3 馬車


 まさかここで自分に火の粉がかかるとは露とも考えていなかった杏は目眩がしたように足元がふらつく感覚を覚える。


「幽霊退治?」


 杏の変わりに口を開いたのはヨアンだ。

 眉間にはグッとシワがよっている。ヨアンは杏の贔屓目なしに見ても端正な顔立ちをしている。鼻筋はしっかり通って、細められた瞳は切れ長で鋭い。しかし、表情筋は固いようで、大きく表情を変えることはあまりなかった。

 そんなものだから、そうして眉間にしわをよせられると、まるで睨まれているような気分になってしまう。


「いや、聞けばそのメイドは異国生まれなんだろう」


 ヨアンの視線から逃げるように杏へ話を振る。

 杏はエプロンの裾を握って小さく頷いた。


「なんでも日本ジャポネの娘らしいじゃないか。日本ジャポネでは昔からそういう事柄に詳しいって聞いたことがある」

「それでうちの使用人に幽霊騒ぎをどうにかしろというのか……」


 ヨアンは深いため息をつく。


「それに、その騒ぎのせいで仕事が手につかないんだよ。そっち方面に使いを頼むと皆嫌がるしさ」


 ブルースは頭をかきながら苦笑いをした。

 どうやら本音はそこのようだ。ヨアンはもう一度大きくため息をついてから「……見に行くだけだぞ」と小さく呟いた。ヨアンにもそれは心当たりがあるらしい。


「君もいいな?」


 旦那様の言葉に杏は「かしこまりました」としか返すことはできなかった。



 早速、三人は噂の教会へ足を運んでいた。

 ガタガタと馬車が揺れ、それに合わせて三人の肩も揺れる。簡易的な窓から空気が入って、こもった空気を入れ替える。

 杏は息が詰まりそうなのを、景色を見て紛らわすことにした。辺りは陽が落ち始め、オレンジ色が街を染めている。


「そういえば、君は街に出たことはなかったな」


 不意にヨアンが話しかける。

 ハッとして顔をそちらへ向けて小さく返事をした。

 杏はヨアンが日本は仕事に出たときに引き取った娘である。身寄りがない孤児が集められた寺で、一人離れた場所でポツンと膝を抱えていたのが妙に気にかかったのだと、後に彼は言っていた。

 彼女を連れ帰り使用人として雇った今、シノワズリな屋敷に日本のメイドとは、これもまた一興かと口許が緩んだ。高祖父ほどでは無いが、ヨアンも異国趣味であった。


 言葉や作法を教えるのは骨が折れるかと思いきや、存外器量が良いらしい。周りが驚くスピードで言葉を吸収していった。

 今では、英語は難なく話せるようになり簡単な言葉であれば読み書きもできるようになっていた。(生まれが違えばきっと良いお嬢さんになっただろう)とヨアンは常々考えていた。


「日本の幽霊ってどんな感じ?」


 ブルースが杏に目線を合わせて、質問を投げかける。杏は少し身じろいでから、考え込むように口元に手を当てた。


「こちらとは変わりないと思いますけど……死んでしまった、この世に未練を残した魂が幽霊として現れる……と聞いたことがあります」

「オニもそんな感じなの?」

「オニ――鬼は違います。幽霊ではなく妖怪ですね。こちらでいう妖精とか吸血鬼とか、そういった類です」

「へぇ……」


 杏の説明にブルースは意外と興味ありげな態度を見せる。他には何があるんだ――と口を開いたとき、馬車が大きく揺れた。目的地についたのだ。


「ほら、行くぞ」


 ヨアンを先導に教会へ足を進める。

 教会へ続く道は狭く、馬車が通る幅ではない。だから教会へ向かうときは少し手前で降ろされるのだ。

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