第二十七話 剣と魔法のファンタジー

 


 結果的にだが、今後の展望の数々を書き記したノートを、クロスへと押し付けることに成功した。

 リーゼロッテにも、その内容についてはまだ話していない。


 今日は頭と呂律ろれつが回らなくなってきたので、明日クロスと会ったときにでも話すとしよう。

 今はただただ眠く、今日一日の仕事が早く終わることを願うばかりだ。



「……ん? お嬢様。どうなさったのですか、そんなドン引きオブザイヤー大賞受賞者のような顔をして」

「あ、あの。ごめんね? アラン」



 さて、クロスを見送ってから数秒ほど。ぼうっとして突っ立っていたのだが。

 振り返ってリーゼロッテの方を見れば。

 彼女は戦慄の表情を浮かべていた。



「何を謝ることがあるのです。さあ、トレーニングをお続けください」

「いや、ほら。この状況でトレーニングっていうのも……アレじゃない?」

「何もアレではありませんよ。さあ、ベンチプレスの重りを追加しましょう」



 何を詫びることがあるというのか。公爵家の一人娘が、公爵家の使用人を徹夜で働かせただけだ。

 雇っている人間に働かせた、ただそれだけのこと。論理的にはどこもおかしくはない。



「昨日は大変だったわよね。色々と押し付けてごめんなさいね、アラン。あの……。アラン?」

「人間が己で定めた限界など、容易く超えることができるのだと。私は昨日学びました」

「あの、アラン? もしもし?」



 彼女を優しくエスコートして。

 ベンチプレスの台へ寝そべらせてあげた後は、徐に持ち手。バーをセットする。


 そして横に積んであったベンチプレス用のウエイトを手に取り。

 俺はにっこりと笑う。



「お嬢様の限界は、こんなものじゃない」

「ねえ、ちょっと。アラン、何故重りを増やすの?」

「だからお嬢様も落とし前……違う。一緒に、限界を超えましょう?」



 お、落とし前……? と小さく呟いて怯えているが。

 俺は全く意に介さず、バーにウエイトをはめ込んでいく。



「あ、あらーん。あの、ちょっと?」



 一枚、また一枚と。

 量が増える毎にリーゼロッテの表情は硬くなっていった。



「くふ、くふふふふ。そう。人間には無限の可能性がある。だからお嬢様だって、ベンチプレスで八十キログラムくらいはいけるはず。今日から八十キロでいきましょう」

「ダメよそんな重量! 怪我しちゃうから!」



 真っ当なご意見だが、全くの的外れだ。


 回復魔法という便利なものがあるのだ。

 公爵家の財力なら高名な神官も呼び放題なので、多少の怪我など怪我のうちにも入らない。



「怪我をしそうになったら、私が補助します。万が一お怪我をなさったら、司祭を呼んできます」

「落ち着いて、アラン! 私が怪我なんてしたら、お父様に怒られるわよ!? それに――」

「お嬢様」



 俺はそこでいったん言葉を切り、穏やかに微笑んでから補助器具を外した。



怒られる死ぬときは一緒です」

「そんな桃園の誓いみたいな、あ、アラッ――――ッツー!?」



 習性というか習慣というか。

 目の前にバーベルがあったら取り合えず挙げてみる。そんな動きは体に染みついているようで、リーゼロッテは顔を真っ赤にしながらもバーを上げ始めた。



「そう、そうです。いいですよお嬢様。ワンモアセッ」

「ま、まだ、一回も挙げ、挙げてな……いわよ!」

「素晴らしい! 私の補助なしで、一回目を挙げようとしていらっしゃる!」

「ま、まっど! マッドの気質があるのね! アラン!」



 マッド? 狂っている? 何をバカな。


 俺が本来どういう人間なのかは昨日把握した。

 未来の俺は漁師だったり小麦農家だったり、宣教師だったり国外追放者だったり、確かに微妙な結末が多かった。

 だが、結末がおかしいものが多くとも。犯罪に手を染める未来はなかったではないか。


 ヒロインに怪しいツボを売りつけてはいたが、あれも一応特殊効果のあるアイテムだった。

 ほぼ使い道がないがらくたのアイテムにしても、価格はそこまで高くないから値段相応だろう。

 そう、俺は狂ってなどいない。常識的な真人間だ。



「あ、そういやちょっと聞きたいんだが」

「急に素に戻るのやめて! わ、笑っちゃうから!」



 それはさておき、前から気になっていたことがある。



「おお、すまん。それで……何で身体強化を使わないんだ?」

「し、しん、たい? 何それ?」

「こういうものだよ。ほれ、【身体強化】」



 俺が魔法を発動すると、リーゼロッテが両手で必死こいて挙げていたバーベルが、ひょいと持ち上がる。


 俺だって、仕返しするとしても限度は弁えている。

 俺が補助に入ったとき、万が一にも落とさないであろう重さがこの辺りだから、この重さに調整したのだ。


 リーゼロッテだって挙げようとして力を入れているのだから、八十キロのバーベルも身体強化を全開にすれば片手で十分に支えられる。



 俺が疑問に思っていたのは。

 剣と魔法とファンタジーの世界に転生したというのに。

 何故、彼女は魔法を一度も使わないのかということだ。


 リーゼロッテが元居た世界には魔法が存在せず、それでいて高度に文明が発達した世界だ。


 大半の人間は平和な生活を送っており、熊や狼、魔物なんかを追い払うために武器を持たされることがなければ。

 近隣の領主との小競り合いのために、徴兵されることもない。


 見方によっては。平和な世界から、彼女が望むような血沸き肉躍る闘争の世界へとやってきたわけだが。


 まさか魔法に頼らず己の肉体一つで猛者と渡り合うという、縛りプレイセルフハンディキャップを設けているわけでもあるまいに。



「え、うわ。何それ。すっごい」



 そう思い実演してみたが。

 彼女は初めて魔法を見たと言わんばかりに、目をまん丸に見開いて驚いている。



「文字通り、身体能力を強化する魔法だよ。練度が上がれば、二倍、三倍ってな具合に身体能力が上がっていくんだ」

「え、何それ知らない! どうやってやるの!?」



 リーゼロッテは呆けた面を晒した後、驚くほど勢いよく食いついてきた。


 ちなみに、このトレーニングルームに付いている各種設備のほぼ全てに魔法が利用されている。


 日常生活でこれだけ魔法の恩恵を受けておきながら、目の前の少女は今の今に至るまで、すっかり「魔法」という概念を忘れていたらしい。


 家庭教師からの講義で、何度も習っているはずなのだが。

 魔法の実技は「危ないから」と公爵夫妻が止めていた弊害がこれだ。


 だが、魔法に興味を持つのはいい傾向だ。

 高等学院……通称、学園では魔法も重要になることだし。

 そろそろ教えてもいい頃だろう。



「まずはこのバーベルを持つ。しっかりグリップしろ」

「普通に握ればいいの?」



 そう判断した俺は実践の講師として、リーゼロッテに魔法のレクチャーを始める。



「そう。次に、まずは初級魔法……何でもいいが、初級の魔法を発動できるくらいの魔力を両腕に集める」

「ま、魔力、魔力? ぐおあああー、あ、集まれい!」



 要領がいいのか何なのか。

 貴族令嬢らしからぬ気合いの声と共に、微量ではあるが魔力が集まってきた。


 普通は魔力を感じるまでに数時間、集められるようになるまでに数日かかることもある。

 天才かどうかはまだ分からないが、この早さなら秀才とは呼べるレベルだ。



「掌じゃなくて、腕全体に……ん……中々難しいわね」

「覚えれば簡単ですよ。さて、お嬢様。魔法を覚えるとき、一番効率のいいやり方をご存じですか?」

「聞いたことがないわね。何をするの? あと、何で敬語に戻ったの?」



 俺は返事をする代わりに、補助に回していた力をどんどん抜いていく。



「え? な、何をするの!?」

「簡単なことですよ。「命がかかった状況で、習得できなければ死、あるのみ」……そんな状況での実戦が、一番伸びるそうです」



 これは実際によく言われていることだ。

 死ぬ気になったら、大抵のことはできるようになる。



「……アラン。人間ね、効率だけを求めてはいけないと思うの。時には無駄を楽しんだり、何でもないようなことが――」

「はい、補助やめますねー」

「アッ、アラーーーン!!」



 ふむ、俺を酷使してくれたことと、チンピラ三人組を迎え撃とうとした罰はこの辺でいいだろうか……と、俺は留飲を下げる。


 実のところ、「魔法の練習」というのも、クロスへ渡したノートに書いていた内容の一環である。

 実技に入る年齢が少し高めなので、脅かしてムチを入れるくらいの鍛え方が丁度いいはずだ。


 学園入学までには、中級魔法を数種類扱えるくらいまでには鍛えたいな。

 と、俺は今後の展望を思いを馳せる。



 ……まあ、それはさておき。 



「ご、ごめ! アラン! 謝る! 昨日のことは謝るから!」

「はいお嬢様。腕全体に馴染むように、もっと薄く魔力を伸ばしてくださいねー」

「あ、アラン? ちょ、ごめんなさい! アラン! アラーン!!」



 反応が面白いから、もうちょっとだけ続けよう。


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