第7話 黒歴史


 ――くそっ。本当に過去のオレっちはなんであんなアホな真似をしちまったんだ!


 男は背後について来る三人に気付かれぬよう、内心で悪態をつく。

 男の名はジレグート。彼の言う、過去の自分の失態。それは遡ること一年ほど前のことだった。



 他所からビートダッシュの町に流れてきたジレグートは、着いて早々に家と工房を兼ねた物件を購入し行動を起こす。自信満々に、自らが鍛えた武器や防具を店に置いてもらえるよう売り込みに行ったのだ。

 結果から言えば全滅。どこに行っても同じ事を言われるだけ。皆一様に、口を揃えて「売り物にならない」と言うのだ。理解できないジレグートは、怒りをぶつけるように真昼間から勢いよくヤケ酒を煽る。


「ちきしょうめ。どいつもこいつもオレっちの腕を妬みやがって。いいさいいさ、すぐに客を全部奪ってあっと言わせてやらぁ!」


 威勢よく息巻いていたのも最初だけで、2日経っても3日経っても、1週間経ってもその言葉が現実になることはなかった。初日に数本剣が売れただけで、そこからはひたすら閑古鳥が鳴き続ける。仕舞いには鍛治師として致命的なレッテルまで貼られる始末。その名も『所有者殺しホルダーキラー』。

 唯一売れた数本の剣の所有者が、皆揃って依頼中に死亡。仲間が形見として引き継いだり、売りに出されたりした剣を買った者達も揃って死んでゆく。


 それほど大きくない町。噂が広まりきるまで、そう時間はかからなかった。

 そんな不吉な噂が広まれば、験を担ぐ者も多い冒険者だ。当然、装備を買いに来る者も現れるはずがない。当初あった自信は粉々に砕け散ったのだ。

 早々にアレッサスを出れば、傷はまだ浅かったかもしれない。しかし、彼の職人としての矜持がそれを拒んだ。なんとしてでも、いつかこの町のやつらを見返してやれ、そう囁くのだ。


 細々とした生活を続けながら、ヤケ酒に溺れる日々。

 その日もいつもと同じように、朝から酒を飲んで町をうろついていた。そこへ現れた、誰もが振り向くような絶世の美女。しかも二人組みで、どちらも負けず劣らずの美貌ときた。酔っていたジレグートの心を動かすのは、赤子をひねるより容易い事だったろう。


「おう、姉ちゃん達。良かったらオレっちにお酌してくれよ~~」


 ふらふらとした足取りで近づくと、あろうことか二人の腰にしがみつくように抱きつき、酒臭い息で言い放つジレグート。

 女達は呆れたように首を振ると、1人が首根っこを掴んでひょいと道端に放り投げる。そこで諦めればいいものを、ジレグートはよりにもよって再度のアタックを試みる。無視して歩いて行く二人に背後から抱きつき、胸に手を伸ばしたのだ。


「いきなりひでぇじゃねぇか。これは詫びだと思って――」


 胸まであと僅か。しめしめと思いながら喋っていたジレグートは、なぜか天地がひっくり返っていることに気付く。だが時既に遅く、酔っ払っている彼には受身も取れない。そのまま地面に落ちると、グエッと蛙が潰されたような声を上げて失神。だらしのない姿を周囲にさらけ出した。


「……死んだ?」


「いや、気を失っているだけのようだ。こんなあからさまな下種には初めて出会ったものだから、つい放り投げてしまったが……まぁ私たちに責はない。介抱してやる義理もないし、放っておこう」


 それがレーティアとリリス、そしてジレグートの出会いだった。

 そして、彼が犯してしまった罪。黒歴史でもある。

 以来、二人のジレグートへの扱いは女の敵に向けるソレ。

 本来ならば、加害者と被害者。両者の関係はそこで終わるはずだったが、被害者にとって最大の誤算は、よりにもよってジレグートがビートダッシュにおいて唯一、レーティアの武器である刀の調整、および整備のできる稀有な職人であったことだろう――。



 工房の一角に椅子を並べ、座る四人。席についてもどこか虚ろなジレグートを、レーティアが鋭く睨む。


「おい、どうせ心の中で過去を悔やんでいるんだろ? 下らないことを考えていないで本題に入れ」


「……悩んだところで、黒歴史が消えることはない」


 事情を知らないイゼルは、先ほどから辛辣な態度を取るレーティアとリリスに怯えの色を隠せないでいた。それを珍しく敏感に察知したレーティアは、イゼルにぼそりと耳打ちする。


『こいつは初対面の私たちに抱きついた挙句、胸を揉もうとしたクズなんだ』


 瞬間、イゼルがジレグートに向ける視線も冷ややかなものになったのは言うまでも無い。

 ついに少年までもが女性二人と同じ目をするようになったことに、焦りを隠せないジレグート。


「そ、それで? この坊主に装備を一式って話だったが、なぜこいつをここまで推す?なにか理由があるんだよな?」


 なんとか意識を逸らすべく、流れを変えようと話題を切り出した。


「そう聞かれると、明確な答えはないのだがな。だが、私の直感が告げている。イゼルは逸材だ、と」


「おいおい、そんな適当な……」


 思いがけないレーティアの発言に、ジレグートは呆れた表情を浮かべる。

 そこへ助け舟を出すように、リリスが言葉を発した。


「……考えても見て。まだ無名の新人が、どこぞの誰が鍛えたかもわからない装備を着けて活躍したら、って。必然的に装備にも注目が集まる。十二分に賭けてみる価値があると思わない?」


「まぁ確かにそりゃそうだが、ようはアレか? オレっちにその直感とやらを信じて、どこの誰とも知らん坊主に無けなしの財産で掛け金を積めって言ってんのか?」


 リリスはその言葉に、静かに頷いた。


「なに、それだけだとさすがに可愛そうだとは思うからな。もう1つ、テーブルに乗せてやる。イゼルが鉄級アイアンに昇格した段階で、お前の欠点を教えてやる。それと、ついでに汚名を払拭する手伝いをしてやろう」


「……なに? オレっちの欠点を、職人でもねぇおめえさんがわかるってーのか?」


「ああ。間違いないと断言できる」


 目をそらすことなく真剣な表情でそう告げるレーティアを見て、ジレグートは腕を組んで目を閉じると思考の海に身を投げる。果たしてこの女の言っていることは信じるに値するのかどうか、その答えを求めて。

 しばしの沈黙の後、思考から浮上したジレグートはイゼルを見据えると、口を開く。


「……オレっちに失うもんは最早何もねぇと言っても過言じゃねぇ。そんならここらでいっちょ、一世一代の大博打に出るのも悪かねぇかもしれねぇな」


 少し恥ずかしそうにはにかむと、立ち上がって工房内を漁り始める。

 やがてお眼鏡にかなうものが見つかったのか、いくつかの装備を持って戻ってきた。


「坊主はまだ身体ができてねぇ。だからある程度の防御力を残しつつ、負担にならねぇここいらが適当だろう」


 長らく使われた痕跡がないにも関わらず、丁寧に手入れされた作業台に選んできた防具を並べるジレグート。

 それらは軽鎧に分類される防具で、胸部から腹部にかけてと背部、肩の部分にのみ金属を用い、残りの場所を魔物の皮などを使って軽量化を計った上半身鎧。皮製の指ぬき加工された肘までを覆う篭手。腰周りの最低限にだけ金属を用い、残りが皮でカバーされた下半身鎧。足の甲と脛部分が金属で覆われた皮製のブーツ。

 そして一振りの片手剣。この5点がイゼルに用意された装備だった。


「頭部は着け慣れないとかえって危ねぇ。ひとまずは着けない方向で、どうしても必要なら考えればいいだろう。あとはサイズだな。調整が必要ならちゃちゃっとしちまうから、試しに一度着けてみてくれ」


 レーティアに手伝ってもらいながらイゼルが試着してみると、まるで最初から彼のためにあつらえられたかのように、ピッタリと身体に馴染む。この偶然に、思わず噴出すジレグート。


「……最初から少年のために作られたみたい」


「オレっちもそう思っちまったぜ。こいつはひらめきだけで作ったものだったんだがな。それも、一年も前に、だ。まるで最初からこうなることが決まっていたみたいじゃねぇか」


 リリスの呟きに同意すると、偶然ではなく運命――否、天命すら感じるジレグート。


「ますます私の直感に信憑性が出てきたな。こうしてはおれん、鍛えにいくぞイゼルっ!」


 興奮した様子で、レーティアはイゼルの腕を掴むと笑顔で工房を飛び出していってしまう。


「……あんなにはしゃぐレーティア、初めて見た」


「オレっちも、あんな無邪気に笑う嬢ちゃんは初めてだな。……運命の女神さんも、たまにゃ良いことしてくれるじゃねぇか――」




 ジレグートの工房を飛び出した二人は、町を出て森へと足を踏み入れていた。

 まさかこんなに突然、再び森へ戻ってくることになろうとは思ってもみなかったイゼルは、緊張で身を萎縮。木の根につまづき転びそうになるほど、激しく動揺していた。


「なに、そんなに身体を強張らせる必要は無い。今日は冒険者としての基礎知識と、森の歩き方を教えるだけだからな」


 緊張をほぐすように今日の予定を伝えると、森の奥を指差すレーティア。


「目を閉じて五感を研ぎ澄ませて見ろ。あっちのほうから、何か感じるはずだ」


 イゼルは言われた通りに神経を集中すると、指差された方角から僅かな金属音と掛け声のようなものが聞こえて来ることに気付く。


「これは、誰かが戦ってる……?」


「正解だ。この辺りは町に近い分、イゼルと同じような登録したての新人なんかが多くいる。みんなお前と同じ、森に慣れていないものたちだ。そう考えると、不安も少し和らぐだろう?」


 イゼルは漠然と1人じゃないんだと感じた。すると、先ほどまであった焦燥感にも似た緊張が驚くほどスッと消えていくことを自覚。

 誰もが最初は新人で、魔物を恐れ、死の恐怖と戦って成長していくのだと理解できたのだ。


「……僕は強くなりたいです。必ず強くなってみせます。レーティアさんのように、困った人に手を差し伸べられる、勇気付けられる、そんな人に」


「ならまずは、私に追いつかないとな。当然、私とてそんなに簡単に追いつかせるつもりはないがな」


 そう言って微笑むと、再び歩き出す。

 無言でその背中を見つめると、決意を改めて自分の心に誓い、拳を握るイゼル。

 こうして、彼の長い冒険者生活は幕を開けた―――。

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