アプリコットは見ている
もずく
1 杏
シノワズリ調の屋敷の奥深く、
この屋敷を建てたのは、当主のヨアン・アンダーソンの高祖父だった。高祖父は異国趣味で、今ほど中国趣味が盛んではない時分に、職人に無理をいって建設させたのがこの屋敷である。
誰も手をつけないような劣悪な土地を買い取ったかと思えば、さながら中国の宮廷と見紛うような外観の屋敷が建てられたのである。
当初は別荘として使われていたのだが、高祖父の死後、こちらを本邸とするようになった。中国風なエッセンスがふんだんに散りばめられた屋敷は杏にとって慣れない様式ではあるが、今ではすっかり慣れてしまっている。
(今日の昼食はなんだろうか)
杏は寝癖のつきやすい自身の髪を櫛でとかしながら身だしなみを整える。
杏は異国の生まれであった。
ピアノの黒鍵のような黒髪に、焦げ茶の瞳。肩で揃えられた、太くてコシのある髪はあっちこっちに跳ねている。年齢よりも幼く見える顔立ちに、女中の制服――濃紺のエプロンドレスはいっそう子供らしく思わせた。
「今日は午後からお客様が来られるから、掃除はしっかりね」
固くなったパンを口に運びながら、杏はメイド長の言葉に耳を傾けている。使用人のために用意された別室で彼女らは朝食をいただいていた。
「ブルース卿……が来るらしいよ。あの人も物好きよね」
杏に耳打ちをするのは、そばかすが可愛らしい三つ編みの少女リリアンだ。すらっと伸びた背は女にしては高く、二人で並んでいると姉妹にしか見えない――とよく言われている。
リリアンは杏の数ヶ月前に入った女中だ。
杏とは歳が近いこともあり、世話係に任命されてから良くしてくれている。
朝食を終えた彼女らは各々持ち場へ向かう。
杏も仕事をするべく、洗濯場へ足を進めた。
彼女の仕事は主人や使用人の服、シーツなどのリネンを洗うことから始まる。もちろん、一人でできる量ではないので、何人かと手分けをして取りかかる。
その際、自分たちのものと主人のものが混ざらないように分けることも忘れない。
「杏は小さいのにがんばるよね」
屋敷の裏側には石畳の水場がある。
大きな洗濯カゴにベッドシーツやカバーを詰めてリリアンは言った。それらを水に浸して洗いながら「冷たい!」と不満をもらす。
「小さいって……リリアンと歳は変わらない」
「そうかもしれないけど」
杏も隣に並んで洗濯を始める。
リリアンの言いたいことはよくわかる。同い年とはいえ、自分より背丈の小さな、その上異国生まれだからであろう幼い顔つき。年下の、まるで妹や娘のように接するのはリリアンばかりではなかった。
よく冷えた水があかぎれだらけの手にしみて、思わず顔をしかめる。このピリッとした痛みにはいつまでも慣れないな――と杏はため息を吐く。
洗い終えた洗濯物はカゴに戻してそばの建物へ運ぶ。そして、また別の洗い物に取りかかる。その間に他の使用人がそれらを日に当てて乾燥させる。それを何度か繰り返して、ようやく朝の仕事が終わる。
それから、メイド長が用意した昼食をいただいて、午後の仕事を始める。
杏は昼食を口に詰め込んで皿をさげる。
エプロンに落ちたカスを払って、次の持ち場へ行こうと急ぐ杏をメイド長が引き止めた。
「旦那様がお呼びよ。すぐに向かってちょうだい」
「は、はい!」
「それと――ご飯はしっかり噛んで食べること。いいわね?」
「は、はぁい」
メイド長にはなんでもお見通しのようで、拭ききれていない口端の食べカスを拭うとピッと指をさす。子供に言い聞かせるような声音に、杏は目をそらして返事をした。
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