第四十八話 人間本当にピンチな時は笑いしか出てこない



 学校生活が始まって一週間が経った。

 そんなある日の放課後だ。


 俺は今、非常に。大変困ったことになっている。


 援軍を求めようにも、ハルとリーゼロッテは二人っきりで下校デート中だ。

 ……凄腕の隠密数名が、二人の周りをガッチリ固めているが。二人きりで放課後の買い食いを楽しんでいることだろう。


 ラルフは騎士団の訓練に行ってしまい、俺のクラスメイトたちもとっくに帰った。

 そもそも人が通りかかるような場所ではなく、孤立無援の状態だった。



 今俺が居るのは夕暮れの階段――人気のない、屋上に続く階段――の途中にある踊り場だ。

 そんな場所で、俺は一人の女子生徒から詰め寄られていた。



「こんにちは、アラン・レインメーカー子爵・・。会いたかったわ」

「あ、あはは」

「うふっ、うふふふふ」

「ははは、ははははは」




 人間本当にピンチな時は笑いしか出てこないという。

 そして、今がその時だ。



 なんで? どうしてこの人、イベントシーンでもない、こんなタイミングで現れるの?











 放課後。皆いなくなったので、俺も一人で公爵邸に帰ろうとした。


 だが、下駄箱を開けば「婚約の件について話があります」などという手紙が投函されていたのだから、指定された場所に行く以外の選択肢がなかった。


 ワイズマン伯爵の娘……俺が着替えを覗いてしまった挙句、その覗き魔と結婚させられる羽目になったご令嬢からの呼び出しだ。

 まさか、これをぶっちぎるわけにはいかない。


 指定された場所は、校舎の四階、屋上に続く階段の踊り場だ。

 重苦しい気持ちで、心なしか重い足を引きずってやってきたのだが――


 待っていたのは、ワイズマン伯爵令嬢ではなかった。


 待ち構えていたのが、満面の微笑みを湛えたヒロイン……メリルだったのだから、もう笑うしかない。



「うふふふふ。不思議そうな顔してるね?」

「あ、あは、ははは。それは、いやぁ……私の名前も知られるようになったものだな、と」

「あはは。そりゃあもう。……よーく、知っていますとも」

「そ、そう? 光栄だなー……それでは、私はこれで失礼し「逃がさないわよ」……はい」



 逃げ道を壁ドンで塞がれては、是非もなし。

 俺の行く手を左腕で塞ぎ、右手で俺のネクタイを握りしめながら、メリルは身を乗り出す。


 状況を端的に表すなら、人気が無い場所に呼び出され、胸倉を掴まれて脅されている。というような状態だろう。



「私を保健室に運んでくれたのが誰かって聞いたらね、あのアラン・レインメーカーだっていうじゃない?」

「そ、そうですね。私が運びました」

「お礼を言うわ。ありがとう。……で、裏社会の帝王・・・・・・が、学校で何をやっているのかな……と」

「う、裏社会? 帝王? 何のお話でしょうか?」



 表面上はポーカーフェイスを維持しているが、もう色々と限界である。

 背中の冷や汗は時間の経過と共に増量されていき、乾く気配が全くない。

 緊張のためか恐怖のためか、口の中がカラカラに乾き、指先の感覚が少しずつ薄くなってきた。



「隠しても無駄よ……『選択肢』」

「!?」



 メリルが『選択肢』と唱えると、俺の前に三つの文章が浮かび上がった。俺の方から見ると鏡文字になっているが……。



 『隠しても無駄よ、お見通しなんだから』


 『あら、そう? 気のせいかな?』


 『無言でビンタ』



 そのまんま、乙女ゲームの選択肢だった。

 こんなイベントが無かったことは確実なのだが、確かにヒロインが言いそうなことが書いてある。

 まあ、ビンタは好感度を下げるための……



――と、考えている途中で、横っ面にビンタをされた。



「なんで!?」

「アンタでしょ……色々と邪魔してくれちゃって……」

「い、いえ、邪魔という以前に、お嬢様や殿下への態度は、貴族社会の者としてあり得ないと申しますか……貴女の行動に問題があるのではないかと」

「でも、イレギュラーの中心にアランがいるのは間違いないよね? あのアラン・・・が、悪役令嬢の執事で第一王子の親友? 言葉遣いも原作と全く違うし。どう考えてもおかしいでしょ?」



 確かに「原作」を知っているメリルからすれば俺の行動、発言、思考、全てに違和感があるだろう。



「それを言われると…………はっ!?」



 俺は口を開きかけて、慌てて閉じたのだが。

 メリルはゆっくりと、斜め下から覗き込むようにして迫ってきた。

 顔色を伺えば、光の無い瞳でこちらを凝視しながら、微かに笑みを浮かべている。



納得・・したわね? おかしいわよねぇ……貴方がただのアラン・・・・・・なら、今の話にはたくさん疑問があるだろうし。……私のことを「頭のおかしい女だ」くらいに思っても、不思議じゃないのに」

「は、ははは……」

「もう、逃げられないからね?」



 してやられた。この女……誘導尋問か。

 己の軽挙妄動を嘆くが、もう遅い。


 考えが足りない人物だと思っていたので、この状況にも、会話の組み立て方も全くの予想外だ。


 今の俺は、不意打ちを食らって動揺している自覚がある。

 多少強引だとしても、これ以上のボロを出す前に、話を切り上げて脱出しなければならないだろう。



「……貴女は少々気が触れているようです。私はこれで」

「ふーん、そうくる? 『マーク』……これで私のマップ上には、貴方の居場所がいつでも記録されるから」



 思い立ってからの俺の行動は早く、捨て台詞を吐いてからすぐに踵を返して、メリルの拘束から逃れるべく動いた。


 だが、メリルの行動も素早かった。

 謎の呪文を唱えると、俺の体に一瞬だけ魔法攻撃を食らったような衝撃が走る。



「マップ上? ……まさか」

「うふっ、気づいたみたいね?」



 メリルの言葉で、俺はゲームのシステムを思い出した。

 攻略対象は朝、昼、夕方で居場所が違うので、狙った攻略対象のいるところに遊びに行くためには、まずマップ上に表示されているアイコンを確認する必要があるのだ。


 街中に俺が居れば、街に俺のアイコンが表示されるし、中庭にハルがいれば、そこにもアイコンが表示される。

 つまりは、これから先俺がどこにいようと、メリルには居場所が筒抜けになるということだ。



 何だそれは、ヒロインチートってやつか!? と、俺は仰天する。

 これでは今この場を逃げおおせたところで意味がない。


 それどころか、学内にいる俺の居場所を特定して狙い撃ちにされると、「原作」との齟齬そごが出る確率が非常に高い。

 昼休みに、スラム街の帝王が学食をうろついている姿を見かけて話しかけるなど、あり得ないのだから。



「さて……私も神様から注意されたけれど、退場はあり得ない。だって私がヒロイン・・・・だから。どうにかして世界を都合よく変えてくれるそうよ。『選択肢』通りの行動をしている限り罰則もないって話」

「そ、そうですか」

「当然アランの……違う。アランたち・・のところにも来たでしょ?」

「さて、何のお話でしょうか?」

「そういう態度を取るなら、私にも考えがあるんだけど。……聞きたい?」



 ……聞きたくない。正直、聞きたくはない。

 だが、ここで帰っても後のリスクが増すだけで、いいことはない。

 後でしっぺ返しが来るくらいなら、今聞いておいた方が建設的だ。


 まあ、今日の不意打ちには驚いたが、今までのポンコツ具合を見る限り、メリルの考え・・などそんなに怖くもないだろう。


 よし、聞こう。

 心の準備をした俺は、メリルに向かい直って問う。



「考えとは?」

「アランを攻略する」



 それはまた、思いもよらぬ爆弾であった。




 ……は? 俺?


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