第五十一話 またお前か



 俺の嘆きをよそに、そのまま五分ほどが経過した。

 メリルの体勢は変わらず、寝顔を凝視してはぁはぁ言っている。

 何も知らない人が見たら通報されるくらいには不審だ。



 そして、更に十分ほどが経過した。

 俺は中腰でいるのが辛くなってきたので、地べたに胡坐をかいている。

 が、メリルは涎でも垂らしそうなくらいに、だらしがない顔でクリスをじっと見つめている。



 …………かれこれ二十分ほど経った。

 

 メリルは飽きないのだろうか?

 ……読唇術。



『はぁ……イケメンの寝顔って尊い。無限に見ていられる……』



 やかましいわ。さっさとイベント起こせよ。

 ほら、さっさとクリスを起こせよ!


 俺がそう思っていたところで、規則的な寝息を立てていたクリスが身じろぎをした。そろそろ起きそうだ。

 

 一方メリルは慌てて前髪をかき上げて、一瞬でヒロインの顔・・・・・・になった。

 純朴で穢れを知らなさそうな、無邪気で好奇心旺盛な乙女の顔だ。


 この間約二秒、驚くべき身代わりの早さである。

 ここまでくると、むしろ感心する。


 ……ともあれ、どうにかクリスが起きる前にメリルもスタンバイができたようで、いよいよ彼との出会いイベントが始まる。

 俺としては波乱の幕開けだったが、イベントシーンはここからだ。

 数秒前までの残念な顔はクリスに見られていないのだから、これから先が「原作」通りであれば何も問題は無いだろう。



「ん、うう……ん?」

「あ、ごめんね。起こしちゃった?」

「きみは……だれだ?」

「私はメリルって言うの。貴方は?」

「俺は、クリストフ。クラスメイトからは、クリスと呼ばれている」



 クリスは伸びをしてから、もう一度メリルの顔を見る。

 そして、その視線がふと下の方を向き――メリルの首元で止まった。



「ん? ……面白いもの持っているな」

「えっ? 何のこと?」

「それだよそれ、胸元のペンダント。何か特別な魔法がかかっているみたいだ。……研究してみたい。良ければ買い取らせてくれないか?」



 クリスルートに入るならば、『実はこれ、お母さんからもらった大切なペンダントなの』という選択肢を選んで好感度を稼ぐはずだ。

 現状維持なら『うーん……』から始まり、好感度を下げるには『いいよ! 売ってあげる!』を選ぶことになる。


 わざわざ好感度を下げるメリットがあるのか?

 あるんだな、これが。


 複数のキャラの好感度を上げると、攻略対象の好感度パラメータに「爆弾」というものが付きやすくなる。

 デートに誘ったり、特定のイベントを起こしたりして処理をしないと、攻略対象全員の好感度が低下してしまう厄介な代物だ。

 要するに、思わせぶりな態度を取ってきたくせに、色んな男に手を出すことで攻略対象たちのヤキモチが溜まり、そのうち爆発して評判が下がるという仕組みだ。


 ラルフは圧倒的に好感度が稼ぎやすく、攻略していなくても勝手に好感度が上がるから爆弾が付きやすいわ、そのくせ色んなキャラと親しいから、無下に扱うと後半のイベントで不利益を被るわで散々なのだが。

 ラルフが脱落した以上、ハルとクリスの両方を天秤にかけていくのが容易になったとも言える。



 クリスの場合は月曜日と水曜日は「研究で忙しい」とデートを断られるが、デートに誘った時点で爆弾は消滅する。

 ハルは火曜日、水曜日、金曜日に「公務があるから」とデートを断るのだったか。

 

 重要なフラグが立つイベントの前や、好感度の上昇が大きいイベントを控えているときに他のキャラから爆弾が付いたとして。どちらかの予定がある日を選んでデートに誘えば予定を空けたまま処理できるのだから、問題は起きない。


 現状ハルからデートそのものを断られているが、同時に攻略を目指すとしても、二、三人なら対処は可能だろう。

 特にクリスはハルの予定と曜日が被っていないので、完全な二股が可能だ。

 ……第一王子と伯爵家令息を二股にかけるなど、普通は死罪一直線だと思うのだが。クロスが管理している以上、メリルが処刑されるようなことはないはずだ。

 

 まあ、つまり。クリスを本命にシフトチェンジするか、ハルの攻略を諦めてラルフと俺以外の攻略対象から一人や二人選んでほしいところではある。



 さあ、そして気になるメリルの返答だが。 




「実はこれ、お母さんからもらった大切なペンダントなの」




 クリスの好感度を稼ぐ道を選択。


 刹那。よっしゃあ! いいぞ! と、俺は両腕を高く掲げ、渾身のガッツポーズを決めた。


 これでひとまず、ハルへの脅威度は下がる。

 クリスを選ぶのなら、公爵家一同全力で応援するぞ! やっちまえ! メリル!!


 と、俺は全力で喜んでいたのも束の間。

 クリスの返答は予想外のものだった。



「そうなのか……そんな大切なものを研究に使うのは気が引けるな。……今のは忘れてくれ。不躾なことを言ってすまない」

「えっ」

「えっ」



 は?



 いやいやいや、クリス。お前ここは『そうなのか……残念だな』って言うところだろう?

 それでメリルが『あの、良かったら一緒に調べてみない? 売ったり渡したりはできないけど、お母さんのペンダントに秘密があるなら、私も知りたいの!』と、返すところのはずだ。


 クリスが研究を断念するなんてあり得るのだろうか?

 単純な言い回しの違いか?



「あっ……あの! 良かったら一緒に調べてみない? 売ったり渡したりはできないけど、お母さんのペンダントに秘密があるなら、私も知りたいの!」



 尚も原作通りに食い下がるメリル。

 だがしかし。クリスの反応は芳しくない。



「魅力的な提案だが……生憎と忙しい身でね。俺一人なら空いた時間に調べられるが、今はまとまった時間がないから、共同研究はな……」

「えっ? あ、うん。そうなんだ。あ、あーどうしよっかなー」



 どうなっていると言うのだろう。「原作」とはまるで展開が違うのだが、また何かイレギュラーか?


 俺よりも、クリスの前に立っているメリルの方が焦っているようだ。

 右手がせわしなく動き……クリスから見えない角度で、俺に向けてハンドサインを送ってきている。「何とかしろ」ということだろう。


 ……そうだな、ここは俺の出番だ。


 例えばメリルと話を付けたときのことだが。俺たちが会話をしていた場所は旧校舎の階段だ。

 本編では描写されるはずもない場所だから、あの一幕は無かった・・・・ことになっている。

 少なくとも「原作」で描写される範囲では。


 そうだ、「原作」の範囲外なら何をしてもいいのだ。

 名前は明かさず、モブキャラという体でいこう。俺は通りすがりの学生Aだ。


 クリスの予定が押しているというのなら、魔法研究棟の研究員Aになって、手助けをしてもいい。

 俺とて攻略対象だけあってか各種の魔法適正はトップクラスに高いのだから、研究の手助けはできるはずだ。

 

 「原作」の俺は珍奇なアイテムを仕入れてヒロインに売りつけるという商売をしていたのだから、勉強すればアイテム関連も何とかできるだろう。



 問題はこの場でどうフォローするかだが。

 目立たず、二人の邪魔もせず、それでいてクリスのルートへ進ませる方法。 

 ……そんなものあるのだろうか? 咄嗟にいい考えが浮かばない。


 だが、これは千載一遇のチャンスだ。

 多少の無理が出たとしても、ここは進むべきところだろう。


 出たとこ勝負だ。

 まずはこの状況を、早急に何とかせねば。


 俺は決意を固めて、茂みの影から中庭の中心に向けて歩き始めた。



「い、いやぁ、学園にこんな場所があるとはなぁ」



 俺は偶然を装い、メリルたちには視線を合わせないようにして、辺りをきょろきょろと伺う。

 四方を無骨な打ちっぱなしコンクリートで囲まれた庭だから、特に見るべきものはないのだが……この際贅沢は言っていられない。


 そろりそろりと二人の方へ向かい――近づく前にクリスと目が合ってしまった。


 目が合ったというか、凝視されている。

 気のせいかとも思ったが、クリスは目を見開いて、俺の顔をガン見している。


 まさか俺の背後に誰かいるだなんて展開ではないだろう。見られているのは間違いなく俺だ。

 クリスとは初対面だし、声をかけられるような接点も無かったはずなのだが。どうして彼は人の顔を見て、そこまで驚いているのだろうか?


 疑問に思った俺が声をかけるよりも早く、向こうの方から俺に呼び掛けてきた。





「ア、アラン様! アラン様ではございませんか! 何故このような場所に!?」





 ………………いや、こればかりは、本当に身に覚えがない。


 本当だ、信じてくれ。

 俺はクリスと会話したことなどない。初対面だし、全く面識がないと断言できる。




 本当なんだ、メリル。


 だからそんな「またお前か」って目をして、鬼神のような表情を浮かべるのは止めてくれ。




 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 実はクリストフ、一度だけ発言したことがあります。

 一章の終盤で、ちょろっと登場しているんです。


 さて、クリストフが何故アランを様付けするのか。

 どうして原作と違う発言をしているのか。


 次回「お金の出どころ」 お楽しみに。

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