EXTRA GAME
蕎麦食いねぇ
「ねぇアラン。私、お蕎麦が食べたいわ」
「……は?」
次期王妃となったリーゼロッテが、ベンチプレスの最中に突然呟いた一言。
どうしてこのタイミングでその言葉が出てきたのかはさておき。
蕎麦が食いたいなどと言う令嬢は、このお嬢様くらいのものだろう。
……別な食べ物と間違えていないか、俺は念のために確認してみることにした。
「蕎麦って、アレか。牛とか馬が食う、山に生えてるやつ」
「ソバの実をそのまま食べたいわけじゃないの。私は手打ち蕎麦を食べたいのよ」
手打ち蕎麦。そう聞いて現代知識の方を思い浮かべてみると――麺類のようだ。
なるほど、蕎麦を粉にしたり大量の水で洗ったりして、パスタ状にした食べ物は確かにあるらしい。
だが、ソバとは荒地でも育つ代わりに酷くマズい。手をつけるのは、他に食べるものが一切なくなった時の最終手段である。
災害で食糧難でも起きない限り、家畜の飼料としてしか見られていない穀物だ。
「あんなものを食う気かよ」
「あんなものって何よ。おいしいのよ、お蕎麦」
知識はあくまで知識なので、パスタ状にした蕎麦がどんな味かは知らないが。
スラムで過ごした少年時代のこと。空腹に耐えかねて、一度だけ試したことがある俺としては。あんなものは人間が食うものではないと思っている。
味が無いどころかエグみがあり、食感だってお世辞にもいいとは言えないからだ。
「……まあ、一応用意してみるけど。あまり期待はするなよ? 多分そのオイシイって感想には、前世の食べ物が懐かしいって補正が入ってる」
「ふっふっふ、そんなことを言っていられるのも今のうちなんだから。私、蕎麦打ちには自信があるのよ」
ソバを熱心に調理する公爵家令嬢の姿などが目撃されれば、恐らくエドワードさんは倒れるだろう。
執事長の身の安全のためにも、その光景を見せることは避けなければいけない。
「じゃあ裏門の方から直接材料を搬入するとして……トレーニングルームのキッチンで作るか」
「ここの設備なら十分ね。いつ頃届きそうかしら?」
「そうだな。どこかの商店には置いてあるだろうし、まあ今日の夕方には」
俺が公爵家に拾われるきっかけになった、孤児を教育して社会復帰させる
今年入ってきた後輩の使い走りにはちょうどいい難易度かと思いつつ、誰を行かせるか思案してみたのだが。
「ふふふ、アランもお蕎麦の
と、自信満々なリーゼロッテの姿を見て、俺は大いに不安を抱くのだった。
「で、これが完成品か」
「そうよ。麺つゆが無いから魚醤油とかで適当に代用してみたけど、見た目はこんなものでしょう」
頭に三角巾を巻いたリーゼロッテが作業を終えれば、そこには蕎麦があった。
白磁の皿に載った蕎麦というのはどことなくシュールな絵だが、調理器具から食器から全て代用品なので、これは仕方ないだろう。
ともあれ。当家のお嬢様は自信満々に、それを目の前に差し出してきた。
「さ、おあがりよ」
ドヤ顔でそんなことを言うご令嬢は本当にどうかと思うのだが。まあ、そこまで自信があるならそれなりに美味いのだろうし、たまには変わった食事もいいだろう。
公爵家のシェフが作る夕食を断ってまで用意したのだから、さぞや美味いのだろうなと思い。
俺は箸を使って蕎麦を摘まみ、
が、しかし。
「うっ!?」
「ね? おいしいで――」
「げぇぇぇ!? げほっ、ま、マズっ!?」
蕎麦が持つエグみと魚醬の魚臭さが絶妙にマッチして、とんでもない風味が生まれていた。
なんだこれは。リーゼロッテはこんな物体をありがたがっていたのか。
うちのお嬢様の味覚はどうなっているんだと驚愕しつつ、コップに注いであった水を一気飲みだ。
クソマズい麺を流し込んだ俺を見て、リーゼロッテは怒っていた。
「失礼ね! こんな美女の手作り料理にそんなリアクションを取るだなんて、アランにはデリカシーってものがないのかしら!」
「それは、俺が、お前に仕込もうとして。もう断念した概念なんだが」
「ふんだ。こんな美味しいものの味が分からないとは、残念な舌ね――?」
怒りつつ、己が作った料理を口に運んだリーゼロッテは。
料理を口に含んだ次の瞬間から、ブルブルと震え始めた。
「な、震えるほどマズいだろ?」
「おいひいわ」
「
「お、おい、お、おお」
壊れたブリキ細工のようなぎこちない動きで、ギリギリと全身を動かしつつ。涙目になったリーゼロッテは、手にしていた箸を置いた。
どうやら最初の一口でギブアップらしい。
まず、どうして味見しなかったのかと問い詰めたいところではあるが。
しっかりと罰は受けたようなので、そこはもういい。
「吐くなよ。責任持って食え」
「お、おお、お、んぐっ。…………た、食べたわ!」
「一口食べ切っただけで達成感を感じるほどマズい飯だって、そろそろ認めてもいいんじゃねぇかな?」
「うぐっ……ぐぬぬ、違うのよ。これは蕎麦じゃないわ。出来損ないよ」
それはそうだろう。生産者の方だって、牛や馬が食べることを想定して栽培していたはずだ。
丹精込めて作った飼料を、人間が食べるなどとは夢にも思わなかっただろう。
「明日またここに来てちょうだい。本物の蕎麦をお見せするわ」
「明日もやる気か……」
というか毎日ここに来ているので、改めて来いと言われるまでもないのだが。
満足する出来のものが完成するまでこの苦行を続ける気なのだろうか。
それは避けたいと思い頭を回してみれば、色々と足りないものに気づいた。
「なあリーゼロッテ」
「何よアラン」
「人が食べる蕎麦ってのは、品種改良されたソバの実を使うんじゃねぇのか?」
「あ」
何となく知識を引っ張り出せば。
野生のものでも食えるが、味は落ちる。という至極当たり前の情報が出てきた。
米だって麦だって品種改良を百年単位で繰り返して味を良くしてきたのだから、何も改良していない素材を使った蕎麦がマズいのは当然だ。
今は味や品質を気にせず、とにかく沢山の実が成るくらいしか改良されていないと思うので。
まあ、どこの店を探しても同じような品質のものしかないだろう。
「あと、麺つゆってダシとか要るだろ。鰹節でも昆布でもいいけど」
「……魚醬だって魚
「ベースが醤油で、そこに魚の風味を加えるだけだろうが。これじゃ生臭いんだよ」
醤油の代用品としてなら魚醬でもギリギリなんとかなっただろうが、麺つゆは流石に守備範囲外だと思う。
醤油は当然のこと、大豆から作る。ベースが豆なのだ。
醤油に鰹節などを投入して、少し甘味があるつゆを作っていくのが本来のやり方であり。
魚醤油を直接使うというショートカットを試みた結果、生臭さが際立っている。
「でもアラン、この国にお醤油なんて無いわよね?」
「見たことはないな」
「原作が中世ヨーロッパ風だから……ちくしょう!」
心の底から嘆いているようだが、まあ俺たちがいる世界の原型からして、醤油の登場シーンなどないだろう。
中世ヨーロッパ風恋愛シミュレーションゲームの中に、焼き魚と醤油など存在するわけがないのだから。
「うう、お蕎麦……おいしい、お蕎麦が、食べたかったのに」
がっくりと項垂れたリーゼロッテは、完全敗北といった風情で床に両手をついていた。
ショックを受けているのは分かるが、まずはお行儀の悪さを指摘しようかな。
と、そんなことを思っていれば、今度は笑い始めた。
「いや、まだ諦めるのは早いわ。く、くふふ。そうよ、こうして文明は発展していくものなのよ」
「……何言ってんだ?」
「美味しいお蕎麦が無ければ、作ればいいじゃない! 材料から!」
リーゼロッテが居たという世界には、「パンが無ければブリオッシュを食べれば」という発言が歪曲されて、処刑された王妃様がいたはずなのだが。
彼女が本当に悪意で発言したとして、「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない――材料から作らせなさい」とは言わないだろうな。
そんなどうでもいい感想はさておき、手順を思い浮かべれば意外と煩雑そうだ。
「つまりは、アレか。ソバの実を品種改良しつつ、醤油を作りつつ、できあがった醤油をベースにして麺つゆを作れと」
「薬味だって足りないわ。わさびとネギも必要だし……この際、折角だから専用の食器も作りましょう。究極のざるそばを作るのよ! アラン!」
どうやら情熱が、変な方向に飛び火してしまったようだ。
しかし。
さてどうやって軌道修正を図ろうかと――そこまで考えて気づく。
これ、もしかして丸投げされていないか、と。
公爵夫妻もそうだが。高位貴族の生活に慣れきっているリーゼロッテもまた、面倒なことは使用人に何とかしてもらうスタイルが身についてきている。
身分的にも常識的にもそれで正しいのだが。
まさか品種改良から何から全て俺にやらせる気なのだろうか。
「おい。俺も子爵として色々やったり、商会を動かしたり、仕事は他にもあるんだが」
「それこそアランの部下を使えばいいじゃない。それに私だってやることがあるわ」
「筋トレ以外で?」
王妃になる以上、格闘技の練習よりも王妃教育の時間が増えていたはずなのだが。
淑女への道はまだまだ遠いらしく、彼女は人差し指をビシっと俺に突き付けて言う。
「私は蕎麦打ちの練習をするの! アランが最高の材料を仕入れてくると信じて!」
「あー…………そうか」
というわけで毎回恒例、無茶振りのお時間がやってきたようです。
本日、執事の俺に課せられた使命は、「美味しい蕎麦を作るための材料調達」ということになったのだが。
ソバ=マズいもの。
そんな図式が成り立つ世の中で、達成可能な目標なのだろうか。
トンチのような課題に頭を悩ませつつ、この日はお開きとなった。
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