10.言訳

 咬まれて引っかかれて、小さな勲章をたくさん刻んだツバメは、安藤が眠っているソファの向かい側で仏頂面をしていた。彼をそんな風にした犯人は私の膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしている。

 グレーの短い毛並みに、青い瞳。革の首輪には大ぶりの鈴がついているけれど、振ってみても音はしなかった。


「飾りなのかな」

「電子鈴だと思うから、壊れてるんじゃねーか。宇宙への配送はまだ保険がきかないものも多いからな。どうでもいい」


 興味がないというように、ツバメは大口を開けてあくびをした。


「ペットが欲しかったんじゃないの?」

「いいや? 勝手に送り付けてきたんだって。それについても聞こうと――さっき、なんか言ってたな」

「え? いつ?」

「気をつけろ? って、言われたのか?」


 ああ、と私は頷いた。


「意識を失う前に、なんとかに気をつけてって。肝心なところが聞き取れなかったんだけど……」


 ツバメは黙って眉を寄せた。そうしているとヤクザの三下っぽい。


「っくそ! イライラする。早く起きやがれ!」


 ツバメはわざわざ腰を浮かせて、安藤の額をべちんと叩きつけた。焦る私の心配をよそに、安藤が身じろぎする。


「……安藤?!」


 ゆっくりと開いた瞳が、辺りを窺い始める。

 駆け寄って顔を覗き込んだ私に目を止めると、安藤はいつもの微笑みを浮かべて私の頬に手を伸ばした。


「しはる……紫陽様……いえ、紫陽さん。すみません。ご心配をおかけしました」


 指先が頬に触れるか触れないかくらいで、彼は腕を下ろして軽く頭を振りながら身を起こした。


「大丈夫?」

「はい。もう大丈夫です。紫陽さんの言う通り、もうあまり遅くまで仕事のできない身体なのかもしれませんね」


 けっ、というツバメの声に、安藤はきちんと座り直して乱れた髪を手櫛で整えた。正面からツバメを見据え、商談相手と対峙した時のように不敵に笑う。


「何か、ご不満でも?」

「何か、じゃ、ねーよ。夜中に何してたんだって言ってるんだ」

「仕事ですよ」

「わざわざ履歴まで消すような仕事か?」

「もちろん。他者の機器に不審な足跡を残すようなことはいたしません。いつ、どこで、誰に、どのように使われるかわかりませんからね。特に、こんな時は」


 ぐぅ、と言葉に詰まって、ツバメは仏頂面をさらに歪ませた。


「誓って、ドームの運用にかかわるものには触ってませんよ。それは、紫陽様への不利益にも繋がりますからね。ツバメが就寝されてから思い出したので、講義用アプリを入れたついでについ。気に障ったのでしたら、謝罪します」


 頭を下げる安藤に、ツバメもそれ以上何も言えないようだった。まだ苦々しい顔はしていたけど、子供のようにぷいと顔をそらして頬杖をついている。


「不調は最近多いのかよ」

「いえ……でも、もう大丈夫です」


 眉を顰めるツバメに、この時ばかりは同調したくなった。


「大丈夫じゃないです。今日はもう休んでてください!」


 横から挟んだ言葉にぎょっとして、安藤は眉尻を下げて笑った。


「いえ。でも……」

「どうせ急ぐ予定もないんだから……ない、のよね?」


 急に自信がなくなって、勢いは尻すぼみになる。私は講義が受けられれば困ることはないけど、安藤はそうじゃないかも。

 彼は一息つくと、ふふ、と笑って頷いた。


「わかりました。夕飯まで部屋で休みます。ありがとうございます」


 立ち上がった安藤をツバメはひどく呆れた目で見ていた。

 階段に向かいかけて、安藤はふと足元に視線を落とす。


「……この猫は?」

「婆さんが送り付けてきたやつ」

「ああ。そういえば、頼みましたね。こんな猫でしたか」


 安藤を不思議そうに見上げている猫をひと撫でして、彼は二階へと上がって行った。




「疑いは晴れたでしょ?」


 危なげなく階段を上る安藤を見てほっとしたこともあって、私はツバメに笑いかけた。


「いいや」

「どうして? 謝ってたじゃない」

「あいつの下げ慣れた頭なんて大した価値はねぇよ。不調の原因も気になる。だが、まあ……システムをいじってないっていうのは、信用してもいい、かも」


 そわそわと無精ひげを撫でつけながら、肝心なところはぼそぼそ言う態度に、素直じゃないなぁ、と呆れる。

 落ち着きがなく、感情的で安藤に比べるとかなり子供っぽい。けど、つられて勢いで話してしまって口調が砕けていても気にしないし、ストレートに帰ってくる言葉は、伯母様のまわりくどい忠告よりも受け入れやすい。

 庭の手入れや蜂の世話には充分な能力を発揮しているようだし、お婆ちゃんがこの人を引き続き管理人にと指名した理由が解るような気がした。


 簡単な昼食をとった後、講義の一つを試しに受けてみる。リアルタイムの講義はさすがに無理なので、アーカイブでの受講となる。ログインするまでを念のためと見守っていたツバメは、途中で「あ!」と声を上げた。

 何か操作を間違ったかと、びっくりして両手を上げる。


「あ……すまん。違う。あいつに聞き忘れてた。下りてこねーし、昼飯持ってちょっと行ってくる。問題ないみたいだから、ごゆっくり。変なスイッチには触んなよ?」

「う、うん。喧嘩、しないでね?」

「取っ組み合いにはならねーよ」


 冗談半分だったけど、帰ってきた答えはあんまり安心できるものじゃなかった。




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