それで、端末を使ったのか」

『よりスムーズに指令に従っていると思わせなければいけませんでしたから』

「なんか、ヤバいもんだったのか?」

『一般的ともいえますが。カスミ様の命令には必ず従うというようなものですよ。遺言がありますので、管理者権限はまだ書き換えられないので、その間の応急処置です。あとはTO-DOリストでした』

「そんなもん入れたからぶっ倒れたんだろ」

『少し違いますが……元々、ユリ様以外が私のシステムに干渉しようとすると、セーフティ機能が働くことになっています。ですから、誰が管理者になろうとも、ユリ様が亡くなった今、これ以上の変更はできません。ただし、見かけ上それを動かすことはできます。それを動かすとどうなるのか、試して危険性を分かったうえで、排除、再起動をかけました』

「なんでわざわざ試すんだよ」


 苦々しい顔をしたツバメに、フン、とまるで鼻で笑ったような鼻息を吹き出した猫は、私の膝にすり寄った。


『演じなければならないでしょう? 確かにそれが機能していると。記録されているものを確認した時、矛盾が出ないように。再起動が終わり、このにあなたたちを誘導してもらっている間に武器をお借りして、もう一度スリープ状態に移行しました。覗き込む紫陽さんの顔を見上げた時には、こんな時なのに夫婦や恋人というものはこういう朝を迎えるのかと、またひとつ学習できた気分になったものです』

「……けっ、エロじじいが」

『どさくさに紛れて、紫陽さんの唇を奪ったあなたに言う権利はありませんよ』


 膝に顎を乗せてツバメに流し目する猫にも、挙動不審に腰を浮かせたツバメにも、恥ずかしさがこみ上げて顔が赤くなる。人工呼吸だという言葉に、それ以上考えないようにしてたのに!


「み、見てんじゃねーぞ! だいたい、見てたなら、仕方なかったのはわかってんだろうが!」

『ツバメに任せるんじゃなかったと、後悔しました』

「けっ! ああ、そうかい! もう金輪際、手を貸したりしねーよ!」

『ああ、それは困ります。お詫びに肉球、揉みますか?

 ――冗談はさておき、端末を使ったのにはもう一つ理由があります』


 ぱっと跳ね起き、ツバメの膝に移動した猫に、拗ねた顔を見せていたツバメだったけど、安藤の真面目な声に少しだけ姿勢を正した。




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