117、楽しい思い出


 予鈴が鳴った。


 焼きそばパンは、ほとんど食べることができなかった。彼女はふところから、写真が貼ってある運命タロットノートを取り出した。


「スマホ貸して」


 俺のスマホを持つと、彼女は例のごとく、写真を撮ろうと俺を手招きした。


「はい、チーズ」


「俺しか残らないのに」


「良いの。悲しい思い出もちゃんと残しておこう」


「どうして」


「何となく」


 パシャリと写真を撮ると、画面に映し出された、泣きはらした自分たちの顔を見て、二葉は顔をしかめた。 


「何これ、変な写真」


「自分で撮ろうって言ったのに」


「ちょっと面白い。目、真っ赤」


「あーあ、本当ですね。これはひどい」


「ふふ、ちゃんと印刷しておいてね」


 楽しそうに笑った二葉は、手元のノートを開いて見始めた。パラパラとめくりながら、彼女はため息混じりに言った。


「あーあ、またクリスマスから、やり直したいなぁ。そうすれば、ずっと楽しいのに」


「それだったら、どんなに良かったか」


「ね、そう思うよね」


「これじゃまるで、何かの恋愛映画みたいだ」


「じゃー……もし、ナルくんがその恋愛映画の主人公だったら、なんて言う?」


「……俺だったら……」


 少しだけ考えて、口を開く。


「ずっと愛してる、とか」


「それから?」


「君のことを忘れない、とか」


「……それから?」


「……キスを……する」


「ん」


 二葉はすっと目を閉じた。身体を近づけて、ゆっくりと唇を合わせる。


 彼女の唇は、涙で濡れていた。


「それ……から?」


「目を開けたら、多分、二葉は消えてる」


「あー……それっぽい、かも」


 彼女は照れ臭そうに言った。そして首をかしげると、再び口を開いた。


「何か言いたげだね」


「もう1回、キスしたい」


「良いよ、もちろん」


 もう1度キスをする。


 さっきよりも長いキスで、彼女の体温を確認する。


「ん」


 彼女が小さく息を漏らす。唾液の糸が、顔を離すと、ツーと俺たちの間を垂れていた。 


「……うん」


「良かった。ちゃんといる」


「いる間は、ちゃんといるよ」


「少し悲しくなくなった」


「本当?」


「でも、またすぐに悲しくなる」


「難しいね」


「悲しみは消えないから。だけど……」


 言うべきことはちゃんと言わなきゃいけない。


「出会ったことは間違いじゃないから。それだけは、変わらないことなんだと思う」


「うん……それは素敵だね」


 二葉は嬉しそうに「ありがとう」と言った。


 そして再びノートを開き、楽しそうに読み始めた。こんなことあったね、と言いながら、二葉はものすごい昔のことのように、つい3ヶ月前のことを話し始めた。


「楽しかったね」


「楽しかった」


 彼女がノートの最後に行き着こうとした時だった。


「あ……思い出した」


 ふと、彼女はパタンとその冊子を閉じた。


「どうして、私がここにいたのか」


 俺の方を向いて、


「ずっと待っていたんだ。そっか……」


 彼女は目を見開いた。


 なぜかその時、嫌な予感がした。


 とっさに手を握ろうとした。


「二葉?」


 けれど、何にも触れなかった。

 彼女は消失していた。


 足元には彼女が持っていたノートだけが、落ちていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る