宙の花標

ながる

第一部 宙の花標

01.遺産

 祖母はいわゆる資産家だった。

 富裕層。お金持ち。

 しかも、頭に「やり手の」とつくそれだ。

 鉄の女。女マフィア。侵略系宇宙人、なんて評した人もいる。


 『これからという時に伴侶を亡くした彼女は、伴侶以上の才覚を発揮して、死ぬまで自分の財産を増やし続けたのです』


 宇宙港の片隅。中空に大きく映し出されている電子ニュースの特番を横目に、私はジャケットの胸元をそっと押さえつけた。そこには祖母からの――崋山院かざんいんユリからの手紙が入っている。

 世間の評判はどうあれ、私にはお茶目なお婆ちゃんで、育ての親。

 少しはしんみりとした時間があっても良かったのに……

 盛大な葬儀が終わって早々に、私は火星と木星の間にある小惑星帯のとある星へ行くため、宇宙ステーションへの連絡艇を待っていた。





 事の発端は、通夜の席で祖母の遺言映像が流されたことだった。

 最後のお別れにと集まっていた親族を前に、てきぱきと準備をしたのは祖母の秘書をしていた安藤。物腰柔らかで、三十代くらいに見える年齢不詳の紳士だ。

 電子化が当たり前のこのご時世に、わざわざ手書きのものまで用意していた遺言を(それも、安藤が手にしていたのはコピーだった)間違いがないか逐一確認している。改ざんや隠匿が起きないようにと、二重、三重に用心を重ねるところは、さすがお婆ちゃん。用心深い。


 父を含む三姉弟きょうだいひとりひとりに、継ぐべき不動産、事業が振り当てられ、それは概ね予定されていたものだった。何年も前から引き継ぎを進めていたし、特に混乱はない。細々したものは好きに分けなさいというくだりでは、「あれが欲しい」「これは売り払って現金にする」などと、早くもそれぞれが勝手な主張をし始めていた。

 私には全く他人事で、黙って伯母さんと伯父さんの主張に頷いている父を少し同情しながら眺めている。


「まだ続きがございます」


 安藤が少し声を大きくして注意を引いた。


『小惑星「カザンΨプシー」については、孫の崋山院かざんいん紫陽しはるに譲るものとする』


 まだしゃんとして動いて話しているお婆ちゃんと目が合ったような気がして、私は肩を跳ね上げた。


「何ですって!?」


 でも、先に声を上げたのは長女のカスミ伯母さんだ。同時に責めるような瞳で睨まれる。


「孫は他にもいるっていうのに、どうして紫苑しおんのところだけ!」

『あとは安藤に任せてあります。なにかあれば、安藤か弁護士さんにお尋ねなさい』


 お婆ちゃんの姿は、それで消えた。ウェブ会議ミーティングの様子と全く変わらない。棺の中で横たわっているのが不思議なくらいだ。


「俺も聞きたいな。他の孫への言及はないのか? だいたい、そんな星、持ってたなんて知らなかったぞ!」


 れん伯父さんもカスミ伯母さんほどではないけれど、渋い顔で腕を組む。

 お金持ちの間では、小惑星帯の星を自分好みにのが密かなブームらしい。氷の星の地下に街を造る者。表面を削って整えて彫刻する者。資源を期待して採掘する者……一時期は、やったもの勝ちと言わんばかりに宇宙船が飛び交っていたという。(現在は各国に報告義務があり、国際宇宙連合の元、管理されている)


「「カザンαアルファ」と「カザンβベータ」についてはカスミ様と蓮様それぞれに相続されます。紫苑様には星の贈与はありませんし、紫陽様には世話になったから、と。「Ψ」は二つの星に比べても小さく、さらに紫陽様には取得にいくつかの条件が付けられております」

「……条件?」


 お婆ちゃんの世話をした覚えはないけれど(だって使用人や安藤が全部やってくれるもの!)、晩年はよく食事やお茶を共にした。

 それだけのことで星なんてもらうのは、ちょっと贅沢な気がする。どう管理するのかもわからないし……どうして父さんじゃないんだろう。

 安藤は「カザンΨ」の資料を伯母さんと伯父さんに渡してから、私に向き直った。


「正式な相続は紫陽様が二十歳になってから。それまでは紫苑様が仮の管理者となります。その他の条件はこちらに」


 封書を目の前に差し出され、反射的に受け取る。上目づかいに安藤を窺うと、優しく微笑まれた。


「何よそれ。なんで電子書類じゃないのよ」

「もちろん電子書類の準備もございます。ユリ様は「防犯と余興を兼ねてるのよ」と仰いました」


 伯母さんは眉を寄せて大きく息を吐くと、渋々といった様子で肩をすくめた。


「お母様の懐古趣味も困ったものね。まあいいわ。小さな星だし、紫苑がもらっても、いつかはしはるちゃんにいくものだしね」


 自分たちがもらった星の方が価値があると判断したのか、伯母さんも伯父さんもそれ以上は突っ込みもなく、他の遺産の振り分けを再開し始めた。


「もちろん、相続しない、という選択もできますよ。安心してください。安藤がきちんとサポートしますので。ユリ様にもそう言いつかっております」


 安藤の変わらぬ微笑みは頼もしくもあり、不安でもあり……

 だって、安藤のサポートが必要ってことは、簡単な問題じゃないってことじゃない?

 封筒の中身を想像しきれずに、私は怖々とそれを見下ろした。





「紫陽様? どうかされましたか? 手続きは終わりましたが……」


 安藤の声に、つい数日前の白昼夢から我に返る。


「ううん……お婆ちゃん、画面の向こうでは生きて動いてるのに、もういないんだなって……」

「あぁ……」


 安藤も巨大な映像を見上げて、少しだけ目を細めた。


「そうですね……は忘れずに連れてきましたか?」


 黙って頷いて、内ポケットのあたりをポンポンと叩く。安藤も頷いて、私の荷物に手をかけた。


「では行きましょう」


 先を行く安藤に数歩遅れてついていく。祖母からの手紙と、彼女の骨のかけらを胸に抱いて――

 初めての、宇宙へと。




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