第8話 森の異変


 イゼルがレーティアと共に森に入る様になって、はや一か月。

 すっかり冒険者稼業に慣れてきたイゼル。今では多少の時間なら別行動をとっても良いと、レーティアから許可をもらえる程たくましく成長。

 等級こそ銅級カッパーのままだが、青銅級ブロンズと遜色ない実力を有していた。これはリリス発案の作戦による弊害なのだが、当の本人はまったくと言って良いほど気にしていない。

 上級冒険者に憧れのないイゼルにとって、等級など二の次だからだ。


 最初こそギルドでもオドオドと不慣れな様子を見せていたが、次第にそれも落ち着くと他所を見る余裕も出てくる。

 最近では名も知らぬ冒険者にも声をかけるようにし、無視されても根気よく挨拶を続けていると、僅かではあるが返事をしてくれる冒険者もちらほらと現れ出した。

 いずれレーティアを取り巻く誤解をとくための布石ではあるのだが、やはり返ってこなかった挨拶が返ってくるようになるというのは、どこか認めてもらえた気がして嬉しいのだろう。


 今日も出発前、ギルドで返事をしてくれるようになった冒険者たちと一言二言言葉を交わすことができた。それだけでイゼルの心は気力に満ち溢れ、午前中のレーティアとの訓練を終えて別れたあとも、少しでも稼ぐために1人森の中を駆けていた。


「昨日は1人で小魔鬼ゴブリンの討伐を達成できたけど、今日も油断せずに頑張ろう!」


 イゼルは昨日の探索では運が良いのか悪いのか、単体行動をしている小魔鬼ゴブリンに遭遇。レーティアとの訓練を思い出し、危なげなくこれを単独ソロ討伐することに成功。

 実力的には複数相手でも難なく相手取れるのだが、本人の自己評価が低すぎるが故に、単体相手でも倒しきったと確証を得るまで緊張の連続だった。

 レーティアとしては自己評価を改めてもらうためにも、そろそろオーク辺りと戦わせたいと考えているのだが、イゼルの前でボソッとその事を零してしまったがために警戒されている。


「ふむ。動きといい警戒の仕方といい、もう一端の冒険者だな。やはり、問題は自信か……」


 そう呟くのは、イゼルに見つからぬよう少し後方をつけるレーティアだった。

 からっとした性格からは想像もつかないが、彼女は意外と心配症な面がある。今も、万が一の不測の事態を想定してこっそりと見守っているのだ。

 本人に見つかればひどく咎められそうな過保護っぷりではあるが、そこは熟練の冒険者。そんなヘマをするはずもなく、一定の距離を空けて悟られぬように尾行するなどお手の物だった。

 

 そうして森の中を散策すること1時間ほど。


「ッ! アレは……」


 ピタリと足を止めると、木の陰に身を隠して先を確認するイゼル。その視線の先にいる魔物を見ると、嫌な記憶がまるで昨日の事のように鮮明に蘇る。豚鬼オークだ。


 ―今はレーティアさんもいない。あれはまだ、僕の手には余る獲物だし見つかる前に――。


 逃げよう、そう決めかけた時に気付いてしまう。豚鬼オークが手に持つ太い木――棍棒に、赤いがべったりと付着している事に。


 まさか、誰かが襲われた……?!

 思考が頭を過ぎった瞬間にイゼルの身体は勝手に動きだし、地面を強く蹴ると豚鬼オークへ向けて走り出していた。

 草木を乱暴に掻き分けながら、20Mほどの距離をあっという間に駆け抜け豚鬼オークの眼前に躍り出る。

 そこには、遠くからでは視認できなかった惨状が広がり、辺りにはひどく濃い血の臭いが漂っていた。

 イゼルは思わず胃からこみ上げたものを、口元に手を当ててかろうじて押さえこんだ。


「誰か、まだ息のある人は……」

 

 イゼルは豚鬼オークに注意しつつ、その背後に倒れている3人の冒険者へと視線を向ける。2人はうつ伏せで倒れていて、顔も常態も確認できない。が、1人――腹部を何度も執拗に殴打されたのであろうと容易に推測できる死体だけ、仰向けに転がっていた。

 その顔は最近挨拶をしてくれるようになり、「色々と危険も多いが諦めずに頑張れよ」と笑顔を向けてくれた先輩冒険者に他ならない。


 現実とは非情なものだ。冒険者を初めて一月目にして、顔見知りの死を間近で体験するなんて夢にも思っていなかったろう。

 イゼルは現実を受け入れきれず、豚鬼オークを前にして呆然と立ち尽くす。


「ブギイイイイイイイ!!」


 新たな獲物を見つけたと豚鬼オークが歓喜の声をあげて走り出すも、イゼルは未だ虚ろな目をしたまま動かない。ふりかぶられた棍棒が、動かぬ格好の的へと当たるかと思われた瞬間、豚鬼オークは攻撃の手を止めて勢いよく背後へと飛びずさる。


「これはまだちょっとイゼルには早かったな……」


 イゼルの背後から走りよってきたレーティアは、庇うようにイゼルの前へ割り込んだ。

 彼女は割り込む寸前、攻撃を防ぐのが間に合わないと判断して駆け寄りながらスキルを発動させようとしていたが、豚鬼オークが飛び退いたので発動を中止していた。


 こいつ、私がスキルを使おとしていることを察知したのか……? 普通のオークとは思えんな。

 心の中で豚鬼オークに対する警戒度を上げたレーティアは、油断なくいつでも反撃へと移れるよう刀へ手を置いたまま、イゼルを背後へと下がらせようとする。


「イゼル、今はまだ敵の前だ。戦えとは言わんから、後ろで自分の身を守れ。それくらいは出来るな?」


「……」


 動く気配も、返事もないイゼルに焦りを隠せないレーティア。豚鬼オークに意識を傾けたまま、発破をかけながら視線だけチラリとイゼルに移す。


「おい、イゼル! その程度の覚悟で森に入っていたの――」


 瞬間、豚鬼オークのことも忘れ身震いを起こし、そして即座に理解した。

 先程のオークの大げさとも言える後退は、自らのスキルを察知したための回避行動ではなく、イゼルの殺気に当てられた故のものだ、と。


「ブヒィィイイイイイイイイ!!!!」


 豚鬼オークの雄叫びに、レーティアがハッと我に返る。彼女にはこの雄叫びに聞き覚えがあった。

 これは豚鬼オークが瀕死の重症を負った際に助けを求める、いわば呼び声。よく響く声は、辺りにいる仲間を瞬く間に呼び寄せる。

 しかし、今は致命傷どころか大した傷すら負っていない。それはつまり、イゼルの殺気にそれだけ色濃く自身の死を予感し、本能的に助けを求めたということに他ならない。

 だが、今までそのような行動を起こす個体がいただろうか。


「くそっ、わけがわからん……!」


 イゼルの異常な殺気の正体も、不可解な豚鬼オークの雄叫びも、何もかもが初めてのことで理解が追いつかない。そしてそれ以上に彼女を困惑させたのは、あっという間に集まってきた5匹の豚鬼オークたち、その中に金属製の武器を持った個体がいた事だ。

 雄叫びを上げた豚鬼オークも合流すると、まるで訓練を受けているかのように慣れた動きで陣形を組む。


「なんでこんなところに豚鬼兵長オークコマンダーが……それも上位豚鬼ハイオークまでいるだと?!」


 上位豚鬼ハイオーク――それは外見こそ通常の豚鬼オークと大差ないように見えるが、中身は戦闘経験豊富な進化個体である上位の│豚鬼オーク。通常固体とは力も段違いだが、一番の違いは統率の取れた行動を取るという所にある。


 魔物は一定の戦闘経験を積むと、進化することがある。これは冒険者、もとい人間に対抗するためだと言われているが、真偽は定かではない。問題なのは、進化すると知性が上がり、連携の取れた行動を取れるようになるという部分だ。

 通常の豚鬼オークは各個で好き勝手暴れ回っているだけだからこそ、大した脅威ではないとされている。それでも一般人――戦闘系職業クラスを持たず、訓練も受けていない者にどうにかできるレベルではなく、駆け出しの冒険者見習いが冒険者と世間に認められる1つの壁とも言われている。

 そんな魔物が、集団で行動できるようになったらどうだろうか。

 答えは単純で、脅威度が格段に跳ね上がる、だ。

 そんな上位豚鬼ハイオークにも、強さに応じた階級が存在する。


 階級は大きく別けて2つ。

 上位豚鬼ハイオークが戦闘経験を重ね、人が持つ武器やそれに近しい得物を扱えるようになった個体は兵長コマンダー。戦闘に秀でた存在で、小さな集団の司令塔となる。

 その司令塔を纏め上げ、大きな集団の司令官となるのが将軍ジェネラルだ。


 人が魔物に抗える理由、それは偏に神からの恩恵である職業クラス技能スキル、そして武器と知性だ。だが、そのうちの1つ、武器を魔物が扱えたとしたら。知性までも人に近づいたとしたら。元々人間よりも優れた肉体を持つ魔物。その能力を以て、人と同じように武器を行使すれば――。

 冒険者にとって天敵となりうる、魔物の戦士が誕生する。


 コマンダー率いる少数部隊程度、今までのレーティア1人ならば問題ない相手だが、今は状況が違う。


「イゼルを守りながらだと……。せめて自分で動いてさえくれれば――」


 だが、魔物がそんな事情を考慮してくれるはずもない。イゼルを気にしている隙を突き、連携の取れた動きで襲い来る。

 レーティアは背後をとられぬよう立ち回るが、豚鬼兵長オークコマンダーの指示で動く彼らの動きは生半可ではない。

 オークコマンダーがレーティアと相対し、攻撃を一手に引き受ける。その間に、ハイオークたちが側面から遊撃を仕掛けてくるのだ。

 カウンター狙いでハイオークへ攻撃をしかけようとすれば、すぐさまオークコマンダーが急所を狙ってくる。逆もまた然り。

 避ければイゼルが直撃をもらうため、回避もままならない。防戦一方を強いられ、武器が破壊されぬよう一瞬たりとも気が抜けない彼女は、体力と気力ばかりを消耗させられるだけで状況は膠着。


「イゼル! おい、イゼルっ! どうしたと言うのだ! 返事をしろ!!」


 目線を敵から外す余裕がないレーティアは、必死にイゼルを呼ぶが反応は無い。にもかかわらず、色濃い殺気だけは放っているのでハイオークたちは執拗にイゼルを始末しようとする。


 守りに向かないレーティアの武器――刀は、攻撃に特化した業物と言える。薄く細い刀身は抜群の斬れ味を誇るが、代償に敵の攻撃を真正面から受け止める強度は無い。そのため、回避しつつ一撃必殺を狙う戦闘スタイルを主流としてきた彼女は、背後に誰かをかばいながら戦うということに慣れていない。

 このままでは埒が明かないことは本人が一番理解していたため、彼女は何かないかと考える。この状況を打破できる可能性を。そうして思い浮かんだ方法は2つ。


 1つはイゼルを背後へと蹴り飛ばし、一瞬だけ出来る守りを放棄できる瞬間、そこで一気に片を付ける。

 もう1つは、危険を覚悟で技能スキルを放つ。


 だが、どちらも失敗すれば死に直結する諸刃の剣。自分の命だけならまだしも、イゼルの命まで賭けることが彼女を躊躇わせる。そして戦場での迷いは、そのまま危機ピンチへと直結するもの。


「なっ?! イゼル!!」


 前触れなくハイオークたちの動きがガラリと変わり、豚鬼兵長オークコマンダーとハイオーク3匹から挟撃を受けたレーティアは一瞬動きを止められる。

 そこへすかさず残り2匹のハイオークが近づき、イゼルをさらったのだ。


「邪魔だ、どけぇ!!」


 取り巻きを一刀の下切り捨てようと技能スキルを発動しようとしたレーティアだったが、豚鬼兵長オークコマンダーの合図で一斉に距離を取られてそれも叶わない。

 少し離れた場所で再び集合すると、まるで人質だと言わんばかりにイゼルを取り囲むよう円陣を組んでレーティアを睨みつける豚鬼兵長オークコマンダー

 その口元には僅かに笑みが浮かんでおり、勝利を確信しているのが見て取れた。


「くそ、どうしたら……!」


 どれだけ早く踏み込もうとも、イゼルがいる以上技能スキルでまとめて両断するわけにもいかない。かといって、イゼルに傷をつけずに豚鬼兵長オークコマンダーたちだけを切り捨てる策も、技能スキルもレーティアには無い。

 まさに打つ手なしの詰み、王手をかけられた瞬間だった―――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る