67、※お酒は二十歳になってから



 山の小道を進んでいったところに、剥不はがれずさんのコテージはあった。

 人気のない森ではあるが、きちんと手入れされている。雑草がはびこっている様子はなく、道も綺麗だった。


「では、明日。迎えに行きます」


 黒い服を着た老人は俺たちを下ろすと、うやうやしくお辞儀をして去っていった。

 コテージの中は、いくつか部屋があったが、俺は残念なことに鷺ノ宮と同室だった。


 ベッドが二つ置かれただけの、シンプルな作りの寝室。隅には花の絵が飾られている。


 荷物を置いた俺たちは、建物の前庭に集合した。すでに火おこしの道具や、バーベキューの鉄網てつあみなどが置かれていた。 


「道具は、そろっている」


「食材もありますよっと」


 鷺ノ宮がクーラーボックスを持ってくる。中には、あからさまに高そうな肉や野菜が入っていた。


「わーい、いたれり尽くせり」


「酒も、ある」


「……お酒?」


 もう一つのクーラーボックスを開けると、緑茶やコーラの二リットルに混じって、お酒の缶が入っている。


 二葉先輩が目を白黒とさせる。


「私たち未成年だけど」


「飲みたい人だけ、飲めば良い」


 剥不さんは平然と缶のビールを飲み始めた。


「ひどく酔わなければ、問題ない」


「手慣れてるね……」


「たしなみ」


「まぁ、俺はパスです。対して美味くもねぇですし」


 コーラのペットボトルを取った鷺ノ宮は、俺と二葉先輩にもカップを渡した。


 二葉先輩はそれを断って、クーラーボックスの缶ビールを手に取った。


「私も飲んでみようかな」


「マジですか」


「うん、陽キャの真似事してみる」


「陽キャの真似事……?」


 鷺ノ宮が困惑する。


「それどういう………」


「まぁ良い。つごう」


 間に割り込んで、剥不さんがためらいなく、二葉先輩のグラスにビールを注ぐ。


「わくわく」


 おずおずと言った様子で、二葉先輩はビールを口に含んだ。白い泡を少し飲んで、彼女は「べ」と舌を出した。 


「にがーい。まずーい」


「ビールは喉で楽しむもの」


「良く分かんない。クソまずい」


「ジンジャーエールを入れれば、少し飲みやくなる」


「……あ、うーん……? そうかも……?」


 黄金色の液体をチビチビと飲みながら、先輩が目を細める。


「……もう火起こしますよ。付き合ってられません」


 鷺ノ宮の一声で、炭に火が入る。手際良く着火剤を入れて、パチパチと火が赤く燃え始めた。


 金網をいて、肉を焼き始める。肉の脂がパチンと花火のような音を立てる。煙と匂いが、辺りに漂い始める。


 トングで肉をひっくり返して、鷺ノ宮が合図をした。


「どうぞ、焼けましたよ」


「もふぉもふぉ」


「もう食べている……」


 厚い肉塊にくかいを口に含みながら、二葉先輩は幸せそうに顔をほころばせた。


「おいしー!」


「俺が言うのもなんですが、並んでるの高級肉ばっかりですよ」


「好きなだけ、食べると良い」


「ありがとー! 剥不ちゃん、鷺ノ宮くん!」


 肉をモグモグと食べながら、先輩は嬉しそうに言った。


 次の肉に手を伸ばす手を止めると、ちらりと俺の方を見た。


「ナルくん。どうしたの」


 箸で肉を掴みながら、彼女は俺の方によってきた。


「来てから、ずっと元気がないよ」


 先輩が心配して、俺の顔をのぞく。


「食欲ないの?」


「そう言うわけじゃないんですが」


 先輩は自分の肉に目を落とすと、俺の口元に箸を持ってきた。


「はい、あーん」


「……あの」


「食べて。元気になるよ。はい、あーん……」


 観念して、口を開ける。

 満足そうにうなずいた先輩が、俺に肉を食べさせてくれる。


「美味しい?」


「……美味しいです」


「食べないと損だよ」


 きっと本当に美味しかったんだろう。味はほとんど感じなかった。


 気が重い。

 あなたはだんだん消えているんです、なんて、どんな顔で言えば良いのか分からない。


 それでも言わなきゃいけないのは、事態が一向に改善しないからだった。

 手がかりも何もないまま、ただ消失時間だけが増えていく。


 その内、取り返しのつかないことになるかもしれない。にも関わらず二葉先輩に伝えないと言うのはあまりにこくだった。


 俺がそう言うと、剥不さんは、


 『それも、一つの選択』


 と以前と同じ言葉を口にして、二葉先輩に美味しいお肉をごちそうしてあげようという、優しさで俺たちをここまで連れてきてくれた。


 大方、肉を食べ終わる頃になると、日は沈んで、人家の少ないコテージの周りは、闇に包まれ始めた。


 余った枯れ枝と着火剤で、鷺ノ宮はき火を作った。赤い火の束を囲んで、竹串に突き刺したマシュマロを焼いた。


 ゆらりゆらりと揺れる明かりが、薄くて、不安定な影を作っていた。


「ナルくん」


 こんがりと焼けていくマシュマロを持ちながら、先輩が口を開いた。


「何か言いたいことがあるんでしょ?」


 隣に座った鷺ノ宮が、ゴクリと息を飲んだ。剥不さんも何も言わずに、グラスを傾けている。


 こういうところは、二葉先輩は目ざとい。朝から俺のことを、ずっと気にしていたんだ。


「……はい」


 冬を間近にした森は、ひんやりとしていた。呼吸をすると、冷たい空気が肺の奥に入った。


 その中心で炎が揺れている。


「先輩は……」


 俺は彼女の顔も見ずに、


「だんだん、消えかかってるみたいなんです」


 まっていた言葉を吐き出した。

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