97、大丈夫です

 

 せんべいを飲み込むと、二葉先輩が顔をあげた。俺の顔を見ながら、パチクリとまばたきしている。


「私、また消失してたんだね。ナルくんいつ帰ってきてたの?」


「あ、さっきです」


「電話は? お姉さんから?」


「はい」


「元気だった?」


「そりゃあ、とっても」


「良いなー。海外旅行ー。わたしも行きたいなー」


 うらやましそうに笑って、彼女はバタバタと足を振った。


「ん……どしたん?」 


 俺の顔を見ると、彼女は怪訝けげんそうに眉を下げた。


 何かあった、と問いかけてくる。

 こういうところは妙に鋭い。


 出来るだけ冷静に、彼女に事実を伝えようと口を開く。


「二葉先輩、実は……」


 そう決めたはずなのに。


 いざ、伝えようとすると躊躇ちゅうちょしてしまう。冷静に言おうと思ったが、言葉がつっかえて上手く出てこなかった。


「……ナルくん」


 反対に、彼女が口を開いた。


「良いよ。覚悟はできている」


 任せて、と言って、彼女は自分の胸をトントンと叩いた。


「なんか深刻なことでしょ」


「はい……」


「言って」


 彼女の言葉にうなずく。

 やっぱり、俺なんかより二葉先輩の方が、ずっと強い。


「あの、言いますね」


「うん、どんとこい」


「まず、二葉先輩のお兄さんは、長期留学でアメリカに行っています」


「留学。そっかー! だから家に誰もいなかったんだー。……っていつの間に」


「この春からだそうです」


「なんで何も言ってくれなかったんだろう」


 しょぼんとした顔の先輩に、さらなる事実を告げなければいけない。


「それからもう一つ。こっちの方が……伝えにくいんですが」


「うん。聞く」


「……三船二葉という人は亡くなっているみたいなんです」


 それを聞くと、彼女はギョッとしたように固まって、目を見開いた。


「亡くなっ……て?」


 声はかすれていた。


「それ、わたし……?」


「2年前に、病気で」


「病気?」


「二葉先輩は死んだことになっているみたいです」


 先輩は理解できないという風に、だらんと両手を下げた。


「えー……?」


「亡くなったはずだって。お兄さんの友達が」


「でも、わたしここにいるし」


「そうです。やっぱり何かがおかしいんですよ」


 おかしいことばかりだ。

 消失のことも、今回のことも。誰かに言っても、到底信じてはもらえないことばかり起こる。


「ど、同姓同名かな」


「同姓同名かもしれません」


壱波いちはって言う名前のお兄ちゃんがいて、この辺りに住んでいて、同い年くらいの三船二葉さん。……いるかな?」


「いる、かもしれません」


 うんとうなずきながらも、先輩は諦めたように肩を落とした。


「まぁ、でも。分かったよ。言ってくれて、ありがと」


 そう言うと、先輩はソファから立ち上がった。俺の前に立つと、頬に触れてきた。


「かがんで」


 言われた通り、膝をつく。

 途端に二葉先輩は、俺の頭を自分の方に引き寄せた。耳がギュッと、彼女の胸に押し当てられる。


「ね」


 ささやくような声で彼女が言う。


「聞こえてるよね。心臓の音」


「……はい」

 

 ドクンと脈打つ音が、耳に響く。


「ちゃんと聞こえてます」


「いるよね?」


「いますよ、ちゃんと。大丈夫です」


 ふぅ、と二葉先輩は深く息を吐いた。

 それから、手に力を込めて、彼女はさらに強く俺のことを抱きしめた。


「そうだよね。大丈夫だよね」


「そうです。大丈夫です。二葉先輩は、ちゃんとここにいますから」


 その手を握ると、彼女は小さな声で「ありがと」と言葉を返した。

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